9.希望を見出して
「まさか公爵があれほどまで愚かだとは」
執務室の外。石造りの回廊で、デュールが忌々しげな声を絞り出していた。
「言葉を慎んでくださいデュール殿。どこに耳があるか分かりません」
肩を並べて歩くリーティアが、凛とした声で戒める。
勃然としたデュールとは対照的に、リーティアはあくまで冷静だった。
「フューディメイム卿は、悔しくないのですか」
「お気持ちはわかります。けれど怒りに囚われていては、為すべきことを見失ってしまいます」
紛れもない正論。しかし彼はどうにも納得がいかなかった。
モルディック砦に配備されてからの数か月。クディカの下で死力を尽くした。策を練り、兵を率い、血と汗と泥に塗れて剣を振った。仲間達もまた、国を守るために命を賭けたのだ。
それなのに、報われるどころか侮辱を受けることになろうとは。それも、安全な城でぶくぶくと太った貴族などに。
「デュール殿の怒りを否定するわけではありません。怒りとは、感情ですから。正しいも間違いもない。重要なのは、その怒りを正しき行いの原動力にできるかどうかです」
リーティアの声には確かな前進の意志があった。一時の感情に振り回されず、進むべき道を見据えている。
デュールは胸中に燃える憤怒の炎か弱まるのを感じた。わずかでも彼女を冷徹だと感じた自分が恥ずかしかった。
「どうやら自分は、まだまだ精進が足りぬようです」
俯いて自省するデュールに、リーティアは仄かな微笑みで応えた。
「参りましょう。ティミドゥス公を頼れない以上、我々だけでクディカを救うしかありません」
デルニエールに帰還できた兵士は数十。しかも帰還できた者の大半は心身に深い傷を負っており、まともに動ける者となると二十にも満たない。
「しかし……どのように? たった二十騎では、捜索さえ難しいのでは」
「策を考えます。デュール殿は動ける兵をまとめ、出立の準備を急いでください」
「は。ただちに」
二人は足早に城を後にする。もはやこの城に用はない。馬に乗って部隊の駐屯地へ駆けていったデュールを見送り、リーティアは目を閉じて深く息を吸った。
「灰の乙女よ。どうか我らをお守りください」
胸の前で手を組み、遥かな空へ祈りを捧げる。
この時、彼女にはもうひとつの重たい懸念があった。
カイト・イセ。
こちらの都合で投獄してしまったという負い目。また、マナ中毒に陥っていないかという不安。彼のことがどうしても心から離れなかった。
生きているかどうか定かではない。仮に生きているとすれば、今頃どんな目に遭っているのか。考えるだけで胸が痛んだ。
問題は山積している。クディカの救出。部隊の再編。砦を失い、デルニエールを危険に晒した憂い。王への報告も気が重い。なにより、戦死した兵の遺族達を思えば胸が締めつけられた。
「負けてはだめ。勇気を出しなさい、リーティア」
彼女は小さく、だが確かに、己を奮い立たせるように呟いた。




