22.帰還、そして
周囲の国との同盟交渉がまとまり、1LDKの王宮には落ち着いた日々が訪れていた。
アイルはその勤勉さで、返却の祈りを履修してくれた。
――そして、今日。
私は庭に描かれた魔法陣の上に立っている。気持ちは晴れ晴れとしている。
「じゃ、帰るねー。ばいばーい」
まるで旅先から帰る友人に別れを告げるかのように、軽やかに手を振る。
「あっさりしたものですね」
ティリスが呆れたようにため息をつく。でも、その瞳にはどこか寂しさが滲んで――いる、と思いたい。いるはずだ。きっとそう。
キースでの一件の後、アイルは責めたり咎めたりすることもなく、ティリスを迎えた。まあ、実害はなかったから結果オーライだ。
隣に立つアイルが眉をひそめる。
「本当に帰るのか?」
「うん。だってもう役目は終わったもん」
私はくすっと笑い、アイルの青い瞳を見つめた。
「でもさ、召喚も返却も自由自在でしょ? 困ったらまた呼んでもいいよ。あ、ジャクロウさんにもよろしくね!」
冗談めかして言ったつもりだったけど、アイルは真剣な眼差しで私を見つめてくる。
「なんと礼を言っていいか……。アイリがいなかったら、この国は滅びていた」
「大げさだなぁ」
私は苦笑する。でも、アイルの目は本気だった。
だから、少しだけ声を落として言った。
「アイルなら大丈夫よ。私が保証する」
ふわふわの金髪をなでる。アイルがくすぐったそうに首をすくめた。
「アイリ……」
アイルが泣きそうな目で見上げる。青い目がうるうるしている。
「あなたには、本当にお世話になりました」
ティリスが静かに言った。
私はティリスの方を向き、手に持っていたバットを差し出す。
「これ、預かってもらえる?」
「……え?」
「もう戦う必要もないし。ティリスに持っててもらいたい」
キャプテンは野球やめたって言ってるし。
ティリスはしばらくバットを見つめた後、大事そうに受け取ってくれた。
「お預かりします」
「頼んだ」
私はふと手元の指輪に目を落とした。
「そうだ、アイル。これ……」
右手の薬指にはめていた指輪を外し、アイルに差し出す。
「返すね。もともと、アイルのものだし」
アイルは指輪を受け取ると、青い目を細めた。
「ダメだよ、アイリ。これは君のものだ。……ずっと、君に持っていてほしい」
言って、アイルは私の左手をそっと取る。
「だから、返すよ」
指輪を私の左手の薬指にはめる。どこで覚えてきたんだか……。
「それに、子どもはワガママを言うものだろ」
見ると、アイルは照れくさそうに笑っていた。ほんと可愛いんだから。
「わかった」
言って、腰をかがめ、アイルの額にそっとキスを落とした。
「アイリ……」
ウェットな別れは好みじゃない。だから、私は明るく笑った。
「それじゃ、行くね!」
「ありがとう、アイリ!」
アイルが手を振る。ティリスも手を振っている。
手を振り返す私の周りに光が溢れる。
――だが、その瞬間、ふと疑問が浮かんだ。
あれ? そういえば、クレイズで襲ってきた刺客って、どこの国の――?
考えがまとまるよりも早く、視界は白い光に飲み込まれた。
***
気がつくと、目の前には野球部の荷物の山があった。グローブやユニフォームが乱雑に積まれている。
私の手にはバットではなくスマホが握られていた。スリープ画面には変わらない日常の証明のように、いつもの時刻とバッテリー残量が表示されている。
「帰ってきたんだ……!」
安堵のあまり、周りに聞こえないように小さく呟く。指先が震える。現実感が足元から込み上げてくる。
髪に触れてみる。よし、サラサラのままだ。頬を撫でる。よっしゃ、すべすべしてる気がする。
つまり、エルドロウでの日々は夢じゃない!
そして、何よりも確かな証拠が、左手の薬指に光る指輪だ。2代前から王家に伝わる由緒正しき指輪。
――と、その時。
「おう、お待たせ」「お待たせー」
部室の入り口から、野球部員たちの元気な声が響いてきた。どやどやと懐かしい面々が戻ってくる。
そうだった。練習試合が終わり、ミーティングがあったんだっけ。
そういえば、と周囲を見渡す。いつもの仲間たち、いつもの光景。だけど――。
「あれ、キャプテンは?」
恐る恐る問いかける。すると、副キャプテンが少し困ったような顔をした。
「ミーティングの途中でいなくなったんだ。トイレかと思って待ってたんだけど、戻ってこなくてさ。結局、ミーティングも切り上げた」
「そう、ですか……」
「棚橋、お前、見てないか?」
見てる。見たんだ。異世界のクレイズという国で。でも、そんなこと、言えるはずがない。
「……見てないです」
この日から、この世界のキャプテンは行方不明になった。
***
またよしこの機嫌が悪くなったり、マジェリンがタマゴを生まなくなったら呼ばれるだろうと思っているうちに、10日ほどが過ぎた。
キャプテンが行方不明になったことで、学校は大騒ぎだ。事件や事故、家出など、いろいろな憶測が飛び交っている。
私だけが真実を知っている。でも、言えないし、言ったところで誰も信じてはくれないだろう。
学校帰り、そんなことを考えながら建築中のマンションの前を通りかかる。
――ガコンッ!
重いものがぶつかり合うような音と、足元に伝わる振動。何? と思った瞬間、頭上から叫び声が降ってきた。
「危ない!」
――え?
反射的に顔を上げる。黒くて巨大な何かが、ぐらりと傾き――次の瞬間、猛スピードで落下してくる。
――なにこれ、鉄骨? え、ぶつかる?
と、思った瞬間。
視界が真っ白に弾け飛んだ。




