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無頼の魔女イシュタル  作者: ふるみ あまた
1章 海の章
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9 旅の目的

 

 寝台列車は雲の中をゆっくりと泳ぎ続けていた。私は大賢者の話を聞きながら、魚の形をしたワッフルを食べた。中には不思議なクリームが入っていたが、本来はもっと別のものが入っているらしく、大賢者曰く「初心者にはそっちがおすすめ」とのことらしい。中のクリームはカスタードクリームほど濃厚なものではなく、どちらかと言えばさっぱりとした味わいのクリームだった。チープな味ではあったが、まるでこのワッフルのためだけに存在するようなクリームには妙な中毒性があった。


「……この食い物のせいで解散しかけたロックバンドがある。なんていう話もある」


 大賢者レオナルド・セプティム・アレキサンダーはデザートの鯛焼きについて熱弁していた。意地の悪い時の彼の事は大嫌いだが、自分の好きなことを楽しそうに語っている時の彼の事は好きだった。


「とにかく、非魔法界の食い物ってのは素晴らしい。それだけ人を引き付ける魔力があるってことだからな」

「非魔法界の物に魔力が、ですか?」


 私も含めて魔法界の大多数の人間は非魔法界について詳しくない。見聞を広げるにはこれ以上に無い機会が巡ってきたのだが、私にはどうも大賢者の言わんとする事がわからなかった。


「なにか、おかしいか?」

「なんとなく……納得がいきません」

「よく言うだろう? 逆もまた然りだ。犬とか猫とか、俺たちの世界にだって魔力のない生物や物質がそこら中に溢れているだろう?」

「……だけど、非魔法族の人たちは魔法が使えませんよね?」

「いいや、中にはそうでない者もいる」

「そうなんですか?」

「とはいっても、それは俺たち魔法族にとって魔力とは到底呼べない、恐ろしく微弱なものだ。初めのうちはな」


 大賢者は一口だけビールを飲み、すぐにまた私の目を見て喋り始めた。


「最初はそんなチンケなものでも、世代交代を繰り返すうちにどんどん洗練されていくんだよ。タバコ、吸ってもいいか?」

「どうぞ」

「ありがとう」


 大賢者はタバコの箱と灰皿を何もないところから出現させた。空間魔法は彼のもっとも得意とする魔術である。異空間に物を収納して自在に取り出すこともできるこの魔術に関しては、現存する魔法族で彼以外は誰にも使えない魔術として有名だ。


 彼は慣れた手つきで箱から一本の紙巻きタバコを取り出して咥えると、先端のみを火の魔法で燃やし、煙をくゆらせた。彼の使う火の魔法は火を出さず、燃焼させたいものだけを燃やす。それは恐ろしく洗練された芸術品のようなもので、私のような一般の魔法使いがあまり使わない、というかもっと卓越した技術力がないと使いたくても使えない種のものだ。こういう洗練された技術を魔法界では『魔王技術』と呼んでいる。


「魔法族も、非魔法族も、俺たち人間ってのは根本は同じだ。短い一生の中で使えるものだけ使って、役に立たないものは捨てる。もし、その世代で使うのに都合が悪ければ改良に挑戦し、時には失敗し、何かと何かを足したり、引いたり、中には過去に捨てたものに価値を見出す者までもがいる。次の世代も、その次の世代も。そうやってそれを何代も繰り返し、今この瞬間があるわけだ」


 話が壮大すぎてまったくピンと来なかった。表情に出してしまったのか、大賢者は煙混じりのため息をついた。


「……前に、生意気なエルフのクソガキを痛めつけてやった時があっただろう?」

「え、ええ……」


 かつての旅の途中で偶然遭遇したエルフの少女との事情を、なるべく詳細を思い出さないようにしながら返事をした。クソガキと言ってもそれは見た目だけの話で、彼女は我々の何倍もの時を生きているはずだ。


「正直いって、エルフだろうが魔族だろうが、たった一つの個体がいくら生き続けても、俺たち人間様にとっては雑魚同然なんだよ。歴史の厚みが違う。俺たちが使えるのは、過去の人間たちがそれこそ命を注ぎ込んだ熱意と情熱、時には悪意までもが含まれた技と術だからな」

