14.父と母
往々にして、やる気を出した朝に限って、直前でやる気を削がれる事件が起こるものだ。
お気に入りのメイクでバッチリ決めたのに、朝食の野菜スープのもやしが歯に挟まって取れない、とか。
……だが、それは母の責任ではない。母は私のテンションを下げるために、もやしを投入したわけではないから。
もちろん、もやしを育てた農家さんの責任でもない。もやしはいつだって家計の味方だと母も言っている。安くてあらゆるレシピに使える、ありがたい食材なのだ。
閑話休題。
朝食を終え、敵国の様子を探るべく地図を見ていたところで、突如、あの音が響いた。
ドカドカ(足音)、バタンッ(扉が開く音)
「王様、ティリス様、勇者様ぁぁぁ――!!」
振り返らなくても分かる。
「おお、ジャクロウ。どうした?」
アイルの声はいつもの穏やかな調子だ。
私は心の中で深く息を吐く。
「オラのよしこが、よしこが、いねぐなってしまっただ!」
――よしこトラブル、再び。
敵国偵察に向かう出鼻をくじかれ、少々気が抜けたが、よしこには溺れたところを助けてもらった恩がある。これは恩返しのチャンスかもしれない。
「またよしこか。あいつは冒険好きだからな」
アイルが苦笑する。しかし、その声には微かな焦りが滲んでいた。希少な牛だ。無理もない。
ジャクロウの顔色は青ざめている。
「それが……今回は、クレイズとの国境の山に入って行ってしまったみてえで……」
窓の外を指さす。その山には、アイルの両親が住む別荘があった。たしか、鳥になる研究をしているとかなんとか。
「誰か目撃した者はいるのか?」
「へい。ヨサクがさっき牧場から、山道を歩いてるよしこを見かけたって教えてくれたんでさ」
遠目にも分かるよしこのファンシーカラー。紫と黄緑のツートンは、毒が回った結果とはいえ、防犯的には悪くないのかもしれない。
「急ごう」
アイルが真剣な表情で立ち上がる。
ティリスも無言で頷き、すぐに身支度を整えた。
すでに立っていた私は、相棒のバットをしっかりと握りしめる。
よしこ捜索作戦、開始だ。
***
「先に行け」というアイルの命令に忠実に従ったティリスが風のように駆けていった道を、私とアイルは急いでいた。
と言っても全速力は無理だから、小走り……いや、気持ち的には競歩といったところか。
ローファーは山道を駆けるのに向いていない。ここ数日、平地を歩き回っていたせいで忘れていたけど、石がゴロゴロしている山道を歩くとすぐに足が痛くなる。
「足、痛いのか?」
先を歩くアイルが振り返った。
「まあね。この靴、登山向きじゃないから」
「ジャクロウのところで待っててもいいんだぞ」
アイルが心配そうに私の足元を見る。
「鳥人間が見たい」
……しまった。本音が漏れた。
この山にある別荘で鳥人間の研究をしているという話を聞いてから、どんな人たちなのかと――いや、幼いアイルに王位を譲って研究に打ち込んでいる親の顔が見たかった。
「は?」
アイルが口をぽかんと開ける。自分の親のことだとは思っていないらしい。
「あ、いや、ヨシコは命の恩牛だからさ。今度は私が助けなきゃ」
小さな肩をポンと叩き、アイルを追い越して歩き続ける。
「無理をさせて、すまない」
「子どもはそんなこと気にしなくていいの」
「王様を子ども扱いするな」
「私より背が伸びたら考えてあげるよ」
「まったく無茶を言う――」
「子どもの時期なんて人生のほんのちょっとなんだから、子どもらしくしてなさい」
そんな事を話しながら歩いていると、木々の合間に建物が見えた。
ピンクの壁に水色の屋根。お菓子の家みたいだ。まさか怖い魔女が棲んでたりしないよね。
アイルの足が止まる。
「どうしたの?」
「――父上の別荘だ」
何を思っているのか。アイルは水色の屋根を見つめていた。
……それも、たった数秒の間だけ。
すぐに歩き出した。
「よしこを見てるかもしれない。聞いてみよう」
建物に近づくと、森が開け、ぽっかりと広場が広がっていた。そこだけ木々が後退し、整地された地面が建物を囲んでいる。
その一角で、奇妙なものがゆっくりと動いていた。
巨大なトンボの模型のようなもの。左右に伸びた羽根、中央に細長い胴体。その胴体部分に自転車のようなものがくっついていて、1人の人物が懸命にペダルを漕いでいる。
だが、その必死さに反して車輪の回転は遅い。まるでギアを一番軽くしてしまったかのように、トンボ型の乗り物はのろのろとしか進まない。……何段変速なんだろう。
「父上!」
アイルの声が広場に響いた。かなりの距離があるのに、トンボ型チャリを漕いでいた人物はピタリと動きを止め、驚いたようにこちらを振り向いた。
「アイルじゃないか!」
彼――アイル父は、すぐにトンボ型チャリを降りて駆け寄ってくる。
「遊びに来たのか?」
黒髪に茶色い瞳――アイルにはあまり似ていない。だが、目尻を下げてニコニコと笑うその表情には、どこか親しみやすい雰囲気がある。威厳よりも、温かさを感じさせる人物だった。
「お久しぶりです、父上。これでも、民のために働いているんです」
アイルは穏やかに微笑んだ。
「こちらの方は?」
アイル父の視線が、私に向けられる。
「勇者様です。異世界からの召喚に成功しました」
「ども、棚星愛莉です」
「え、召喚に成功したのか!? すごいじゃないか、アイル! やっぱりアイルはすごいよ!!」
アイル父は目を輝かせ、私を見て拍手、それからアイルに向き直ってまた拍手。
「おーい、ママ! ちょっとこっち来て! アイルが来てるよー!」
ピンクと水色の建物に向かって、勢いよく声を張り上げる。
すると、建物の中から黄金の光が飛び出してきた。
「アイルー!」
まるで宝石がそのまま人の形を取ったような女性――長い金髪の巻き毛が揺れてキラキラと光り輝いている。
これがアイルのお母さんか。マリー・アントワネットに会えたら、こんな感じなんじゃないか?
そして、アイルはお母さん似だったんだな。間違いない。
「母上。ご無沙汰しております」
アイルの声は、いつになく落ち着いていた。見た目にそぐわぬ大人びた響き。
「元気そうで何よりだわ。わたしのアイル、今日も可愛らしいわね」
アイル母は微笑みながら、愛おしげにアイルを抱き上げ、その頬に頬ずりした。
「ちょ、母上、おやめください!」
アイルがもがくが、アイル母は構わずくすくすと笑っている。その様子に、思わず口元が緩みそうになった。
だが、ふと私に気づいたのか、アイル母はアイルを下ろし、私を見て微笑んだ。
「あら、こちらの方は?」
「勇者様です。この国を護るために異世界から召喚しました」
「まあ! アイル、あなたやっぱりすごいわ!」
アイル母の声が弾んだ。すぐにアイル父も加わり、2人でアイルを囲んで楽しそうにしている。
笑顔に満ちた、温かい家族の風景。
けれど――。
私は、彼らを眺めながら、胸の奥にぼんやりした違和感を覚えていた。




