5.鳥のように
次の瞬間――。
キンッ! カンッ! コンッ!
鋭い金属音が立て続けに響き、ナイフが弾き飛ばされた。
「――!?」
何が起きたのか。
アイルの前に、ティリスが立ちはだかっている。その手に握られているのは――。
おたまとフライ返し?
そんなもので、武器を跳ね返したの?
ティリスは流れるような動きで敵の間をすり抜けた。おたまを振るえば鋭い音とともに敵の手元がぶれ、フライ返しの一閃がナイフを跳ね飛ばす。
その手さばきはまるで熟練の剣士のようだった。無駄のない動きは美しく、鍛え上げられた戦士の所作を思わせる。
私は、ただ息を呑んで立ち尽くしていた。
呆然としている間に、武器を失った3つの黒い影は、開け放たれた玄関から素早く逃げ去っていった。
追いかけなきゃ――そう思うのに、足が動かない。
自分が、役立たずに思えた。
この国を護る、なんて偉そうなことを言っていたのに。
アイルの危機に、私は何もできなかった。
そして――。
ティリス、めっちゃ強い。
――いや、これもう私、戦わなくていいんじゃない? ティリスがいれば全部解決するんじゃ……?
玄関の横に転がったバットが目に入る。指輪の力を使えば、剣になるバット。
右手の薬指にはまったままの指輪に目を落とす。
こんな危機でも何もできなかったなんて――。
「アイル様、おケガは?」
「それよりデザートはまだか?」
「はい、ただいまご用意いたします」
何事もなかったかのように、ティリスは台所へ戻っていく。
――って、え? 待って待って。
「今のって、アイルを狙ったんだよね? そんな何もなかったみたいにスルーしていいの?」
アイルは小首をかしげ、にっこりと微笑んだ。
台所からティリスの声がする。
「我が王は呑気であらせられるのです」
……呑気で済ませるのか!?
***
昼食の片付けを終えると、ティリスが制服を渡してきた。どういうわけか、きれいに洗われ、しっかりと乾いている。
「え、いつ、どこで洗ったの?」
思わず聞いてしまったが、ティリスは興味なさそうに窓の外を指さしただけだった。外、と言いたいのだろうか。
超高速クリーニング屋にでも出したのか? それとも――まさか、走るのが速い、戦うのが強い、そのうえ洗濯乾燥まで完璧にこなすスキル持ち?
「まあ、細かいことはいいか」
着替えを済ませると、ほんのり温もりの残る制服に、思わず安堵のため息がもれた。やっぱり制服は落ち着く。
そのとき、アイルが出かける準備を始めたのが目に入った。
「どこか行くの?」
「少し調べ物をしに行く」
「ふーん、じゃあ私も行こっかな」
ありていに言うと暇だった。そう言って、非常時に備えてバットを手に取る。反抗期の中学生みたいで恥ずかしいけど、また狙われたらたまったものじゃない。
当然のようにティリスも一緒に出かける。もちろんおたまもフライ返しも持っていなかった。
外へ出て歩き始めると、街の人々が次々とアイルに挨拶をしてくる。
「王様! 今日もお疲れさまです!」
「王様、いつもありがとうございます!」
礼儀正しく頭を下げる者、笑顔で手を振る者、子供までが「アイルー!」と駆け寄ってくる。アイルはそんな彼らに穏やかな微笑みを返していた。
「へえ……意外と国民の心つかんでるじゃん」
良い王様なんだなぁ。あと数年したら、スキャンダルには気をつけるよう忠告しようっと。
10分ほど歩いてたどり着いたのは、石造りの大きな建物だった。荘厳な雰囲気を放ち、こっちこそ宮殿のようだ。
「ここが目的地?」
「そうだ」
そう答えたアイルについて建物の中へ足を踏み入れると、四方八方にそびえる本棚が目に飛び込んできた。
「図書館……?」
アイルは迷いなく奥へ進み、難しそうな本を数冊選ぶと、ティリスにそれを運ばせる。