「ピィッ!?」


 ベッドの上でピィちゃんが抗議した。


「ああ、お前は結構強かったぞ? だが俺が本気で悪意を持てば、お前の存在など瞬時に抹消できる。それはわかるな?」

「……ピィ」


 ピィちゃんは肩を落とした。彼らのやり取りはよくわからなかったが、きっと超越者同士にしか通じない何かがあるのだろう。


 私は彼の理論を自分なりに分析してみた。言わんとするところはなんとなくはわかった。しかし肝心な部分で間違っていると思った。彼の理論だと、その技と術を知り尽くしている者にしかそれは実現できない。例えば、あの時のエルフと私が戦闘をしても私は絶対に勝つことができない。だが、この男は違う。この男は勝つどころか……まぁ、それは置いておいて、そういうことがエルフ相手に出来るのは、この男が人類の叡智を知り尽くし体現できるからに他ならない。


「そう気を落とすなって、ゼノ。お前は本当に強いし、まだまだ伸びしろだってある。それに比べて、やつらの使うものはペラペラだってことだよ。エルフなんて、未だに杖を握りしめて離さないと来たもんだ。だからやつらはこの世界を去るしかなかった。魔法力で圧倒的に劣る俺たち人間に負けてな? それなのに……何を勘違いしてるのか知らんが、態度とプライドだけは一丁前で……ったく、せっかくこの俺様が期待してやったのに……思い出したらムカついてきたな」


 大賢者はイライラとした様子で灰皿の中でタバコの火を揉み潰した。これは非常にまずい流れだ。私はすでに満腹だったが、鯛焼きをもう一つ手に取って食べた。


「あー、美味しいなー。こんな美味しいもの、私食べたことないですよー」


 とばっちりはごめんだ。慌てて彼のご機嫌を取った。すると大賢者は怒らせた肩を下げ、優しい眼差しで私を見てくれた。


「結論。俺が死ぬ頃に売ってる鯛焼きは、今よりももっと美味くなってる。以上」


 大賢者先生様は上機嫌のまま講義を終えてくれた。





 寝台列車の客室内で酒盛りは続いていた。相変わらず大賢者様はよく食べるし、よく飲む人だった。私はペースを抑えながら彼の酒に付き合った。もし彼にまともに付き合ったら、神格でも潰されてしまう事だろう。


「……そろそろ、休んだらどうだ?」


 彼がこちらを気遣った。それは私にとってチャンスの時が訪れたということだった。


「はい。でも、その前に今回の旅の目的を聞かせてください」


 酔いは回っていたが私はこの機を逃さずモノにすることにした。


「あー……言ってなかったか? まずは……」


 言葉を詰まらせ、彼はポリポリと鼻先をかいた。


「式典の件はすまなかった。本当にお前には会いたかったんだよ」


 危ない魅力がある言葉だった。この人の容姿は端麗すぎる。たとえ彼に愛する者があっても、そういう関係でも構わないという思いを抱く魔女が吐いて捨てるほどにいることだろう。


「……大丈夫です。もう怒ってませんから」

「あの日、俺はアイツと揉めて……仕方なかったんだ」


 アイツというのは大賢者の恋人のソフィーさんのことだ。本音を言うとソフィーさんが羨ましかった。この人がすべてを投げ出すほどの価値がある人ということだから。


「平たく言えばそのー……指輪を作りに行こうと思ってる」

「指輪って……そういうことですか?」

「ああ、まあ……そうなるな」


 私は驚いたあと、それも当然かと思い直し、彼に贈る最適の言葉を考えた。


「ご結婚おめでとうございます」


 ありきたりだが、これ以外に無かった。


「うるせぇ、笑うな。それにまだわからんぞ? 先方がもし断ったらご破算だ」


 それはありえない。ソフィーさんはきっと泣いて喜ぶに違いない。


「そうですね。ご成婚おめでとうございます」


 やっと仕返しのできる時が来た。照れている彼に対して、私は満面の笑みでお祝いの言葉をもう一度叩きつけてやった。


「あ~あ、もういいや。こうなったら、超ゆっくり旅してやる。覚悟しろよ?」

「はいっ」


 明るい目的の旅がこんなに心躍るものだとは知らなかった。私はもう少しの間、大賢者レオナルド・セプティム・アレキサンダーの酒に付き合うことにした。

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