7.作戦会議
家――じゃなくて宮殿――もう、どっちでもいいか。
帰りの道のりはすっかり暗くなっていた。街灯のないこの世界では、月と星の光が唯一の灯りだ。降ってきそうな、なんてもんじゃない。急降下してきそうな星空。
家に着き、ランプを灯すと淡い橙色の光が部屋を包んだ。
ティリスが手際よく夕食の準備を始める。一見、グラタンのような料理だ。ということは、材料はあのよしこのミルクかな……。
紫と黄緑のツートンを思い出す。考えるのはやめよう。
食事が終わると、アイルは「風呂に行ってくる」と言いながら、席という名の積み上げられた木箱から立ち上がった。
風呂っつーか、水浴びな、水浴び。
心の中でヤジを飛ばす私をよそに、アイルは涼しい顔で水風呂に続く扉の奥に消えていく。この世界の住人にとってはあの水瓶が風呂なのだろう。
ティリスと一緒に夕食の片付けをする。食器を拭きながら、何となく疑問を口にした。
「そういえば、ティリスは家に帰らないの?」
「ここが家ですよ」
さらりと返される。思わず手が止まった。
ここが家? ということは、つまり……。
「部屋は?」
予想はついたが、少し不安になりながら尋ねる。ティリスは「ここ」と足元を指さした。
「え、ここ? ベッドもないんだけど?」
「ベッドで眠るのは高貴な方だけです」
「え?」
何かの冗談かと思いながら、部屋の奥を見る。カーペットが敷かれているだけだ。
「まさか床に直寝?」
「それが何か?」
ティリスは平然としている。
「……いちおう聞くけど、私もここに住むの?」
「他に行くところがなければどうぞ」
「その言い方はずるい。行くとこあるわけないじゃん」
「では、喜んでどうぞ」
ティリスは真剣なのかふざけてるのか、よくわからない笑みを浮かべている。
歓迎されているような、軽くあしらわれているような、微妙な気分になる。
「私も直寝か……」
思わずぼやくと、ティリスは涼しい顔で言った。
「アイリは勇者様なので、アイル様と一緒にベッドで休めばよろしいかと」
――え? 一緒につった?
「いくら子どもでも、男の子と一緒に寝るぐらいなら、私も床でいいわ!」
思わず声を上げると、ティリスは落ち着いた声で応じた。
「ご安心を。我が王の寝相はまるで石像です」
寝相と石像で韻を踏んでる……じゃなくて、そういう問題じゃない……!
バタン、と風呂――もう、風呂認定でいいわ――に続く扉が開いて、アイルが戻ってくる。
ちゃんと拭いてないのか全身びしょ濡れのままだが、気にする様子もない。自然乾燥待ちか。
「アイリ、一緒に寝よう!」
楽しそうに水滴を飛ばしながら両手を挙げる。私は手でバツを作ってきっぱりと言った。
「寝ません。私の世界では、恋人同士ではない男子と女子は一緒に寝ないのです」
「郷に入っては郷に従えって言うじゃないか」
「なんでそんな言葉知ってるの」
「前に読んだ古い文献に書いてあったんだ」
「とにかく、私はここで結構ですから」
カーペットの上に座り込む。寝具がなくても寝るのには問題ない。なんたってボーイスカウト経験者だ。
「そうなのか……」
アイルが残念そうに言う。
「あ、そうだ」
思い出し、立ち上がる。
「寝る前に私もひとっ風呂浴びてもいいですか?」
本気の水浴びをするんだった。
***
翌朝。この異世界に来て3日目の朝。
窓から差し込むやわらかな朝日が、石造の室内を優しく照らしている。外では小鳥のさえずりが響き、どこかの家からか、パンを焼く香ばしい匂いが風に乗って漂ってきた。
目を覚ました私は、隣に寝ていたはずのティリスがいないのに気付いた。視線を動かすと、早くもキッチンで立ち働いている。よく働くなぁ。
「おはよう、ティリス」
「おはよう、アイリ。よく眠れたようですね」
私が声をかけると、ティリスは手を止めてこちらを見た。うん、今日もイケメン。
体感的に、床に直寝のダメージはほぼない。あくまでも個人的な感覚だけど。
ふと窓ガラスに映る自分の姿に気がつき、恐る恐る確認する。
――お?
