3.1LDKの宮殿
「迎えが来たようだ」
アイルが安堵したように微笑む。
その人物は驚くほどの速さで近づいてくる。風を切り裂くように駆け、地面との摩擦すら感じさせない滑らかな動きで。
そして、目の前に立ったとき、驚くべきことに息切れひとつしていなかった。まるで先ほどまでの疾走が幻だったかのようだ。
「アイル様! ご無事でよかったです!」
その人物は、飛びつく勢いでアイルを抱え上げ、そのままぎゅっと抱きしめた。
「すまん、ティリス。心配をかけた。その代わり、すごい客人を紹介しよう。勇者殿が来てくださったぞ」
アイルが落ち着いた口調で言うと、ティリスと呼ばれた人物はアイルから離れて私に向き直り、丁寧に礼をした。
「これは失礼を。あなたが勇者様なのですね」
顔を上げたティリスの目と合った瞬間、思わず息をのむ。
「……わぉ」
日焼けした肌に、ルビーのように紅い瞳。長い黒髪は背中で結ばれている。
中性的な美しさを持つ青年だ。
「アイル様の従者、ティリスと申します」
「アイリです。一緒にこの美しい国を護りましょう」
――え? さっきまで無理無理言ってたの誰!?
イケメンに脊髄反射して出てしまった言葉に、心の中で全力ツッコミを入れた。
***
街までかなりの距離を歩いたはずなのに、まったく疲れを感じなかった。これもイケメンパワーのなせる技だろうか。
ちなみに、アイルはティリスにおんぶされ、街に着くまでぐっすり眠っていた。
途中、ティリスに持っていたバットについて尋ねられた。
「それは勇者様の武器ですか?」
「これは武器じゃなくて、ホームランを打ったり、ランナーを進塁させたりする道具です」
と説明したものの、伝わったかどうかは怪しい。
街に足を踏み入れると、石造りの家々が立ち並んでいた。どの家も平屋で、おそらく2DKほどの広さ。
塀や垣根で区切られることはなく、窓やドアはほとんど開いている。治安が良いのだろう。
ティリスはいくつも並ぶ石造りの家のひとつの前で立ち止まった。
「こちらがアイル様の宮殿です」
だが、他の家と比べて特別大きいわけでも、豪華なわけでもない。宮殿と呼ぶには――いや、どう考えても質素すぎる外観だった。
もちろん口には出さなかったが、表情には出ていたのだろう。
「我が王は清貧を尊ばれているのです」
ティリスにやんわりと指摘され、慌てて否定する。
「あ、いえ、そんなつもりでは……」
慌てれば慌てるほど図星だと認めることになるのに。自分のバカ……。
玄関をくぐると、すぐに居間らしき部屋が現れた。8畳ほどのスペースの半分にテーブルと椅子が2脚。残り半分にはカーペットが敷かれている。台所との間に仕切りはなく、カウンターキッチンになっている。
左右の壁に1枚ずつ扉がある。1つがバス・トイレだとして、部屋数は1つか。
1LDKの宮殿なんて聞いたことがない。いや、また顔に出るから考えるのはやめよう。
「んー……着いたか」
アイルが目を覚ます。
「はい、アイル様。お疲れさまでした」
おんぶされて寝こけてたのに疲れてるわけないよね、と思ったけどもちろん言わない。
「ぼくはもう少し寝るよ」
まだ眠いのか、目をこすりながら左の扉を開けて入っていった。どうやら寝室のようだ。
その扉には1枚の紙が貼ってあり、中央に小さな丸、それを囲むように大きな丸が5つ描かれている。花のモチーフだろうか。
「日本の桜に似ていますね」
紙を指さして言うと、ティリスは少し寂しそうな笑みを浮かべた。
「これはこの国の地図です。真ん中がエルドロウ。そして周囲に、カーラ、キース、クレイズ、ケセラ、ココスの5つの国があります」
「最後にファミレス来た!」
「ふぁみれす……?」
しまった。思いつきで喋る悪い癖が出た。
「なんでもないです。それより、この国、周り全部から狙われてるんですか?」
「比較的平和的に同盟を持ちかけてきているのはケセラとココスですが、クレイズは明日にでも軍を差し向けかねません」
ティリスは地図上の丸を一つ一つ指さしながら説明してくれる。
「カーラは状況を見て、自国に最も有利な立ち回りをしようとしていますね。キースは何を考えているのか、まったく読めません」
正直、どうすればいいのかさっぱりわからない。ただ一つ確かなのは、ティリスの見た目がどストライクだということだけだ。
「勇者様。お茶を淹れますね」
「はい、あ、あの……私のことはアイリと呼んでください」
「……」
沈黙が落ちる。もしかして……。
「王様と名前が似てるから、呼びにくいとか?」
こくり、と頷かれてしまった。
「まあ、それはおいおいで」
「雑ですね」
反応まで一緒か。
「ティリス……さんは、アイルの従者なんですよね。従者って、具体的にどんなお仕事なんですか?」
「ティリスでいいです。俺の務めは、アイル様と、その国を護ること。アイル様のためなら、この命、惜しむ理由はありません」
忠義を擬人化したような家臣だ。忠臣蔵に登場する47士も、ティリスみたいな人たちだったのだろうか。
「恋人はいますか?」
しまった。遠回しに聞くつもりが、ストレートに質問してしまった。
「それは、国を救うのに必要な質問ですか?」
「いえ、単なる好奇心です。お茶、飲みます」
ティリスの淹れてくれたお茶は初めて飲む味だったけど美味しかった。湯気の立つカップを両手で包み込み、そっと口をつける。ほのかな苦みと甘み。たぶん何かの草のお茶。
ほう、と一息ついていると、ティリスが私をじっと見ていた。
「な、なにか?」
イケメンに見つめられるとドキドキする。まさか告白? 早くない? 返事はどうしよう、とテストの残り時間1分を切った時と同じレベルで思考が回転する。
「服、用意しましょうか?」
「ごめんなさい、まだ会ったばかりであなたのことよくわからないし――って、え?」
「ずいぶん汚れてしまったようだから」
盛大な勘違いはスルーされる。
そういえば、森で野宿した上に歩き回ったから結構な汚れ具合だ。制服の袖を持ち上げると、泥の跡がくっきりと残っている。髪の毛も、ところどころ草や小枝が絡んでいた。
「ありがとう。でも、この服を着ていたいの。お洗濯させてもらえる?」
「承知しました。大切なお召し物なんですね」
「まあね。制服はJKのステータスだもん」
「じぇいけーとは?」
「とにかくキラキラしてる生き物よ」
洗濯している間はこれを、とたっぷりした布の服を渡される。弥生時代の衣装みたいにシンプルだ。
「着替える前に……お風呂に入れたりしますか?」
この世界にお風呂の概念はあるのだろうか、と思いつつ恐る恐る聞いてみる。ティリスは疑問を返すことなく頷くと、アイルが入って行った扉の向かいの扉を指さした。
「どうぞ、こちらです」
「助かります」
ひゃっほーう! と叫びたいのをこらえ、優雅に頷き返してみせた自分グッジョブ。