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無頼の魔女イシュタル  作者: ふるみ あまた
3章 空の章
95/160

95 問い

 

「いいねぇ~」


 デッキでの一服を終えた大賢者が一人、リビングへと戻ってきて陽気に話しかけてきた。私はソファに座ったまま彼の眉間のあたりを睨みつけた。


「結構怖い顔が出来るんだよなぁ……ま、そこが気に入ってるんだけど」


 大賢者はまったく意に介さず、私の隣にどかりと座り込んだ。


「ニュースなんか見るな。禁止だよ、暗くなるから」


 彼は画面に流れていたニュース番組を勝手に変えて、禁止事項を付け加えた。


「何か用ですか?」

「用がなくちゃ話しかけちゃいかんのか?」


 お馴染みのやり取りはもう何度目だろうか。そっとしておいてほしい時ほど、この男はこうしてちょっかいを出してくる。


「頑張っているみたいだな。いい顔してるよ、今。あと少しで、もう一歩先の世界に行ける。早く来い」

「……アシハラさんに何か聞いたんですか? 何か、他に言っていたりとかは?」


 喫煙所はコミュニケーションスペースでもある。誰かがそんなことを言っていた気もする。デッキで何かあったのかもしれない。そう思った私は藁にもすがる思いで大賢者に尋ねた。


「ああ、今夜はハムだってさ」


 すがったところで藁は藁、大賢者は大賢者だった。私はあえなく思考という大河に流された。


「期待したか?」

「そりゃあ、そうですよ。全然、その……わからなくて」


 正直なところを打ち明けた。アシハラの言っていた事がほとんど何もわかっていない。大賢者ならば何か違ったアプローチをしてくれると内心期待していた。


「当然だ。感じ方は個体によって違う。だけど、お前はわかってきてるよ? 自分で気付けてないだろうけど」

「どういった所が?」

「つまらねぇ事、聞くなよぉ~。なぁ、ゼノ?」

「ピピィ!?」


 大賢者はピィちゃんに話しかけて困惑させた。遠回しに突き放された私は、それならばどうしてこの人は話しかけてきたりしたのかを考えた。本を正すと、なぜこの男は私に転移魔法のスキルアップを命じたのだろう。


「……どうして私に『本当の転移』を学ばせたいと?」

「大所帯になってきただろう? だからお前だけに構えなくなってきちゃって。本当はもっと構いたいのにさぁ、ソフィーまで来ちゃって……もう、おしまいだよ」


 大賢者は天を仰いで深々と嘆息した。


「……私はあなたの玩具じゃないんですけど?」

「そうさ? だからだよ。大賢者は万能じゃない……って、前に同じこと言ったっけ? まあいいや。お前との約束を違えるつもりはないが、万が一に備えて出来ることは多い方がいい」


 大賢者は無尽蔵とも思える体力と魔力、ついでに悪知恵までをも備えている。そこから繰り出される悪趣味な魔法の数々を止められる者などこの世に居やしない。世界はレオナルド・セプティム・アレキサンダーという男の存在を肯定してしまっている。それでもこの男は万全を期す、という。彼のこういった部分に関しては共感でき、尊敬もしている。


 精神統一の際、暗闇の中に浮かび上がる情景はいつも同じだった。この状況を変えなければ進展はできない。


「できるだけ、早く習得したいと思います」

「そっか。期待してるぞ?」

「はい」


 断ち切ったと思っていた過去の後悔が心の奥底にしまい込んだ箱の重い蓋を開けた。私は立ち上がり、行くべき場所へと歩を進めようとした。


「どこ行くんだ?」

「一歩先の世界、ですかね」


 大賢者は笑って私を見送った。





 拠点は雲の海上に浮かび、目的地に向かって一直線に進んでいた。デッキには腕を組んで雲の海を眺めるアシハラと、六角形のガーデンテーブルに座ってアシハラの背中を真顔で見つめるソフィーさんの姿があった。


