24.集結
夜。ティリスが帰宅すると、1LDKの宮殿は私とアイルの2人だけになった。
キッチンではアイルがまな板に向かい、慎重に野菜の皮を剥いている。
「ティリスがいない日は、自分でやらなきゃだからな」
危なっかしい手つきでナイフを動かしながら、アイルが微笑む。その仕草がどこかぎこちなくて、お手伝いをしている子どものようだ。
「えらいぞー」
無意識に手を伸ばし、ふわりと金色の髪を撫でた。
その瞬間――。
「……っ!」
手首をがしっと掴まれた。その力が思いのほか強くて、思わずうろたえてしまう。
「だから、いつまでも子ども扱いするなって」
低い声と、斜め上からの睨むような視線。
心臓が跳ねた。やばい、かっこいい。かわいいからかっこいいへ、見事にバージョンアップしている。
慌てて目をそらしながら、小さく深呼吸。
「そんなこと言われても、こっちでは10年経ったのかもしれないけど、私の世界では10日しか経ってないもの」
アイルの急激な進化に、感情が追いつかない。
「ほんとに、アイリなんだな。会いたかった」
言うと、掴んだ手を引き寄せられ、そのままぎゅっと抱きしめられた。
「ちょ、アイル――!」
「早く、今のぼくに慣れて」
全身が心臓になったような感覚。自分の鼓動がやけに大きく聴こえる。
「ぜ、善処します」
政治家の答弁みたいな言葉しか出てこなかった。
「ほんと、アイリは変わってないな」
アイルは手を離すと、何事もなかったかのように野菜の皮剥きを再開した。
「だから、10日しか経ってないんだってば」
さっきから鼓動がうるさい。心筋梗塞で倒れたりしないよね? 鎮まれ私の心臓……。
夕食が完成し、テーブルにつく。
「王様なんだから、家政婦とかメイドさんとか執事とか雇えばいいのに」
軽く冗談めかして言うと、アイルはムッとした表情になった。
「それは、遠回しにぼくの料理が不味いと言ってるのか?」
「察しのいい男はモテないわよ」
「じゃあ、アイリが作ればいい」
不機嫌な表情を引っ込め、今度は涼しい顔でさらりと言う。
「王様がご所望なら」
にっこり微笑んでみるが、内心は焦っていた。スキンケアなら得意だけど、料理なんてしたことない。
バレる前にとっとと問題を片付けて、元の世界に帰らなくちゃ。
なのに、さっきのアイルの手の感触が消えなくて……。ドキドキする自分の心臓の音だけが、耳の奥に響いている。
そんな私を、アイルがじっと見つめていた。
「……な、何?」
視線をそらすと、すぐにアイルの指先が私の髪に触れた。
「ソース、ついてる」
ちょいちょいと毛先を引っ張るように拭ってくれる。髪の毛には神経が通っていないはずなのに、なぜか熱を感じる。
「なんでこんなとこにつくんだ? おっちょこちょいだな」
くすくす笑うアイルの顔が近い。もちろん私は直視できずに目をそらした。
「それって、子ども扱いした仕返し?」
そんな私をからかうように、アイルは低い声で言った。
「うん。でも、子どもっぽいアイリも嫌いじゃない」
耳が熱い。あらためてアイルの成長を実感する。声変わりもしたのか。
これじゃ心臓がもたないから、ますます早く問題を片付けないと――。
***
翌朝。朝食を終えたタイミングで、客人が現れた。
玄関に立つ美しい少女。銀色の髪に、透き通るような青い瞳。水の精霊のような姿に見覚えがある。
「サシャ?」
ココスの使者。成長してなお変わらぬ美貌、いや、以前よりもさらに磨きがかかっている。
「お久しぶりです、アイリ様。またお目にかかれて嬉しいですわ」
優雅に微笑むサシャに、アイルがむっとした顔で割り込む。
「ちょっと待て。なんで僕はわからなかったのに、サシャはわかるんだ?」
拗ねたような声音。面倒なのでスルー。
「よかった、ちょうど会いたかった。力を貸してほしいの」
「もちろん、そのつもりですわ。アイル様のピンチは私のピンチですから」
サシャが優雅に一礼する。その仕草も前に会った時より洗練されている。
「できればジュールにも力を借りたいんだけど」
と、同盟国であるはずのクレイズ王の名を出す。サシャは静かに首を振った。
「無理ですわね。エルド湖の水をケセラが独り占めしてから、美容禁断症状で寝込んでいますの」
「……」
あの美容男子め。肝心な時に役立たずとは。
その時、別の声が聞こえてきた。聞き覚えのある声。
「アイリ。我がキースとカーラは準備万端ですよ」
王女ティリス登場。
漆黒のマントを翻し、整った顔に真っ赤な瞳。ほんといつ見てもイケメン。見目麗しいって言葉がしっくりくるわ。
「よっしゃ、行きますか」
立ち上がった私に、ティリスがバットを差し出す。ちゃんと持っててくれたんだ。
「ありがと、ティリス」
しっかりと受け取る。掌に馴染む感触。
「ぼくも戦う!」
アイルが立ち上がった。しっかりと帯剣している。
「ダーメ、子どもはお留守番……」
と、言いかけて思い出す。アイルの目線は私より高い。その目には以前の幼さはなく、王としての威厳らしきものが宿っているように見えなくもない。
「え、なに?」
「な、なんでもない! すっかり王様らしくなったなって思ったの!」
無意識に頭をなでそうになり、ハッとして手を止める。いかんいかん。アイルの大人バージョンにぜんぜん慣れない。
そんな私の心中を察したのか、アイルが薄い笑みを浮かべた。
「今度はぼくがアイリを守るよ」
鼓動が速くなる。これ以上オーバーワークしたら倒れるんじゃないか?
「――?」
その時、突き刺さるような視線を感じた。振り返ると、サシャが氷のような目で睨んでいる。
いつかのサシャの言葉を思い出す。「アイル様は渡しません」、と。
あの時はバカバカしいと思っていた。お子さまは恋愛対象外だったのに、まさかこんなことになるなんて。
――って、今はそれどころじゃない。集中しなくちゃ。
「行くわよ! バベルの塔を崩しに!」




