11.奇襲、再び
朝、目を覚ますと、肌がいつになく滑らかだった。
昨夜まで気になっていたニキビの跡は影も形もなく、頬を撫でると、すべすべした感触が指先に伝わる。思わずもう片方の手でも触れてみると、確信した。
……エルド湖のご利益かも。
昨日、思いがけず全身で湖に浸かった。それが、こんなにも劇的な効果をもたらすとは。
髪の調子も申し分ない。指を通せばするりと流れ、まるでJKには手が出せない高価なヘアパックをした後のようだ。
「エルド湖の水って……オールインワン?」
呟きながら、窓ガラスに映る自分を覗き込む。鏡ほど鮮明ではないが、それでも分かる。透明感のある白い肌と絹糸のような黒い髪。明らかにビジュアルが上がっている。
「こりゃ、浮かれてもしょうがないよね……」
元の世界に戻ったら、アイドルのオーディションでも受けようか。いや、歌もダンスもできないから、モデルか女優のほうが向いているかも。写真を撮られるのには自信がある。
「どうかしましたか?」
低く落ち着いた声が部屋の隅から聞こえた。
振り向くと、ティリスがキッチンスペースでジャガイモのような丸い野菜の皮をむいている。
手元を見ず、私に目を向けながらも、器用にナイフを動かしている。よそ見しながらあの技術力とは、さすがだ。
「あ、ううん。水って大事だなーって思ってさ」
「……?」
ティリスは一瞬、眉をひそめたが、特に何も言わず作業に戻った。
――バタン。
扉が開く音に振り向くと、アイルが姿を現した。
「おはよー、2人とも。いつも早いね」
その時。
――ガシャンッ!!
鋭い破壊音が響いた。
本能的にアイルの腕を引き、抱き寄せながら壁際へと飛びのく。ティリスも瞬時に私の隣に移動してきた。
砕けたガラスの破片が床に散らばる。割れた窓の向こう、黒い影が3つ、ゆらりと揺れながら侵入してくる。
見覚えのある顔。
――やっすいワインの連中。
前回は指をくわえて見逃してしまった。今度は同じ過ちを繰り返すもんか。
この世界に呼ばれたのは、きっと意味がある。偶然バットを持ってきたわけじゃないし、アイルが王家に伝わる指輪をくれたのも、必然だったはず。
「アイルをお願い」
ティリスにアイルを託し、傍らに立てかけてあったバットを握る。
私がアイルとティリスを守る。髪と肌の調子がいいJKは、世界最強なんだから。
両手でバットを構える。指輪の力で剣へと変化するはず。
3人の刺客がじりじりと距離を詰めてくる。
私は1歩、後ろに下がる。
――剣になれ。早く……!
もう1歩下がった瞬間、何か柔らかいものを踏んだ。
「いたっ!」
アイルの声だ。
「あ、ごめん! つーか、これ剣になるはずだよね!? 呪文とかいるんだっけ!?」
「ぼ、ぼくに聞くな! アイリが知ってると思ってた!」
――やばい。見切り発車だった。
戦う意思があれば自動で剣に変わると思っていたけど、どうやら違うらしい。
ティリスが先に動いた。瞬時に間合いを詰め、敵の1人に鋭い蹴りを叩き込む。
相手が怯んだ隙に私もバットを振るったが、相手の武器に弾かれた。やっすいワインのくせに思ったよりも重い。
一撃を受け流しながら、ティリスと背中合わせになる。
「剣はどうしました?」
「今変えてる途中!」
「途中ってなんですか!」
「お願い! 今変わらないとマジでヤバい!!」
祈るように指輪を握りしめる。
すると――。
指輪が眩い光を放ち、バットが剣へと変化した。
「よしきた!」
構え直し、突撃する。
「こしゃくなーー!!」
人生で初めて叫ぶセリフ。口にする機会が訪れるとは思っていなかった。
