82 お疲れ様、カナダの旅
疲労と空腹でほとんど全員がぐったりとしてリビングに寝転がる中、アシハラだけはキッチンに立っていた。彼はボウルいっぱいに盛った枝豆を私たちに振舞うと、少し早めの夕食作りのためにまたキッチンへ戻った。
出された枝豆には全員が群がった。がっつりと効いた塩とレモンと枝豆の風味。その味を追い求め、全員で奪い合うように無言で食べ進めると、あっという間にボウルの中の枝豆は莢だけになった。再び手持無沙汰となった私たちはキッチンから聞こえる包丁の音に安心感を覚え、ソファで身を寄せ合って寝入ってしまった。
「集団生活してるなぁ……タバコ吸ってくる」
「御意」
タフな男たちの静かなやりとりだけが良く聞こえた。
夕食はキラがリクエストした豚肉料理がメインとなった。
「うまぁ~……」
「ピピ~……」
そのあまりの美味しさにキラは目を閉じ、ピィちゃんは天を仰いだ。
「おかわり!! 牛丼越えた!! 毎日このソースで肉と米を食おう!!」
大賢者は早くも3杯目のご飯のおかわりをした。
見た目はただのポークステーキ。しかし、これにかけられたソースがとてつもない能力を秘めていた。すりおろしたタマネギが主原料となっているのだろうか。しょうゆをベースとした味わいの中にほのかな酸味を感じる。他にもニンニクなんかも入っているのだろう。ともかく、このソースをひとたび口に入れるだけで食欲が止まらなくなった。どんなお肉にも合いそうな魔法の万能ソース。極端な話、このソースだけで白いご飯が食べられる代物だった。
私もおかわりをしようか悩んだ。だがテーブルの上にはポークステーキの他にも数々のおかずが並べられていた。ふわふわの千切りキャベツ、バターの風味で優しく包まれたニンジンのグラッセ、シンプルな味付けながら旨味の凝縮されたキノコのソテー、それとこれはナスの……何だろうか。
「これは、何ですか?」
「ナスの味噌チーズ焼き」
またしても味噌。私は味噌が好きだと思う。以前食べた貝の味噌汁とクルミ味噌も好きだった。ならば、このナスの味噌チーズ焼きだって好きに決まっている。私は豪快に縦に2等分されたナスにかぶりついた。
味は言わずもがな。私はただ黙って料理人に絶賛の二文字を込めた眼差しを送ったあと、箸の扱いを随分と上達させたキラを見た。心底、彼女が羨ましかった。これからは理性よりも本能を大切にした方がいいのかもしれない。そんなことを考えながら、美味しい料理の数々に舌鼓を打った。
その日は何も言わずとも二人の子供たちが先に床に就いた。ベッドに入るなり、キラは気持ちよさそうに大きな寝息を立てていた。
そして迎えた晩酌の時間。いよいよ目的地も残すところあと一つとなり、これからの予定を話し合う時間でもあった。
「はいっ、ご苦労さん!!」
いつも通り乾杯の音頭をとったのは大賢者だった。ご飯を食べてからお酒を嗜むという、健康上あまりよろしくなさそうな彼の生活ルールに従って早ひと月以上が経過していた。今のところ、体に異常は感じられなかった。
旅の前半こそジャンクフードの過剰摂取によるイライラや倦怠感などがあったが、アシハラが合流してから徐々にそれもなくなってきていた。彼がもたらした健やかな食生活はプラス要素しかなかった。
「お疲れさまでしたっ!!」
アシハラはいつも乾杯時の一杯だけしか飲まなかった。嗜む程度に飲めると言っていた彼だったがアルコールにあまり強くない体質らしく、すぐに真っ赤になってふにゃふにゃになってしまう。思いもよらなかった大男の弱点ではあったが、有事の際にいつでも動ける要員として考えればデメリットではなかった。
なんだか彼には損な役割ばかり押し付けている気がする。なにか埋め合わせをしてやらなければ、いつかきっと天罰が下されるかもしれない。柄にもなく、そんな事を考えてしまう。
現代に生きる魔法族は無宗教派が多い。一般的な魔女である私も御多分に漏れず、その派閥に所属している。しかしアシハラという徳の高い人間と接しているうちに、なんだかそういうわけのわからない、言語化不能な力もほんの少しだけ感じとれるようになってきていた。
アシハラの使う魔術は、大賢者ともまた違う神秘性を持っていた。きっとそれも、まだまだ序の口にしか過ぎないのであろう。今日、桜子を助けたときに見せた、正確には全く見えなかったが、あの動き。あれさえも、未だに原理がよくわかっていないのだから。
「桜子さんを助けた時、なんであんなに早く動けたんですか?」
「あれか。あれは良くないぞ? これからはあんまり使うなよ?」
私の質問に答えたのはなぜか大賢者だった。彼は少し怒った様子でアシハラに命令した。
「あれは高速移動魔法と俺が教えたドレイン斬りを体術にして使ってたんだけど、絶対魔力の限界値越えちゃってるから。で、代わりに命を燃やしてるんだよ。だから最悪の場合、死ぬことだってある。まだ死ぬな。子供が欲しいんだろ?」
