8 私は茶色いメシでご機嫌を取られる
空腹感で目が覚めた。今自分がどこにいるのかわからなくなり、四方八方に目だけを動かすと狭く四角い空間の中にいることが分かった。
「……え?」
冷たく柔らかい感触のものに顔を撫でられ、身体が硬直した。
「ピィ……」
私の顔を撫でたのはピィちゃんだった。現状を思い出した私は少し生臭くなったピイちゃんを抱きしめてから窓の外を確認した。列車は雲の中なのだろうか。外は暗い濃霧が広がるばかりで今が夜なのか朝なのかもわからなかった。
背後でガサゴソと音が聞こえた。人工光を遮ったカーテンの向こう側にきっとあの人がいる。私は警戒しながらそっとカーテンに近づき、隙間から中を覗いた。
「腹減ったろう?」
驚きのあまり、声も上げることが出来なかった。大賢者レオナルド・セプティム・アレキサンダーのまつ毛と私のまつ毛が密着しそうなほどに近い距離にあった。そんなことは気にも留めず、彼はとても晴れやかな笑顔を浮かべてこう続けた。
「ははは、メシ買ってきたぞ? 一緒に食おう」
勝手にカーテンを開けられ、無理やり外界と接触させられると、お互いの寝台の間に収納されていたテーブルが出されていた。そのテーブルの上には、見事に茶色いものばかりが並んでいた。おそらく全部食べ物だろう。どれもこれも私が見たことがないものばかりで、形容のしようがなかった。
「先ほどは……申し訳ありませんでした」
「ん~?」
大賢者は惚けて何のことかわからないといった様子で席についた。私は彼の向かい側に座った。
「これさ、食べてみ?」
大賢者は男子高校生のような無邪気さで私にある食べ物を進めてきた。
「なんですか、これ?」
立方体の箱の中に煮た牛肉がびっしりと敷き詰められたその料理が彼のおすすめらしい。
「牛丼だ。俺が最近ハマってる日本メシ」
「へぇ……」
「ほら」
不気味な材質のスプーンを手渡され、ギュードンを食えと命じられた。言われたとおりにその変なスプーンで箱の中から肉をすくってみると、本来の色を失っている存在が肉の下に隠されていたことに気が付いた。
「これは米ですか?」
「そうだ。いいから、はやく食ってみろって」
私はビロビロに伸びた薄切りの牛肉と茶色いお米をすくい上げ、下から迎えるような形でそれらを口の中に入れた。猛烈な味に口の中を支配された。なんだろう、これ……とてつもなく美味い。
「ぶっ……濃いですね。ビールが飲みたくなります」
「そうだろう、そうだろう、これだろう?」
そう言って大賢者は自分の目の前に銀色の缶ビールを置いた。
「缶ですか?」
「うん。でも、味はまあまあイケる。金色の缶のやつの方が俺は好きなんだが、生憎それが置いてなくてな」
言いながら大賢者は缶のステイオンタブを開いて私の方によこした。
「行け」
一口飲んでみると、キリリとした飲み口のビールが喉を潤した。まあまあイケる? そんなもんじゃない。かなり美味しいビールだ。
「ゼノ、お前には水を買ってきたぞ? そろそろ臭ってくる時間だからな」
「ピィ!!」
大賢者は乱暴に水のボトルを放り投げた。寝台にいたピィちゃんが喜びの声を上げ、その小さな体のサイズには見合わない大きなボトルを両手で掴んだ。
「ッピィ~~!!」
一気に半分ほど水を飲んで唸るピィちゃんのその姿には、人間の子供には出せない可愛らしさがあった。私も彼にならい、缶ビールを一気に半分以上煽った。
「~~ッ!!」
声にならない声をあげ、目の奥から後頭部にまで突き抜ける爽快感を楽しんだ。
「ははははは、うまいか?」
「……ええ、驚きました。こういうものは、初めて口にしました」
「カレーも食ってみる?」
「カレーですか?」
「ソフィーが好きだから、つい癖で買っちまって。よかったら食ってくれ。俺はあんまり辛い食い物は好かんから」
本当に、この人ときたら掴みどころがない。ハラスメントの数々を繰り出したかと思えば、こうして恋人思いの一面もあって、次の瞬間にはどう感情が動くかわからない不安定で気まぐれな人だ。対応する私としては、勘弁してほしい事この上ない厄介な人物である。
「あ、その前に唐揚げだ。ビールだったら、絶対これ」
「カラ、カラーゲ?」
大賢者は細くて短いピックでカラーゲを刺し、半ば無理やり私の口の中にそれを放り込んできた。
「これ、これ……すっごいですぅ」
カラーゲは思わず情けない声が出るほどの絶品だった。フライドチキンとも全然違う、ジューシーで濃厚に味付けされたチキンの旨味が口の中いっぱいに広がった。
「わはははは!! いやぁ、わざわざ買ってきてよかった。ああ、無理して全部食わなくてもいいぞ? デザートもあるからな?」
まるで理想の兄だった。実は私の方が年上であるという事実は伏せ、今は彼の中にある確かな優しさに甘えることにした。




