78 火山
大賢者の魔法によって拠点ごと移動していた私たちは目的地である火山付近にまでたどり着いた。雪原に聳え立つその活火山の頂からは、溶岩とその熱によって溶かされた雪がまじり合う汚れた色の川が流れていた。現場に到着した時間が日没を過ぎていたこともあり、本格的な散策は翌朝ということになった。
リビングルームの窓には雪と炎による圧巻のコントラストが映し出されていた。感じるのは自然の力と恐怖。そうそうお目にかかれるものではないその風景を肴に、私は二人の男たちと晩酌の時間を過ごしていた。
「おっほぉ~。たまんねぇなぁ~。見ろよ、これ」
大賢者は風俗情報雑誌に載っていた卑猥な写真をアシハラに見せた。
「んほぉ~、素晴らしいですなぁ」
上司に絶対服従の部下という観点に立てば、アシハラを擁護できなくもなかった。それでも、ここまで性欲というものを見せることのなかった彼に、私は少しだけ失望させられた。
「オッサン、シャバに出てきたばかりで溜まってるだろう? どうする? 一緒に行っちゃう?」
「いや、それは、その~……」
アシハラはチラチラこちらを見ながら言い淀んだ。明らかに私に気を遣っている。
「絶対抜いといた方がいいって。間違いが起こっちゃう可能性だってあるんだから」
私はアシハラとの一夜限りの過ちを想像し、すぐさまその考えを振り払った。
「いやいや……俺ぐらいになりますと、抜かなくても分かりますから」
アシハラが聞き覚えのある言い回しをここで使ってきた。このオジサン……どこまでふざけていて、どこからが本気なのだろう。
「またぁ~。何が分かるってんだよぉ~。それにしてもオッサン……そういえば、オッサンってもう俺、言えないんだよな。来月で30になるからさ」
「それはおめでとうございます。それでしたらその日は、不肖ながら料理の方で腕を振るわさせていただきます」
いきなり楽しみが増えた。普段の食事であれだけ美味しいものを作るアシハラは一体どんなパーティー料理を作ってくれるのだろうか。
「ありがとう。これからはオッサン同士、仲良くしような?」
「ははぁ~。もったいなきお言葉、光栄で御座います」
中年男性が一回り以上年下の優男にかしこまった態度を取った。この絶対的な主従関係に関して大賢者からの計らいは一切無かった。大賢者曰く、それがアシハラという男の能力を最大限に高める方法らしい。端的に言えば、アシハラは極端なマゾヒストということだ。キラからの攻撃は避けないし、私の尋問に対しても反抗的な態度を一切とらなかった。そういった要因は大賢者の説に説得力を持たせるには十分すぎるものがあった。
「で、実は弟も誕生月が同じでさ。だから、あっちの夫婦も呼んでホームパーティーでもやろうか。来月」
「いいですね」
ユリエルとメアリーの二人に再会できればキラが喜ぶ。私は諸手を挙げて賛成した。
「そしたら手紙書かなきゃ。ちょっとタル、書いてる間にケーキ焼いてくれない?」
「今からですか? それは無理です」
酔っぱらっているし、気力も集中力も材料もない。突然のリクエストには応じることはできなかった。
「じゃあ明日」
「明日は火山の探索をする日じゃないですか。帰ってきてから作るのは嫌ですよ」
正直、ケーキ作りは何も予定がない日にやりたい。その方が作業に没頭できるし、美味しく仕上がる気がする。
「じゃ、明後日」
「……わかりました。アシハラさん、買い物に付き合ってくださいね?」
「え? あ、はい」
アシハラが素っ頓狂な声で了承した。私は彼の持つ食材の知識に興味があった。
「そしたら、たまには全員で買い物に行くか。普段行かないようなところに行こうぜ」
「普段行かないようなところって、どこですか?」
「アメリカにあるじゃん。ホールセールクラブだっけ? 会員制の、でっけぇ店」
「それって、”オズフォード” のことですか?」
「そうそう、それ」
会員制倉庫型大規模店舗オズフォード。一度行ってみたかったところだが、一人暮らしの魔法族にはまず縁のない店だ。特に連れ立つ気心の知れた存在のいなかった私はその願いを叶えられずにいた。
「会員制ですけど、メンバーなんですか?」
「一応ね。年会費だけ払い続けてたの、今思い出したわ」
「へぇ~……一度行ってみたかったんですよ。楽しみです」
私は思いがけない巡り合わせに期待を膨らませた。
「じゃあ買い物は明後日行って、タルがケーキを作る日はその次の日にしよう。多分疲れるから」
「はいっ」
大賢者の気遣いとこれからの予定に嬉しくなった私は心が騒いでしまい、どうにも落ち着かない状態でその日は床に就いた。
迎えた翌朝。デッキを降りると大賢者がいくつかの注意事項を全員に伝えた。
「えー、それでは結界を解除します。もしあの軍人のオッサンが襲い掛かってきても、慌てず騒がず、アシハラにすべてを任せましょう」
緊張感のある空気の中で全員がアシハラの顔を見た。彼は気を引き締めた表情で全員の視線に応えた。
「また不測の事態が起きた場合ですが、それぞれの判断で動いて結構。私もアシハラもいますので、安心して無茶してください」
アバウトな指示が飛ばされた。これはもし何か起きた場合、私たちが柔軟に動けるという見込みがないと出せない類のものだ。私は少しばかり過去の自分を思い出し、大賢者の期待に添えるよう集中力を高めた。
「はい、それじゃあ解除しまーす。結界ちゃん、オープン!!」
何も起きなかった。大賢者の精度の高い魔法は時にこうした事象を生み出す。魔法を使っている状態か否か。その判断すらできない場合があるのだ。
「……大丈夫そうだね? それじゃあ行くぞ」
大賢者は先陣を切って雪原を歩き始めた。
溶岩の川を生み出す活火山の麓には洞窟があった。大賢者は迷いなくそこに入り込み、私たちを先導した。入り口部分は明るく、筒状になった一本道がしばらく続いた。天井と壁面は溶岩石が一定の間隔で波打っていて、まるで巨大な生物のあばら骨のように見えた。
「元捜査官のタル君に問題です。この場所の違和感を答えよ」
歩きながら大賢者が問いかけてきた。ここまで問題は何ひとつとして起こらなかった。それこそが問題であった。
「順調すぎます。入り口からずっと一本道が続いて、まるで……何者かが先に入って制圧した後かのようです。害のある魔法生物の気配すらありません。おそらく小規模人数による基本的な安全の確保が為されています」
規模的には10名程度の分隊だろうか。異様なまでに綺麗に消された魔法の痕跡と整理された道からして、そういう国民性の集団だろう。例えば、日本人とか。
「正解。それでは次の問題です。今の俺様の気持ちを答えよ」
実に簡単な問題が出された。
「……俺様の楽しみを奪いやがった奴らにはふさわしい罰を与えねばならん」
「さすがだねぇ。おっ? あそこから暑くなるぞ。全員、保護魔法を怠るなよ?」
一本道の終わりが見えてきた。道の先は赤く照らされた空間へと繋がっているようだった。