大賢者は私に解説しながらアシハラの事を諭した。
「心得ております」
「いや、信用してないわけじゃないんだよ? だけどあれは見ているこっちからすると心臓に悪い。それにしてもあの技術、男が使ってるの初めて見たんだけど、どうやって学んだの?」
男では扱えるものがいない。ということは魔女特有の技術、魔力の暴走のことだろうか。例えば、魔法史上には『氷の女王フレデリス』という魔女がいる。彼女は恋人を失った悲しみから全魔力と命を引き換えに島を丸ごと氷の世界に変えた。アシハラはある程度、コントロールできる状態でその技術が使えるという解釈でいいのだろうか。
「どうやって、といわれると……葦原の人間は9歳になると何もない暗い洞窟に、まず2週間ほど閉じ込められまして……」
「ブハハハハ!! 何だ、その無茶苦茶な修業は!? 死ぬよ、普通!?」
似たような虐待を受けた経験があるのか、大賢者はアシハラの過去の話に大喜びした。
「そうです。転移で抜け出しても捕まって、また暗闇に戻される。そこで死ねば、それまで」
「怖い話ですね……」
アシハラの普段のおとぼけぶりからは想像もつかない辛く重い話に私は恐怖を覚えた。安心させてくれようとしたのか、彼は優しい眼差しで私を見た。
「ところが、実際死んだ者がいない。過去には何人か、失敗した者がいたみたいですが」
「失敗したらどうなっちゃうんですか?」
「捨てられます。よその家系に養子に出される」
重たい。全然安心できない。なんなんだ、その残酷な話は。
「でもそれは葦原家だけに限った話じゃなくて、昔の日本は養子縁組を盛んに取り入れてた時代があって。だからそういうやり方が、まかり通っていたんじゃないかな?」
アシハラは他人事の様に軽く言ってのけた。
「それで2週間耐えたら、ちょっと補給して。そしたら今度は同じことを倍の期間やらされて」
「終わらんのか、その修業は?」
大賢者がタンブラーを傾け、カラカラと氷の音を鳴らしながら聞いた。
「いえ、ある日突然終わりを迎えます」
「ある日、突然?」
「うん。暗闇しか存在しない空間にちょうど、そうね……占いとかに使う水晶玉。あれぐらいのサイズの光の玉が目の前で浮かび上がって、見えるようになる」
「それは……何なんですか?」
私は続きを促してから、二人にバレないように生唾を静かに飲みこんだ。
「……わかりません。神々しい何かでした」
「神格でもなく?」
チーズをつまみながら大賢者が光の玉の正体に疑問を投げた。
「はい。生命体ではなく、あれはエネルギーそのものって感じでしたね」
「ふーん……で、それが見えたお前はどうしたの?」
神々しい光の玉の正体は一体何なのか。もう少しでその真相にたどり着ける。私も大賢者も、アシハラの次の言葉が待ち遠しくて仕方なかった。
「ぶった斬りました」
「ダハハハハ!!」
「ええぇぇっ!?」
最悪のオチだった。斬っちゃったらもうわからないじゃないか。というかその時、刀を持っていたのかい。
「その玉が見えた時、一種の悟りに近い状態になりまして。そうなってくると、その辛い環境、状況。すべてお前のせいか、と。腹が立ちまして、つい」
「ダハハハハ!! それで光の玉を斬った後に、洞窟から出たらその技術が使えるようになってたってこと?」
「まあ……まぁまぁ、そんな感じです。どっちかというと、エネルギーコントロールですかね。自らの致死量を知ると言いますか、そんな感じで。出来るようになってて」
「はぁ~……」
ため息しか出なかった。今この場には私以外、天才しかいない。そう考えると、自分の存在がとてつもなく矮小に見えて仕方がなかった。
「どうした、タル?」
「いや……なんだか、自分がちっぽけな存在に思えてしまって」
酒の勢いか、つい本音を漏らしてしまった。
「ああ~……それはねぇ、オジサンも今でも感じてることだね」
「嘘ばっかり……」
「嘘じゃないよ~?」
この時ばかりは、おとぼけオジサンが憎たらしく思えた。
「猫は猫。虎は虎だよ、タル」
「なんですか、それ」
「自分の物差しで勝手に勝負して勝手に負けるな。お前はお前だ」
「そういう事です。イシュタル殿なら、すでにそれがお分かりかと」
「わかってはいますけど……」
そんな事はわかってはいる。ついつい言葉にしてしまっただけだ。
「じゃあもっと特別な言葉で教えてやろう。俺みたいな人間は、お前みたいなやつがいないと存在意義すらなくなる。これでどうだ?」
「……ありがとうございます。ところで、明日からの予定はどうなさるおつもりですか?」
「とりあえず明日は予定通り、全員で買い物に行こう。それから少しだけここにとどまって、色々考えたい。アフリカへの移動手段なんか、まだ何も考えてないからな」
アバウトなスケジュール発表が為された。直近の目標は会員制倉庫型大規模店舗オズフォード。爆買いの予感甚だしい未来は、もうすぐそこにまで迫っていた。




