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10.マジェリン

 生渇きの制服をまとい、ジャクロウの農場に立ち寄った。


 この世で最も着たくない服は、生渇きの制服かもしれない。びしょ濡れならまだ諦めもつくのに、半端に乾きかけているせいで、もしかしてもう乾いたかと期待してしまう。


 期待を持たせておいて裏切る。最悪だ、生渇きの制服よ。


 農場の敷地に足を踏み入れると、ジャクロウが私たちを見つけ、勢いよく駆け寄ってきた。


「よしこ! おまえ、またいなくなって! 心配したんだぞ!」


 叱責するような口調だが、彼の涙目と、よしこの首にしがみつく姿が、何よりも彼の本心を物語っていた。


 ……帰ってきて嬉しいんだな。


「まあ、そう叱るな。よしこのおかげで助かったんだ」


 アイルがなだめる。ジャクロウが本気で怒っているわけではないことは、明らかだった。


「王様、ありがとうございます。もう少し探して見つからなかったら、勇者様に助けてもらおうと思っていたところです」


 また頼られるところだった。先回りして解決したというわけか。まあ、いい。


「私もよしこのおかげで助かったし。何かあったらいつでも言ってね」


 社交辞令を添えておく。とにかく帰って着替えなければ。


「実は、勇者様に別のご相談が」


 ――え? 早くない? 私まだ生渇きなんですけど。


「では、よしこは俺がエスコートしましょう」


 ティリスがファンシーカラーの牛を引きながら牛舎へ向かう。なんだ、この現実感のない光景。


「で、相談とは?」


 アイルが水を向けると、ジャクロウは牛舎とは反対の建物を指さして言った。


「1羽だけタマゴを生まないんです」


 ニワトリか。案内されるまま建物の中へ。


 中には大量のニワトリがいた。左右の棚状の段に、まるでライブ会場の客席のように並んでいる。


「ずいぶんいるんですね」


「んだ、牛は希少だけど、ニワトリと羊はよく育つんだぁ」


 白や茶色、そしてその中間の色のニワトリたちがひしめいている。紫や黄緑がいないところを見ると、脱走して猛タヌキに襲われた経験はないらしい。


「タマゴを生まないって、そんなに珍しいことなんですか?」


「たまにあるけど、マジェリンに限っては一度もなかったから心配で」


 牛はよしこ、ニワトリはマジェリン。……ジャクロウのネーミングセンスよ。


「って、え? このニワトリたち全部に名前つけてるの?」


「もちろんだぁ。オラの家族だもの」


 まあ、いい。そこはスルーしよう。


 ジャクロウは3階席――いや、3段目の奥にいた白いニワトリを抱きかかえた。この子がマジェリンか。


「普通に体調とかストレスじゃないですか? 元気なんでしょ?」


「元気と言えば元気だ。話しできねえからわがんねけど」


 家族なんだよね……? まあ、ここもスルーで。


「何日か様子見たら、くらいしか言えないなぁ」


 そもそも私は獣医じゃない。勇者の必修科目に獣医師免許があるなら、勇者失格でいいし。


「アイリにも分からないことがあるんだな」


 マジェリンを撫でながら、アイルが意外そうに言う。


「そりゃそーよ。普通のJKだもん」


 軽く返すと、アイルは面白くなさそうに立ち上がり、私を見上げた。


「このマジェリンも含め、ぼくの国の民だ。ぼくにはこの国で暮らすすべての民を守る責務がある」


 真剣な瞳でそれを言われると弱い。何とかしなきゃって思ってしまう。これもアイルの作戦なのだろうか。子どものくせになかなかの策士だ。


「わかった。わかるかどうかわからないけど、ちょっと見せて」


 マジェリンに近づく。真っ白なニワトリ。元気かどうかなんて、見た目じゃわからない。


 そのとき。


 私の髪についていた花を、マジェリンがぱくりと食べた。


 コケーーッ!!


 タマゴを生んだ。


 ……え、なにこれ。幸せを運ぶ花のご利益?


 ていうか、湖に落ちて溺れたのに、まだ髪についてたのすごくない?


 呆然としていると、アイルが誇らしげに言った。


「ほら、やればできる」


「いや、私いまなにもしてないけど……」


 ジャクロウがマジェリンを棚に戻し、マジェリンの生んだタマゴを大事そうに差し出した。


「これを、お礼に。夕食になさってくだせえ」


「あ、ありがとう……」


 生タマゴ1個もらったところで、そのまま飲むぐらいしか使い道が思いつかない。


 ――と、いつのまに戻ってきていたのか、ティリスがそのタマゴを受け取ってにっこりと微笑んだ。


「助かります。ちょうど切らしてたので」


 よかった、丸飲みは免れた。



 ***



 宮殿という名の家に戻り、風呂という名の水浴びをし、夕食までに時間が空いた。手伝いを申し出たが、ティリスに丁重に断られてしまった。


 暇つぶしの定番、素振りでもしようかと玄関に立てかけてあるバットを見る。


 つーか、暇になるたびに素振りしてたら、地元じゃ負け知らずのスラッガーになってしまうわ。


 ふと、視界の隅にアイルの姿が入った。淡い光の下、部屋の奥でカーペットに腹ばいになり、静かに本を読んでいる。


「また、お勉強してるの?」


「学ぶことも王の務めだからな」


 なんて意識高いことを言うのだろう。週末に合コンに行くのが生きがいのうちの担任教師に聞かせてやりたいわ。


 柔らかな金の髪がふわりと肩に流れ、伏せた長い睫毛が青い瞳に影を落とす。上品なビスクドールのようだが、だらりと寝そべった姿勢がその気品を台無しにしていた。


「今日は何の本?」


 アイルが読んでいる本を覗き込む。ページには、魔法陣らしき複雑な図形と、まったく読めない文字がびっしりと記されている。


 私が読めないことを思い出したのか、アイルが澄んだ声で語り出した。


「異世界から呼び出した人間を返却するためには、召喚者と対象者の間で強い因果が結ばれなければならない。世界を異動する祈りには多大な負荷がかかり――」


 ページの一部を指さす。


「これが成功例で――」


 人間らしき形状の図形が描かれていた。続けて別の部分を指さす。


「こっちが失敗例」


 そこには、見るも無惨な歪んだ人型が描かれ、周りに飛び散ってるのは……血、かな。


「え、失敗例とかやめてほしいんだけど。怖っ」


「失敗しないように学ぶんだ」


 いずれ我が身に振りかかると思えば、めちゃくちゃ怖いことが書いてあるっぽい。


 私は本から目を離し、再びアイルの横顔を見た。彼の瞳は真剣そのもの。視線の先は指先が追う文字に注がれている。時折、微かに唇が動き、聞こえないほどの小さな声で何かを呟く。


 その顔は、凛々しく、美しく、そして少しだけ儚い。


 ――惜しい。本当に惜しい。


 これが、カーペットに腹ばいではなく、机とイスに姿勢よく座っていたら100点だったのに。寝転がっているせいでマイナス80点だ。つまり、現状20点。赤点。


 その時、ティリスの声が聞こえてきた。


「食事の用意ができました」


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