13.白い花は
「アイル様。勇者様の召喚に成功されたのであれば、そろそろ我が国との同盟の話を進めてもよろしいのでは?」
「ん? サシャは政治の話をしに来たのか?」
アイルの眉がわずかに動き、青い目が少しだけ細められる。
アイルは、年相応の無邪気な表情を見せることが多いけれど、時折こうして大人びた顔をするから驚く。
「いえ、まさか。もしそうなら、きちんとアポイントを取って然るべき場を設けますわ」
「そっか。じゃあ、今日は何してたの?」
「エルド湖の恩恵を受けておりましたの」
よく見ると、彼女の銀色の髪から滴る水滴。薄手の衣装は妙に露出が多いと思ったら、水着のようだ。
「あー、分かる。ここの水で顔とか髪洗うと、すっべすべのぴっかぴかになるもんね」
と、私。思わず口を挟んでしまった。
「そうなんですよ。女性として、これを見逃す手はございません」
10歳ぐらいの子どもに言われると、なんか焦るな……。
「私も帰ったら水浴びしようっと」
そう言った私を、サシャは穏やかに微笑みながらじっと見つめた。
「勇者様が女性でよかったです。この湖の価値を本当に理解できるのは、女性だけですもの」
「あー、まあ確かに。でも、私の国には美容系男子もいるよ」
「まあ、美容系男子? どのような方々ですの?」
つい、サシャとの会話に夢中になってしまう。
気づけばアイルは退屈そうにその場をうろうろしていた。先に帰られなくてよかった。
「楽しゅうございました。それでは、また――」
サシャが一礼し、その場を離れる直前。
すれ違いざまに、彼女の言葉が素早く耳に届いた。
「アイル様は渡しませんよ」
思わず息を呑む。言葉を返そうとしたが、私が口を開くよりも早く、サシャは優雅に去ってしまっていた。
言いたかったのは、ただ一言。
――心配ご無用です。
「ん? サシャ、今なんか言ってたか?」
アイルが近寄ってくる。
「今度は一緒に泳ぎましょうって」
「それはいい! ぼくも泳ぎは得意だ」
――昨日、助けてくれなかったくせに。
そう思ったけど、口には出さなかった。
サシャと別れ、少し歩いたところで。
「アイリ、ちょっと待って」
アイルが木々の奥へと歩いていく。草を踏むカサカサという音が耳に届いた。
ほんの数秒。
やがて、アイルが戻ってきた。その手には白い花が握られている。見覚えがあった。昨日、アイルが私の髪に挿してくれた花。幸せを運ぶ白い花だ。
この花を食べたニワトリのマジェリンは、タマゴを生まなかったのに、驚くことに回復し、速効でタマゴを生んだ。一体なんなの、この花。
「こっち」
手招きされ、自然と身体をかがめる。あれ。このシーンには覚えがある。既視感?
アイルが髪に花をさしてくれる。ほんのりと澄んだ香りがする。
顔を上げると、無邪気な笑顔が目の前にあった。
「やっぱり可愛い」
ふわりと紡がれた台詞。
お人形のように可愛らしい子から「可愛い」なんて言われると、こっちが落ち着かなくなってしまう。そわそわとしながら、「ありがと」と早口で返した。
***
間もなく家が見えてくる、というところで。
もうすでに耳に馴染みつつある、ドカドカという足音が聞こえてきた。慣れ親しんだそのリズムに、揺るぎない確信を持って言い切れる。
ジャクロウの足音だ。面倒ごとは1日1件までにしてほしい。
「1日2ジャクロウはきついわー」
独り言のつもりだったが、思わず口から出てしまった。アイルの視線を感じて慌てて口を抑える。
といっても、今朝は壊れた窓の修理に来てくれたんだっけ。いや、それはそれで助かったんだけど。
「王様ー! 勇者様ぁぁ!!!」
騒々しいことこの上ない。しかし、無視するわけにもいかない。ため息をつきつつも足を止める。
アイルの家の方向から、ジャクロウが走ってきた。少し遅れてティリス。窓の修理は終わったのだろうか。
「す、すまねえっす、また相談なんだども――」
