15.出立前夜
確かに優しそうな両親だ。だが、その実、アイルに王位を押し付け、自分たちは好きな研究に没頭しているなんて。
こんな幼い子に、国を背負わせて。本来なら、まだ親と一緒に暮らし、甘える年頃のはずなのに。
私の世界なら――これは育児放棄、ネグレクトと呼ばれるものだ。
不意に、視線を感じた。
アイル父、先代の国王と目が合う。思わず息を呑んだ。まるで、心の内を見透かされたようで、慌てて目をそらした。
「勇者様――」
アイル父の声が静かに響く。
「あなたは、私たちがアイルに国を押し付けたと思っておられますね?」
やばい、顔に出ていた。
「え、あ、……はい」
取り繕うつもりだった。しかし、口をついたのは、まぎれもない本音。ええい、私の正直者め!
アイル父とアイル母は、互いに視線を交わすと、きまり悪そうに苦笑した。そして、私を見て穏やかに切り出す。
「そう見えても仕方ないと思います。でも、これだけは信じてください」
ひと呼吸おき、アイル父は私をまっすぐに見つめる。
「アイルは、優れた王の器なのです」
……うわ。自分が無能だって認めちゃってるよ、この人。引く。さすがに引く。
「そんな理由で、アイルを1人にしてるんですか?」
あ、また考えなしに言っちゃった。自分の声にトゲがあるのは、自分でもよくわかった。
「いいんだ、アイリ」
アイルが私をたしなめる。落ち着いた、大人の声で。
「それに、ぼくは1人じゃないから」
アイルは仕方なさそうに微笑んだ。その表情はまるですべてを理解し、受け入れているようだ。どちらが大人でどちらが子どもか分からない。
アイルの両親に何か追加で言ってやろうと思ったけど、その表情を見たら、やめておこうと思った。
「かっこいい勇者様を召喚できてよかったね」
アイルの父が、満足げに笑いながら言う。
「まったく、父上は……」
アイルは苦笑しながら両親を交互に見つめ、静かに息をつく。
「さて、そろそろ行こう。よしこを探さないと」
私はふと我に返り、周囲を見回しながら言った。
「よしこちゃんなら、さっきティリスが連れて歩いてたわよ」
アイル母の言葉に、思わず肩の力が抜けた。それを早く言え、それを。……いや、待てよ。そもそも、よしこを探しに来たって言ってなかったんだっけ。
「本当ですか?」
「ええ。少し前に、家の窓から見えたの。あの色は見間違えようがないわ」
ですよね、と、そこは心の底から同意する。
「ありがとうございます、母上。――行こう、アイリ」
アイルに促され、歩き出す。その前に。
「あの、アイルのお父さんとお母さん」
できるだけトゲを隠して、静かに言葉を発した。
「アイルが困ってたら、助けに来てくださいね」
「もちろんだよ」「もちろんよ」
2人は迷いなく頷いた。その笑顔は屈託なく、偽りのないものに見えた。
建物が見えなくなるまで、私たちは無言で歩き続けた。
ふいに、アイルが足を止める。
「……」
小さく息を吐く音が聞こえた。それ以上、何も言わない。
――子どもでいたくても、子どもでいられなかったんだね。
よしよし、と心の中で呟きながら、そっとアイルの頭を撫でた。
「な、なんだ?」
「なんでもないよ」
せめて、私といるときくらいは、子どもでいられるといいな。
そう願いながら、歩みを進めた。
ほどなくして、山を下りきる前にティリスとよしこに追いついた。
「よしこーー!」
思わず駆け寄り、首に抱きつく。
「また、あんたって子は……心配かけて!」
ちなみに、農場に帰ったときのジャクロウの喜びようは、私の比ではなかった。
***
家に帰るころには、すでに日が落ちていた。淡い夕闇が地平線を染め、静寂があたりを包み込む。
今日の出発は諦め、明日に持ち越すことにした。
夕食を終えた後は、恒例となりつつあるブリーフィング。自分でも空回りしているのは分かっているが、何かしていないと落ち着かない。だから仕方ない。
ティリスが食器を片付け終え、椅子に腰掛けたタイミングで、私はおもむろに扉に貼られた地図の前に立った。
アイルは手のひらにのせたみかんのような果物を器用に剥きながら、こちらを見ている。
「えー、というわけで」
ティリスから借りたペンを手に取り、地図の中心にある小さなマルの上に、巻き毛の少年のイラストを描く。アイルのつもりだ。
この国の文字は書けない。でも絵なら描ける。イラストは万国共通――いや、万世界共通だ。
「それはぼくか? 上手だな」
アイルはまんざらでもないという顔で頷いた。どうやら気に入ってくれたらしい。
「で、ここがカーラだったよね」
地図のエルドロウの真上に「KALA」と書き込む。そこから時計回りに、ティリスに教わったとおりにペンを進める。
右上がキース。「KEITH」。たぶん、こんな綴り。
右下がクレイズ。「CRAZE」かな。野球部にいそうな雰囲気の男子を描く。モデルはキャプテン。イケメンにしようとして、つい力が入る。
左下がケセラ。「QUESERA」で。ミミとハナのイラストを並べる。同じ顔を2つ。双子なので。
左上がココス。綴りは「COCOS」一択。ここはサシャ。感じの良い子だったし、可愛らしく描いた。
「私たちが目指すのがここ、クレイズ」
キャプテンのイラストを描いた右下のマルを、ペン先でトントンとつつく。
「今日越えた山を抜ければ着くんだよね?」
「まあ、そうだな。クレイズの首都まで順調に行けば4~5日ってところか」
アイルがみかんっぽい果物をもぐもぐしながら答える。
「どんな国なの? 何か知ってることある?」
まずは情報収集から。
「そうだな……クレイズの王は、ぼくが王位継承するときの式に来てくれたんだが」
おっと。いきなり王エピソード。
「ニキビができて気にしていた」
「……」
「あと、寒くなると手がカサカサになると言っていた」
「……」
「それから枝毛が――」
そんな情報いらん。けど、口には出さなかった。
「ティリスは、何か知ってることある?」
回答者チェンジ。まだ何か思い出そうと天井を見上げているアイルから視線を外し、ティリスに水を向ける。
「クレイズの民は、もともと戦いを好まないと聞いたことがあります。でも、今の王が即位してから、他国に攻撃的になったらしいと」
まともな情報が返ってきた。さすがティリス。
「その理由はわかる?」
「いえ、俺もそこまでは――」
目を伏せて首を横に振る。普通にやると何でもない仕草なのに、美しい人がやると、愁いを帯びた何とも言えない胸に迫る動作になる。美術の教科書に載れる。
――とか言ってる場合じゃなくて。
「じゃあ、私、お風呂に入って早く寝るね」
山道を歩き続けたせいで足が痛む。
オールインワンの効果を信じて、水瓶の水でしっかりと洗い、念入りにマッサージしてから眠りについた。もちろんカーペットに直寝で。