刹那、刺客の武器と私の剣がぶつかり合う。その瞬間、相手の刃は粉々に砕け散った。やっぱりやっすいワインだったわ。
目の前で武器が砕け散った瞬間、刺客の目の色が恐怖に染まった。2人はあっという間に窓から飛び出して走り去っていった。
逃げ遅れたのは1人。私はその腕をつかんだ。
「動くな」
黒い布の奥の目に絶望が浮かんだ。逃げるのは諦めたらしい。
黒い布を引き剥がすと、そこにいたのは意外にも若い少年だった。日焼けした肌に短く刈り込まれた髪。どこの野球部にもいそうな少年。
「お前、どこから来たの?」
無言。
「目的は?」
引き続き無言。
「言わないと、どうなるか分かってるよね?」
「そんな脅しに屈すると思うか!」
やっとしゃべった。
「そっか、なら仕方ないね」
ポケットからグミを取り出す。
「私の国の拷問では、これを使うのよ」
真っ赤なイチゴ味のグミを少年の目の前に突きつける。
「これを食べたら、全身の穴という穴から血が噴き出し、幻覚と幻聴に襲われ、最後には手足が腐っていくんだから」
「そんな馬鹿な! そんな毒があるわけ――」
「試してみる?」
グミをそっと指で弾くようにして、少年の口元へ近づける。
「う、うわぁぁぁ! やめてくれ!!」
落ちた。
少年の口から出たのは、クレイズの国名。そしてアイル暗殺計画。
アイルは驚いてはいなかった。ただ、その表情には、隠しきれない悲しみがにじんでいた。
「国に帰ったら、一番偉い人に伝えなさい。二度と来るな、ばーか! って」
窓から蹴り出す。
「アイリ、キャラ変わりました?」
ティリスが呆れ顔で見ている。
「だって、女優ですもの」
そう、私は女優。何者にだってなれるのよ。
「アイリが怖い……」
涙目になったアイルの目の高さにしゃがみこみ、優しく頭を撫でた。
「人はね、守りたいもののためには鬼にだってなれるのよ」
***
「えー、まあ、というわけで……」
砕け散ったガラスの破片は片付けたものの、窓が割れたままなので外の風がそよそよと吹き込んでくる。
今はまだ暖かいけど、これが冬だったら確実に凍えるな。早く修理しないと。
「このまま襲われて、守って、を繰り返しても埒が明かないと思うんだ」
そう言いながら、ポケットから最後のグミを取り出し、アイルとティリスに差し出す。
アイルは以前食べたことがあるから、迷わず口に放り込んだ。ティリスは警戒するようにグミを見つめていたが、アイルが美味しそうに頬張るのを見て、おそるおそる口に入れる。
ぱあっと笑顔が広がった。いつもはクールなティリスが、甘いものでこんな表情を見せるなんて――やっぱり女の子なんだな。
「こないだも言ったけど、こちらから仕掛けないと」
「具体的には?」
と、アイル。
「まずは情報を集める。クレイズの戦力がどれほどかわからないけど、あんな子どもを刺客として送り込んでくるくらいだから、兵士の数はあまり多くないんじゃないかと思う」
扉に貼られている地図の前で腕を組む。
「とはいえ、まともに戦えばこちらが圧倒的に不利。できれば数の差が関係ない一騎打ちで決めたいけど……暗殺を仕掛けるような国が正々堂々と戦うとは思えない」
考えながら部屋を歩く。コツコツと床を踏みしめる音が、思考を整理するリズムになっていた。
「となると、やはり奇襲攻撃しかない。相手をリサーチして、最も効果的な一手を打つのが得策ね」
「アイリ、すごいやる気出してるね」
アイルが不思議そうに私を見つめる。
「だって、アイルに何かあったら嫌だから」
帰る手段がなくなってしまう、というのが本音。でも、アイルは驚いたように目を見開き、私をじっと見つめてきた。