 私の存在に気づいたソフィーさんは立ち上がると、無言でテントに戻っていった。すれ違いざまに私の肩に手を置いた彼女の顔は笑っていた。


 私はアシハラの背中との距離を詰めた。両手を伸ばせば突き落とせる距離にまで縮めても、その丸くて広い背中は入道雲の山よりも大きく見えた。何から語るべきか。私は言葉を選んでからゆっくりと口を開いた。


「……このまま閉じるべきか、それとも開くべきか。アシハラさんはどちらだと思いますか?」


 悩んだ私は心の在り方について質問した。大賢者もアシハラも開いた状態にある。対して私は閉じている。果たしてこのままでいいのか、この精神状態で先の世界へ進めるのかを聞いた。


「……随分と進んだこと聞いてくるじゃないか。そんなこと、俺がわかるとでも?」

「わからなかったとしても、今のアシハラさんの考えが聞きたいです」

「そうねぇ……とりあえず、座って喋ろうか」


 アシハラは振り返り、私を近くのガーテンテーブルへと誘った。


「さてさてさて、思ったより早かったなぁ……イシュタル殿って、何者なの?」

「ただの一般魔女です」


 答えはそれしかなかった。


「……余程酷い目に遭ったことがあると、俺の目にはそう見えるけど?」


 口外禁止規定。秘匿戦争を生き延びた者たちには例外なくこれが課されている。大賢者の強力な結界によって守られている今ならば、すべてを明るみに出しても何ら問題は無いと予測できた。しかし、実際にあったことをありのまま話す必要はない。私は遠回しに説明することにした。


「アシハラさんは人を殺したことはありますか?」

「その質問には……お答えできないね」


 曖昧な答えだったが、私にはそれで十分だった。少なくともアシハラはその重みを知っているという意味で受け取った。


「自分のミスでパートナーを地獄に叩き落とした魔女がいます。そのミスのせいで敵に囲まれたパートナーは為す術もなくその場で殺され、遺体を穢されました」

「……ミスをした魔女はどうなったの?」

「敵に捕まり拷問は受けましたが、のうのうと生き永らえています」

「どうしてその話をしようと? 単に弱い自分を受け入れてほしいから、というわけではないよね?」

「……前に進みたくなりました。そのためには過去を断ち切る必要があると思って……これ以上は被害者面をすることも、傍観者でもいられない」


 しばしの沈黙が訪れた。アシハラは自らが体験した事を思い出し、その内容を精査しているようだった。それから少し先の未来をイメージしたのか一瞬だけ視線を右上の方へ動かした後、私の目をまっすぐ見つめてから静寂を破った。


「ようするに……瞑想の妨げになっていると。そう思ってるんだね? 残念だけど、それは間違っている」


 はっきりと考えを読まれ、否定された。彼はそのまま話を続けた。


「過去は断ち切るものじゃない。断ち切る必要すらない。そこを通ってきて今があるんだから。そのミスは誰にもどうすることもできなかった。起こるべくして起こったことだと思う。人はそれをミスとは言わない。それに、そのパートナーだってプロだったんでしょう? だったら失礼だよ。あんまり、そんなことばかりを考えても。被害者面? 傍観者? 結構じゃないか。イシュタル殿にはレオナルド殿がおられる。安心して傍観すればいい。嫌なことがあったら、声を大にして被害者面をすればいい。それぐらいが……のうのうと生き永らえた者たちの末路にふさわしいんじゃないかな?」


 魔力の宿ったアシハラの言葉に魂が震わせられた。彼に泣かされるのはこれで2度目。私は直視を避けようとする本能に抗い、お世辞にも綺麗とは言えないその鈍色の瞳を見つめた。


「開くか閉じるかの話なんだけど、人には向き不向きというものがある。イシュタル殿の場合は無理に開かなくてもいいんじゃないかな。どちらが正しいという事もないし」


 アシハラは表情をやわらげて私の問いに答えた。


「落ち着いたら、ここで少し実践してみようか。今ならうまくいきそうな気がする。そんな未来が見えた」


 情けない私は彼の言葉に頷くだけで精いっぱいだった。

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