75 近づく目的地
昼食後、アシハラはリビングにマットを敷くと、おもむろにそこへ寝そべった。
「なにやってんだぁ~?」
そんな事をすれば当然キラが目をつける。彼女はアシハラの胴体に馬乗りになって圧倒的に有利なポジションを得た。
「……寝禅」
アシハラは平然と目を閉じながらキラの質問に答えた。この人はこれが凄い。あのポジションを取られたらさすがに私でも拒絶するというのに、アシハラときたら目を閉じて魔力は殆どゼロ状態だ。さらにこの状態から猛獣を吹き飛ばすような強力な音の魔法が使えるというのだから、本当に信じらない。
「ただの昼寝だろぉ~?」
「そうなのよねぇ……」
アシハラの呼吸がみるみる穏やかになっていった。跨っているキラが体勢を変え、胴体にしがみついて胸に耳を当て始めた。見ているだけで暑苦しい。私はアシハラに寝られる前に、その特異な魔力コントロールの事について尋ねてみることにした。
「どうやって、そんなに魔力を落としているんですか?」
「……うん? そうねぇ、これは長い放浪生活で自然と身に付いたものでねぇ」
アシハラは目を閉じたまま口を動かし始めた。
「放浪生活じゃなくても、禁酒、禁煙、断食、何でもいいと思う。自分を追い詰める生活をすると、滅茶苦茶イライラするようになって……そこから、さらにそういう生活を続けると、気がつくんだよねぇ……」
「……何に?」
「……かぁー」
私の質問に答えることなく、アシハラは寝入ってしまった。
「う~ん、ダメだな。モジャモジャが邪魔で全然気持ち良くない。ムガっぽさは消えるけど、やっぱり体毛はいらないかもしれない」
キラは勝手にアシハラの胸をはだけさせて体毛を気持ち悪がるという蛮行を働いていた。
「……除毛クリーム、取ってくる」
私は与えられたイライラを美容行為によって発散させることにした。
キラはアシハラを脱衣させることに関しては右に出る者はいないほどに上達していた。これでもう何度目の赤ふんどし姿であろうか。見慣れ過ぎてこっちのほうが普段着に近いかもしれない。彼は普段着で昼寝を楽しみ続け、私たちはそんな彼に除毛クリームを塗りこんでいた。
「う~わっ……きったね。デュフフフフ」
そんな事を言いつつも、キラは楽しそうにとんでもないエリアにまで手を入れてクリームを塗りたくっていた。私はとてもそんな事は出来ないので、腕や足、肩や胸、背中などの触れやすい部分を中心にケアしていた。
「お猿さんに近いよね?」
反省しなければならない事であった。ほぼアウトな発言もアシハラに対してならばセーフ。そういう慢心が私にあったことは否めなかった。
「ドゥフフフフ……タルって結構、口悪いよな?」
「少なくとも、あなたたちよりはマシだと思うけど?」
「う~ん??」
「こらこら」
これでも元捜査官だ。警備局が狙う自白内容を得るために、非人道的な方法で聴取を行うことは……あまりしてこなかった。たまには行っていたが、私はそういうことは下手で、情報収集と分析の類が主な業務内容だった。つまり、私の口が悪い原因は単に性格が悪いだけであった。
「……何やってんだ、お前ら?」
眠りから覚めた大賢者が脱毛サロンと化したリビングに姿を現した。私はキラと顔を見合わせて、気まずい沈黙を返した。
「ちょ~っと、サービスしすぎじゃない? びっくりしちゃったよ、俺。何年ぶりだろう、こんな気持ちになったの」
言いながら大賢者はどこから取り出したやらバナナをひと房ローテーブルに置いて一本ずつ食べ始めた。
「……なんか言えよ?」
沈黙を嫌った彼は不機嫌に口を動かした。
「これは……違うんです!!」
「そう!! ムガが汚すぎるから!!」
「あっそ……ところでお客様が目を覚ましてるの、気がついてる?」
空気が凍り付いた。私はもう一度キラと目を合わせ、ゆっくりとアシハラの顔を覗き込んだ。
「……そりゃあ、ね?」
アシハラは片眼を開け、申し訳なさそうに笑っていた。
「ええぇぇ!??」
「なんだよぉ!! このスケベ!!」
「本当に大したヤツだな。俺だったら間違いなく勃ってるもん」
計らずとも赤い布の部分に視線が行った。
「そういう問題ですか!?」
「そういう問題だぞ!? これがどれだけすごい事か、お前らわかんないだろう!? お前たちの信頼を得ようとしたオッサンの頑張りを思うと、想像しただけで涙が出るわ!! それをお前たちは、人の事を玩具みたいに扱ってさぁ……魔女の良くないところ、出てるぞ!?」
まさかの人物からの説教だった。今回ばかりは調子に乗りすぎたかもしれない。