「……いや、せめて自分で持とうよ」
しかしティリスは何も言わず、黙々と本を抱える。運ばれてきた本をすぐに読み始めるアイルの姿は、まるでアニメやゲームで見る子どもなのに天才の学者のようだった。
私は特に目的もなく、並んだ本の背表紙を指でなぞる。けれど、ふと気づいた。
「……読めない?」
見たこともない文字。漢字でも英字でもない、異質な文字が並んでいる。
「会話はできるのに、文字が読めないなんて……めちゃくちゃ不便じゃん」
少し憂鬱になりながらも、ふと目についた絵本を手に取る。
表紙には、美しい湖のイラスト。
「この国の物語かな……?」
ページをめくると、湖の周りに国が築かれ、次第に湖が汚れていく様子が描かれていた。
汚染が進み、湖の水が真っ黒になりかけたとき、1人の人物が湖を守るように光の輪を広げた。
次のページでは、湖は元の澄んだ青に戻り、守り人は鳥へと姿を変えて空へ飛び立っていく。
私は思わず呟く。
「……この鳥、アイルのお父さんだったりする?」
偶然かもしれない。でも、なぜか確信めいたものが胸に浮かんでくる。
アイルの横顔をそっと盗み見る。彼は、こちらに気づくことなく、静かに本のページをめくり続けている。
「そうですよ」
代わりに答えてくれたのはティリスだった。周りの迷惑にならないよう抑えた声だが、低くてもよく通るテノールだ。……あ、女性だからアルトか。
「最後、鳥になって飛んで行ってしまったということは――」
みなまで言うな、自分。言うと悲しい結末になってしまうじゃないか。湖を守って、今度は空から国を見守っている、でいいじゃないか。
やばい、涙が出そうになる。
早くに父を亡くして、あんな小さいのに、国を背負ってがんばっているアイル。小生意気で偉そうな子どもだと思ってたけど、国民からはあんなに慕われている。
私を呼び出してあんなに喜んで――いや、こっちにしたら迷惑なんだけど、それももう許せそうだ。国を護るなんて激重ミッションすら何とかなりそうな気になってくる。
ぐすん、と鼻をすする。つくづく単純だ、自分。
「そうなんですよね」
乾いた声でティリスが言った。呆れたというか、がっかりした口調だ。
「え、何が?」
「王様ですよ、王様。湖を守るためとか言って、他の国が睨み合っているどさくさに紛れて独立したくせに、湖の水質が改善されてきたら、今度は空を飛ぶんだーなんて言い出して。ほんと困ったものです」
「は?」
「それに付き添う王妃様もどうかと思いますけどね」
「え、待って待って。状況が呑み込めない。アイルのお父さんって亡くなったんじゃないの?」
「まさか。元気ですよ。あの山の別荘で鳥人間の研究をしてます。異国では、人間が鳥のように空を飛ぶ競技が行われているとかで――」
ティリスが窓の外、遠くにそびえる山を指さす。別荘までは視認できない。
「それ、私の世界の話ね。鳥人間コンテストのことね」
私は絵本の最後のページを開いてティリスに突きつけた。
「じゃあ、この鳥って、比喩表現とかじゃなくて、リアルに鳥を表してんの?」
「そうです。先代の王様は、鳥になりたいがために、まだ幼かったアイル様に王位を譲って研究に没頭されているのです」
「いや、なんていうか――自由ですね」
「困ったものです」
ティリスは心底困った顔で首を左右に振った。
え、ちょっと待って。私は右手の薬指にはまっている指輪に目を落とす。
「これ、『王家に伝わる国護の指輪』って言われたんだけど、今の話からすると、王家の初代って――」
「アイル様のお父様です」
「お父さんからもらった指輪ってこと?」
「そうなるでしょうね」
「……」
何代も前から伝わっている由緒正しい逸品だと思ったのに。気が抜けてがっくりと肩が落ちる。
「困ったものです」
再度、ティリスは左右に首を振った。