思ったより寝ぐせがひどくない。普段はなまはげと同レベルなのに。ほんの少し毛先が遊んでいる程度で、手触りも悪くない。
「ティリス、髪を結う紐かゴムってもらえる?」
「俺のでよろしければ」
そう言うと、ティリスは自分の髪を結っていた髪紐をほどき、私に差し出した。
長く整った黒髪がパサリと肩にかかる。髪を下ろしたティリスもちゃんとイケメンだ。――つーか、髪紐1本しかないんかい。
「ありがとう」
とはいえ、櫛もヘアスプレーもないため、仕方なく一本結びにする。いわゆるババ結びだ。
「……」
花の女子高生がする髪型じゃないけど、ここは妥協するしかない。一本結びが似合うのなんて、おばちゃんか――。
「宮本武蔵だけだっつーの」
思わず口に出てしまった。ティリスが不思議そうにこちらを見る。
「ミヤモトムサシとは?」
「ああ、剣豪」
「ケンゴー?」
その時、アイルの部屋の扉が開き、寝ぼけた様子で枕を抱えたアイルが現れた。
「おはよう、ティリス、アイリ」
***
朝食を終えると、私は片付けもそこそこに、地図の貼られた扉の前に立った。
「さて、昨日の続きだけど」
私は地図の花びらの部分に当たる5つのマルを順に指す。
「また昨日みたいに襲われないとも限らないわ。ティリスがいるからセキュリティは大丈夫だと思うけど、これからどうするか考えないとね」
ジョブズスタイルでテーブルの周りをぐるりと歩きながら続ける。
「守りの一手じゃ勝てない。穴熊だけで王が取れる? 防戦から勝ちに転じるには、中原名人レベルの作戦が必要よ。目指すは王手一択」
意味が伝わってるかは不明だが、2人は神妙な面持ちで私を見ている。
「とはいえ、戦力は私とティリスのみ。いくらティリスが強いからといって、一国の軍隊と戦うのは難しいでしょうね」
ちゃっかり自分も戦力にカウントしておく。
「圧倒的な戦力差をひっくり返すには、策を練らないと」
そう、策だ。真田幸村も言っていた。
「そこで現実的に有効だと思われるのは、奇襲か闇討ち――」
「卑怯だな」「卑怯ですね」
ティリスとアイルが同時に反応した。2人の視線がなんとも言えない。
「きれいごとじゃ戦には勝てないの」
そう言いながら、私はアイルのほっぺを軽くつねる。むくれたアイルが私を睨み返し、ティリスは静かにため息をついた。
「勝てば官軍。戦力差があるなら、可能性がある方法を選ばないと」
私は腕を組み、考えを巡らせながら部屋の中を歩く。
「目指すは天下統一。戦わずして国が統一できた歴史はないわ。――たぶん」
「そこまでしなくても、同盟が結べればいいんだよ」
アイルが、食後のデザートとして果物らしきものをかじりながら言う。その姿はどこかのんびりしていて、さっきまでの戦略の話が一気に遠のく気がした。
「アイリは意外と武闘派なんですね」
ティリスがぼそりと言う。その口調は穏やかだが、どこか面白がっているようでもある。
「ティリスだって強いじゃん。私を呼ぶ必要なかったんじゃない?」
「俺よりアイル様の方が強いですよ」
「え、もしかして、アイルも戦うの?」
「我が王の国と民を護ろうとする心は、ジャイアント馬場より強いんです」
「あ、マインドの話ね。――って、ジャイアント馬場は知ってるんだ?」
「古い文献に載ってました」
この世界の歴史はどうなってるんだろう。時間ができたら調べてみないと。
私はジャイアント馬場を思考の外に寄せてから、地図に視線を戻した。