「ムガ、お疲れさん。とりあえず、風呂でクリーム落としてきな?」
「御意!!」
ヌルヌルと足を取られながら、アシハラは逃げるようにバスルームへと駆けこんでいった。
「まったく……オッサンは立場的に逆らえないんだから、あまりやりすぎるなよ? お客様の気持ちがわからないようじゃ、エステティシャンとしては3流ね?」
オーナーから厳しいお叱りの言葉を受け、私は反省しきりだった。
ほどなくすると、大賢者曰く「黒Tシャツと軍パンが似合いそう」なツルツルお肌のアシハラが誕生した。私は反省しながらもその結果にはかなり満足できた。脱毛する前よりも10歳は若く見え、これならキラと抱き合っていたとしても通報して、逮捕、勾留、起訴。刑事裁判からの判決、懲役300年の刑ぐらいで済ますことができそうだった。
アシハラはそのまま台所に入って夕食の仕込みを始めると、いくつもの鍋を取り出し始めた。どうあがいてもコンロが足りなそうなのを見かねた大賢者が魔法を駆使し拡張工事を済ませた。
すぐにリビングはスパイシーなカレーの匂いに支配され、日も暮れないうちから全員が空腹を訴える事態となった。特に朝昼ともに食べていない大賢者は手負いの獣のように殺気立った。これに対し、料理人アシハラは豚肉の唐揚げという素晴らしい逸品を作り出すことによって雰囲気の悪化を防いだ。
カリッと揚げられた豚肉に甘酢のようなタレが絡められたその逸品に全員が笑顔にさせられた。こんなものを作られたこちら側は我慢できるわけがなく、カウンター席ではビールが開けられた。そのまま世間話をしながら、軽い酒盛りが始まった。
なんでもこの豚肉の唐揚げは、昔アシハラが懇意にしていた中国の魔女に習ったものらしい。その魔女の故郷では、おやつのような感覚で食べられていたとのことだった。話を聞いていると、すぐに次のおつまみとして豆腐のサラダが出された。それもまた絶品であった。彼の年の功にはまだまだ期待が持てそうに思えた。
「……このまま休みなく3日も動かせば、目的の火山に到着する」
大賢者は旅の予定を呟くと、手に持っていたタンブラーをカウンターテーブルに置いた。
「オッサンはどう思う?」
カウンターの向こうで調理を落ち着かせたアシハラに意見を尋ねた。
「そうですね……日本には少し特殊な結界師たちがいて、普段は皇族を守っていたりする連中なんですが、そういうのが動かなければ何も問題は起こらないと思います」
大賢者が確認したかったのは、敵対勢力による襲撃の可能性の有無だった。
「へぇ~。日本にはそんなのもいるんだ。そいつらって、戦闘はできるの?」
「しませんね。結界と治水のために働いている連中なんで、戦闘能力はありません」
「なんだ、残念。戦闘民族はいないの?」
嫌いな話題だ。戦闘なんていらない。このふざけた人たちと、のんびり世界中を旅して回れたら、もっと素晴らしいのに。邪悪な考えを秘めながら、私は黙って二人の話を聞き続けた。
「戦闘民族だと……有名なのは化身術とか、降神術を使う連中ですかね。ただ、こいつらは誰かのために積極的に動くような民族じゃないです。いくら金を積んでも動きませんし」
「それじゃあ、いつ動く人たちなんですか?」
私はその存在意義が気になって尋ねた。
「う~ん……今の時代だとあまりないけど、国家存亡の危機の時にやっと姿を見せるような、そんな連中なんだ」
「へぇ……」
個の考えというものを持たず、ただ国の存続の為にひたすら世代交代を続ける戦闘民族。私が今生きている世界からすると、なんとも不思議な話だった。
「そうだ。噂に聞いたことあるんだけど、コトダマってマジであるの?」
大賢者の質問は終わらなかった。
「ああ……昔は全員使えたらしいですね」
「えぇぇえ!?? マジかよ!?」
「とはいっても神話の時代の、遥か昔の話ですよ」
「ねぇ~、ムガ。カレーは?」
「あいよっ。ご飯が炊けたら、好きなだけよそいな?」
「ピピィッ!!」
「あいよっ。シーフードカレーね? あ、あとツナのカレーも作ったからね。多分美味しいと思う」
「アシハラさんのおすすめは何ですか?」
「山椒のカレー。すごい辛いよ?」
「楽しみです。それ下さい」
「俺のやつは少しでも辛かったら首をねじ切るからな?」
「たぶん……マッサマンに近い味わいのカレーを作ったので、それならば」
「おし。期待してるぞ?」
「ムガ~、おっぱいカレーは?」
「豆カレーもあるよ? ただ、普通に和風かチキンの方が吉良殿の口には合うかもね?」
大人気オジサンは手を動かしながら全員との会話まで器用にこなすのであった。




