12.めざめ ①
剣を握っていた。
大地を駆けていた。
カイトの口から勇敢とはほど遠い雄叫びが轟く。血走らせた目には涙が溜まっていた。
「うぉらぁっ!」
若い兵士に噛みつく二匹の獣。そのうちの一匹が晒していた横っ腹に、助走をつけて蹴りを叩き込む。土嚢のように重たかったが、獣を兵士から引きはがすことに成功する。
すぐさまもう一方の首根っこを掴むと、その首筋にショートソードの切っ先をぶち込んだ。固い土を突き刺したような手応え。赤い目がカイトを捉え、何度か明滅し、やがて光を失う。魔獣の顎から力が抜け、兵士の鎧に食い込んでいた牙が離れる。
脅威を感じたのだろうか。蹴り飛ばされた獣の標的が、カイトに移った。
足を使い、魔獣の亡骸から力任せに剣を引き抜いて、迫り来る敵に備える。
「来やがれ犬っコロがぁ!」
もうどうにでもなれ。
ほとんど捨て身の踏み込みで、カイトは剣をフルスイングした。タイミングよく飛び込んできた獣の頭部に直撃したのは、紛れもなく僥倖だった。だが勢いを殺すには至らない。体当たりをもろに受け、カイトは大きく後ろに吹き飛ばされた。
地面を転々とし、やっと止まったところで、激しく咳き込んでしまう。問題ない。土煙を吸い込んだだけだ。
頭部に剣を食い込ませた魔獣はもう動かない。この獣に生命という概念があるかは分からないが、活動を停止しているのは確かだった。
「重てぇな」
獣を跳ね除けて立ち上がる。呆気にとられる若い兵士に歩み寄ると、土で汚れた手を差し伸べた。
「立てるか?」
「あ……」
カイトを見上げる栗色の瞳が、いっぱいの涙で潤んでいた。
「早く立て!」
この子のことを思えば、ゆっくりと待ってやりたいのはやまやまだ。だが状況がそれを許さない。未だ魔獣は健在で、他の兵士が必死に戦っている。
痺れを切らしたカイトは、腕を掴んで強引に引っ張り上げる。立ち上がった兵士のズボンには染みができていた。恐怖で失禁したのだろう。無理もない。若い兵士は頬を染めて染みを押さえて俯いた。
「恥ずかしがってる場合かよ。さっさと逃げろ」
「え? あ、あの……!」
背を向けたカイトに投げかけられたのは、不安げに震えるか細い声だった。
「どう、するんですか?」
「決まってるだろ」
転がっていた剣を取るカイトの声に、もう迷いはない。
「戦うんだ」
他でもない妹との約束だから。
残り数匹の魔獣を、二人の兵士が相手取っている。彼らは半ば狂乱状態であったが、辛うじてまともな戦いを展開していた。おそらくは歴戦の兵士達なのだろう。お互いを上手くフォローしている。だが、それも長くは続くまい。兵士達に比べ、魔獣の動きは格段に素早く力強い。
カイトは動き回る魔獣の中から比較的動きの遅いものに目を付けた。無防備に近付き、獣の動きが止まる瞬間を見極めて、その首筋に剣を突き立てる。それだけで魔獣はびくりと身体を震わせ、動かなくなった。
まずはひとつ。
次。兵士とにらみ合いになっている狼に似た獣の胴体に、力一杯の斬撃を浴びせた。刃は胴の真ん中で止まり、そのまま獣は活動を停止する。
ここで兵士達は異変に気付いた。敵の間者だと思っていたカイトが、助太刀をしてくれている。一瞬の混乱を経て、彼らは冷静さを取り戻していた。
これまでの経験から、カイトはあることに気付いていた。こちらから攻撃しない限り、魔獣はカイトを認識しない。
(俺に魔力がないからか……? なんでもいいけどな)
一方的に攻撃できるのは実に都合がいい。兵士達が獣を引きつけている隙に、カイトはじっくりと急所を狙って致命の一撃を加える。その繰り返し。
ほどなくして魔獣は全滅した。後には、兵士達の荒い息遣いだけが残る。
動かなくなった魔獣の亡骸から、闇色の粒子が浮かび上がる。無数の粒子は虚空に溶け、亡骸は乾いた灰へと姿を変えていた。
「……案外、なんとかなるもんだな」
呟いたのはカイト。
次いで響いたのは、少女の歓声だった。
「すっごーい! ヴォーリスの群を倒しちゃうなんて、なかなか見所あるじゃない」
事の顛末を傍観していたソーニャは、心底楽しそうに拍手を送っていた。
「けどー」
その拍手が、ふと止まる。
「なんとかなるっていうのは、違うんじゃない?」
愛らしい少女の姿。声。仕草。にも拘らず、ソーニャが放つ威圧感は言語を絶する。
カイトを含め、その場の人間は見えない鎖で縛り付けられたように身動き一つできなくなった。
兵士の一人が剣を構えたまま、額に冷や汗を垂らす。
「四神将……つくづく運がないな、俺ら」
その肩書きの意味をを、カイトは知らない。だが、今この場の戦力では到底敵わない――それだけははっきりと理解できる。
巨人の手に握られたクディカに気付いたもう一人の兵士が、にわかに顔を引き攣らせた。
「あはっ。そうそう。あなた達の大将も、このザマだしねー」
巨人が腕を持ち上げると、クディカの上半身がだらりと垂れた。
「将軍……! クソッ! 乙女は我らを見放したか……」
指揮官の敗北。それは前線における死刑宣告に等しい。兵士達は互いに視線を交わし、にわかに戦意を失っていく。じりじりと後退し、踵を返して脱兎のごとく逃走を図った。
「ばーか」
直後、二人の兵士が死んだ。
カイトには何も見えなかった。感じたのは重たい衝撃だけ。
振り返った先、巨人の足と大地の間で兵士達が潰れていた。破裂した肉から鮮血が漏れ出し、巨人の足下を赤く染めていく。
「うそだろ……」
カイトの乾いた声。体は強張り、剣を握る手がガタガタと震えていた。
「逃がすワケないでしょーが。あたしを何だと思ってるの」
ソーニャの真っ赤な瞳が、カイトと若い兵士を捉える。口元は恍惚として歪み、虐殺に見出す快感を隠そうともしていない。
「へー。あなた達は逃げようとしないんだ?」
唇に指を当て、可憐なウィンクを送ってくるソーニャ。とても人を殺したばかりの表情とは思えない。魔族とは、かくも恐ろしい生き物だったか。
最後に残った若い兵士を一瞥する。腰を抜かして尻もちをついていた。せっかく立たせやったのに。
「死ぬ覚悟ができたってカンジ?」
これは流石に、もう無理だ。
平和な日本でのうのうと暮らしていた一高校生には、きっとここらが限界なんだ。むしろ数匹倒しただけでも大金星じゃないか。
約束通り戦った。結果は見ての通りだが、怯えて死ぬよりマシだろう。
これなら胸を張って、妹のもとに逝ける。
「――いや」
ホントにそうか?
ここで諦めたら、妹は何と言うだろう。よく頑張った、よく戦ったと、喜んでくれるのか。
「んなわけあるかよ」
戦うと決めた以上、勝ってこそ意味がある。
「こんなところで死ねるかってんだ」
生きるんだ。
たとえ泥の中を這いずり回り、何度挫けそうになったとしても、それが勝利の為なればこそ。
「俺は、まだやれる」
自身を鼓舞するように、カイトは今ひとたび剣を構えた。その手はもう、震えていない。