息が上がっている。どうやら全速力で走ってきたらしい。額には汗がにじみ、肩で息をしている。
「どうした、ジャクロウ。慌てなくても逃げないから落ち着け」
アイルが優しく声をかける。その声は穏やかだが、王としての威厳が漂っている。民の前ではこういう一面が出てくるんだな……と、妙に感心してしまう。
「そ、それが、オラのイトコの……ゴンベエの――ゴホゴホッ」
焦って話そうとするから、むせてしまっている。アイルがそっと背中をさする。
つーか……ゴンベエって。ジャクロウにヨサク、どういう世界観なのこれ。
「まさか、赤ちゃんが風邪をひいた、とかじゃないですよね?」
ゴンベさんだけに。
「えぇぇっ!?」
ジャクロウが目を丸くする。
「勇者様、なぜそれを――?」
――ビンゴかよ。あーもう、ほんと、世界観……。
「すごいな、アイリ」
アイルが感心したように言う。
「アイリは何でもご存じなんですね」
ティリスまで、感嘆の声を上げる。
仕方ないので適当に笑ってごまかしつつ、全てお見通しですよ、という表情を作って言った。
「なるべく急いで湿布しなさい」
「はぁ、湿布とは?」
……ああ、そうか。この世界にはないのか。
何か代わりになるものがあればいいんだけど……と考えた瞬間、ふと気づく。
湖のほとりに生えていた花。今、私の髪に挿してある白い花。ハーブのような香りがする。
もしかして……薬草?
「アイル、せっかくくれたのにごめんね」
先に謝りながら、髪から花を外す。白く繊細な花びらから、澄んだ香りが広がる。
「これ、たぶん薬草だと思う。効くかどうかは分からないけど、試してみて」
「ありがとうございます! ゴンベエに伝えます!!」
ジャクロウはぴょこんと跳ねると、白い花を大事そうに抱えてバタバタと駆けていった。
――本当に騒々しい。
その背中を見送っていると、アイルがふっと微笑み、私の手を取った。
「さすがアイリ、勇者としてこれ以上ない働きだ。ぼくは嬉しい」
「……あーあ、せっかくお姫様気分だったのに」
「花ならまた摘んでやろう。アイリの頭が隠れるくらい、な」
そう言いながら、アイルは真剣な顔で両腕を大きく広げた。
隣にいたティリスが、その両手の間と私の顔をじっと見比べる。どうやら、本気で目測しているらしい。
「わたしの頭、そんなに大きくないから!」
***
夜。
ジャクロウが窓を直してくれたおかげで、夜風に震えずに過ごせるのは助かる。
しかし、だ。
アイルを狙った刺客が現れ、暴れまわったのには参った。まさか、こんなに続けざまに命を狙われるとは。もしこんなことが続いたら、たまったもんじゃない。
てゆーか、だ。
「このままじゃ、私、家畜相談員になってしまうわ!」
異世界に召喚された勇者として、私の使命が牛の機嫌を取ることや、羊の毛刈りであっていいはずがない。絶対に、そんなはずはない。
普通なら、魔王と戦い国を救うとか、絶世の美女の姫を助けて結婚し、王となる――いや、私の場合は超絶イケメンの王を助けて結婚し、王妃になるのが筋では?
超絶イケメンの王――?
無意識に視線のピントがアイルに合った。
私のなけなしの語彙力では「ビスクドール」と表現するのが精一杯だが、それ以外に言いようがないほど整った顔立ち。
ゆるくカールした金髪は常にキューティクルが主張してキラキラ輝いている。宝石のように透き通った青い瞳、陶器のような白い肌。まるで芸術品だ。
あと10年――いや、せめて8年。このまま育てば、直視できないほどの美青年になるはず。
「国民の大半が酪農業に従事している我が国において、家畜の相談は重要な仕事だぞ?」
アイルは、まるで教師のような落ち着いた口調で言う。その口調から日本史の教師を思い出し、イラっとしてしまった。
「とにかく、今朝の刺客から敵の正体が判明したんだから、明日には偵察に行くわよ!」
私はバットをぎゅっと握りしめ、扉に貼られた地図を指さして宣言した。




