92 真夜中の反抗期
なるべく物音を立てずに、こっそりと部屋を抜け出た私はダイニングキッチンへと来ていた。時刻は真夜中。このまま真っすぐ進めば大賢者とソフィーさんの部屋があるのだが、心配していた教育上よろしくないであろう騒音はなかった。
その場でホッと胸をなでおろすと、暗いはずの空間の左手の方角から見慣れない色の光が放たれていることに気がついた。光を発していたのはその日キラが欲しがって購入した巨大なテレビだった。
私たちがいつも食事をしているリビングは模様替えが行われていた。中央に配置されていたソファは撤去され、その代わりにテーブルの高さに合わせたL字型のローソファと、壁際にはテレビとスピーカーが追加された。
テレビの光は哀愁のある二つの背中を暗闇の中に浮かび上がらせていた。音は聞こえない。テレビの映像だけを眺めているのだろうか。私はローソファに座る一人と一匹に近づいた。
「まだ起きていたんですか?」
「あ~……? イシュタル殿でしたか……」
まどろんでいたのか、アシハラはむにゃむにゃと口を動かして欠伸を噛んだ。
「……すみません、お疲れでしたよね?」
彼を休ませるためのお惣菜パーティーだったのに、後片付けやらテレビ台の組み立てやら、面倒な事は結局すべてこの人がやってくれていた。
「いやいや、これしきのこと」
「座ってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
言っておいて一瞬どちらに座るか悩んだ私は、とりあえずサラマンダー君の隣に座ることにした。私がソファに座るとサラマンダー君は仰向けに寝転がり、お腹を見せて甘えるような動きを見せてきた。
「何を見てるんですか?」
私はサラマンダー君の柔らかい毛並みとお腹の感触を楽しみながら、見ているテレビの内容を聞いた。
「なんか……よくわからないけど、フランスの映画みたいだね。『魔女の弟子』って知ってる?」
「ええ」
『魔女の弟子』とは魔法界では何度も映画化されるほどの馴染み深い古い劇詩である。留守を任された魔女の弟子が未熟な魔法で雑用をしようとして結果的に師匠の家をメチャクチャに壊すという話だ。
「たぶん、それをもっと現代風にアレンジしたヤツだね」
「リメークってやつですね」
「そうそう……すごいね、イシュタル殿は」
「え?」
「適切な言葉がパッと出てくるからさ。本当に賢いんだな、って思うよ」
「……ありがとうございます」
人に褒められるなんて何年ぶりの事だろうか。それも全く、自分が意識していない部分を褒められた。
「あの……音が無くても、映画の内容が分かるんですか?」
どう対応していいか困った私は話題をテレビの方に戻した。
「ん? あ、そうか。えーっと……はい。これでどう?」
特に何か動きがあったわけではない。アシハラが確認してくると、突然テレビの音が聞こえるようになった。
「……どうして? これはアシハラさんが?」
アシハラは音の魔法の達人だ。テレビの音の操作も彼の魔法なのかと思って尋ねた。彼は笑いながら首を横に振った。
「これはスピーカーの力」
「へぇ……」
「ボリュームは大丈夫?」
「はい」
魔法界はテレビの歴史が浅い。テレビそのものは1世紀ほど前からあったはずだが、媒体が育たなかったというべきか、魔法界のメディアはラジオと新聞、その他には雑誌がメインとなっていて現在もその側面が強い。テレビはあくまで娯楽用品という立ち位置である。魔法界では長らく浸透しなかったテレビを魔法族にとって使いやすいものに変えたのは大賢者の実父でもある発明王エドガンだった。
「時代は変わったねぇ……」
「本当、そうですよね……」
かつての魔法界は特筆すべき称号を持たない者、ひいては学歴のない者たちの行き場がなかった。その結果、ふるい落とされた若い世代の大多数が非魔法界に活動拠点を移すという悪い流れが生まれてしまっていた。こちらの世界での落ちこぼれたちは非魔法界で猛威を振るった。特に努力することもなく、魔法を使って簡単に富を生み出す魔法族は向こうの方々の雇用と経済に大打撃を与えた。一方でこちらの世界では魔法族という存在そのものが危うくなった。単純に数が足りなくなってしまったのだ。
現在は法律によって非魔法界への魔法族の無用な出入りは規制がかけられているが、その悪しき流れを最初に変えたのは発明王エドガンだった。数多の魔道具を魔法界に送り出した彼は、同時に大規模な雇用も生み出した。たとえばテレビに関する魔道具であるカメラを彼が発明したとする。すると資材調達から組み立て、発送などを行うための作業員という雇用が生まれ、さらにはカメラマンという新たな職業までもが生まれる。彼のビジネスモデルが世界中で模倣されるようになると魔法界の労働市場はさらに拡大された。
こうして、若い世代という魔法界にとっての貴重な財産を失うことを防いだのがエドガンという男である。こぼれ話ではあるが国際魔法警備局のデータによると、彼は非魔法界出身者である。大賢者曰く「アルコール中毒のハゲオヤジ」とのことだが、私は一度もお目にかかったことはない。
「ほら、もう滅茶苦茶だよ。いくなんでも、こうはならないよね?」
「ふふっ……そうですね」
アシハラが映画の内容にツッコミを入れた。留守を任された弟子がキッチンの排水溝からおびただしい数の害虫を召喚してしまうシーンについてのものだった。
「フランスの人って……大きいですよね、胸」
映画を見ながら気になったところが口をついて出た。映像作品なので仕方がないのかもしれないが、魔女の弟子役の女優のたわわな胸がどうしても目についてしまった。この胸が何か騒動を起こすたびに、いちいち揺れていた。
「まあ……遺伝じゃない?」
アシハラは私の疑問にさほど興味がなさそうに答えた。
「アシハラさんは……どうなんですか?」
「何が?」
「胸は大きい方がお好きですか?」
「はぁ?」
返答に困ったのか、アシハラは笑いながら困惑の声を出した。あんまり、というか異性にこういう質問をするのは初めての事だった。それだけこのオジサンから性的なものを感じなかったのだ。私は心配に近い感情で彼に尋ねた。その返答が「はぁ?」だった。真面目な彼は少し考えてから再び口を開いた。
「大きさは別に、もう……こんな話やめようよ」
「なんでですか?」
アシハラはこの話題を嫌ったが私は追求した。正直な話、このオジサンを困らせるのがちょっと楽しかった。普段大賢者から受ける数々のハラスメントがこういう結果を生んだのかもしれない。悪循環はここに極まった。
「恥ずかしいよ、こんな歳で真面目におっぱいの話なんかするの」
「じゃあ、好きか嫌いかで教えてくださいよ」
悪ふざけでしかなかった。自分に絶対逆らわない相手にすると、こんなにも楽しいものなのか。少しだけ大賢者の気持ちが分かってしまった。それとは別に、普段は目を見て話してくるアシハラという男の本質が気になって質問した。
「だからさぁ……男も女も、母親から生まれるじゃない? 嫌いな奴なんて、いるわけないでしょ。それで育って、記憶にこびりついちゃってるんだから。まぁ、男の場合はまた違う意味で求めるようになってきちゃうんだけど」
その話を聞いたら、もう一つ気になることができた。
「アシハラさんのお母さんって、どんな人だったんですか?」
「おんなじ顔だったよ、俺と。母親だけじゃなくて、一族全員同じ顔だから。葦原は」
「そんなわけないじゃないですか。養子を盛んに取り入れていた時代もあったわけでしょう?」
私は彼の過去の証言をもとに矛盾を突いた。
「それを言われたらぁ……おしまいだよね、この話は」
「ふふふ……」
表情を緩めたアシハラにつられて笑った。この男、シャイすぎる。日本人の男はみんなそうなのだろうか。本当はもうひとつだけ聞いてみたいことがあったが、それを口にすることはやめておいた。
「おい、なんだ? 夜中に二人っきりで、いやらしい……」
振り返るとキラが立っていた。彼女はアシハラの隣に迷うことなく座り、所有権を主張するように彼の身体にしがみついた。
「ずいぶんと手足が熱いねぇ? 寝なさいよ、もう。我慢しないで」
「むぅ……」
アシハラに見抜かれたキラは丸太のように太い腕の中で目を閉じた。
「ここで寝ちゃうんだ……そういう意味じゃなかったんだけどね」
アシハラはその場から動かずブランケットを魔法で引き寄せてキラにかけてあげた。
「イシュタル殿もいる?」
「……そうですね。いいですか?」
「あいよ」
渡されたブランケットからは新しい柔軟剤の香りがした。
「ちょっとトイレ行って、タバコ吸ってくるね。ついでにピィちゃん殿も連れてこようか? 目を覚ました時に一人だと不安で泣いちゃうかもしれないから」
「お願いします」
アシハラが素早く立ち上がった。
「……寝てないのかーい」
「デュフフフフ。約束は守れよ、ムガ。浮気は許さんぞ?」
アシハラの身体にコアラの様にしがみついたキラが笑いながら釘を刺した。
「わかったから、離れて? 漏れちゃう」
「私に永遠の忠誠を誓え。できないならここで漏らせ」
「わかった、わかったから。誓います誓います」
キラは足を使って器用にアシハラが着ている袴の帯を解いた。そのまま流れるように床に着地してから袴を完全に脱がせて赤い普段着を露出させた。
「……どうして?」
「デュフフフフ」
尿意の限界が来ていたアシハラはそれ以上はキラに構わず、ふんどし姿のままリビングを去っていった。
「ダメでしょ? 好きな人に意地悪したら。嫌われちゃうよ?」
「ふんっ」
キラは鼻を鳴らしながらブランケットを被ってそっぽを向いた。
「大丈夫だよ。アシハラさんとはそんなんじゃないから」
「……ふんっ」
これが反抗期というやつか。アシハラがピィちゃんを連れて戻ってくるまでの間、キラは私と口をきいてくれなかった。




