71 『地獄の求愛』
1時間以上経っても、リビングは濃厚なニンニクと脂のニオイが充満していた。昼食のメニューとしてキラの望んだバストアップ効果のある大豆製品を使った料理をと意気込んだ葦原であったが、どういうわけか彼が完成させたのはジョージア料理のシュクメルリだった。
食事バランスと食材の問題があった。納豆は朝に食べさせた。他に大豆の使われた食材はインスタントの味噌汁ぐらいで、これも朝に2杯も飲ませていた。他に何かないかと、葦原が冷蔵庫を漁っていたところ、近くで様子を見ていたキラが丸鶏の存在を発見してしまった。
予定は大幅に変更された。後は流れで、葦原が見よう見まねで作ったシュクメルリ。かなりの薄味に仕上がったが、キラにとってはこれが絶品となった。
スキレットにバターをたっぷりと投入し、丸々1羽分捌いたチキンを骨付きのまま放る。肉にしっかりと焼き目をつけ、今度はたまねぎを加える。
肉とたまねぎの両方にしっかりと火が通ったら、一度それらを鍋から取り出し、今度は芽の出かかっていたニンニクを3玉分スキレットに投入。ニンニクは焦がさないようにじっくりと炒め、香りが出てきたら火を止める。
大量のニンニクが入った熱々の鍋の中にミルクを加え、ハーブ入りソルトで味を調える。必要な香辛料が見当たらなかったので、今回は代用としてカナダ名物メープルシロップをほんの少しだけ加えた。
あとはこのソースの中に取り出しておいた骨付きチキンとたまねぎを絡ませれば、調理時間よりも短い時間で骨だけにされた『葦原流シュクメルリ』の完成だった。
食後、二人はリビングにある同じソファでそれぞれの動きを取っていた。葦原は少女との過剰な接触を避けるようにひじ掛けの部分に詰めて座り、キラは寝転がってそんな葦原の横腹を足で擦ったり揉んだりしていた。
「……”雪に覆われし世界”はどうかな?」
キラはエルフの古い習わしの事についてずっと考えていた。
「う~ん……何のお話?」
葦原からすればまったくその通りの唐突すぎる話題だった。
「私たちの子供の名前だよ」
「……う~ん?」
葦原はキラの猛アピールに白々しく惚けるのが精いっぱいだった。
「なあ、二人っきりだぞ?」
「そうだねぇ」
素っ気なく答えながら、葦原は主君とその腹心たちの帰りを待ちわびた。どちらかと言えば、自分と違ってしっかりと物ごとが言える魔女イシュタルの存在の必要性を感じた。
「そうだねぇ、じゃないだろう!? 子作りしないのか!?」
しびれを切らしたキラは葦原の横腹にキックを入れながら直接的な表現で誘惑した。
「だ、だ、誰と?」
「私とだよ!! 他に誰がいるんだ!?」
「え~と……しない、よ?」
ここまでずっとキラを傷つけないように接していた葦原だったが、この時ばかりは自分の考えを直接伝えることしかできなかった。
「はぁ!? なんで!?」
「なんでって……吉良殿は子供でしょう?」
人生で子供に懐かれたことはおろか、異性に言い寄れた経験のなかった葦原はキラの気持ちが嬉しくはあった。ネックは彼女の見た目だけだった。一見して10歳前後と44歳。二人で街を歩けば捕まる。親子の振りをしようにも、目の色から髪の色、肌の色までもが違う。どうしたって葦原は捕まる運命から逃れられない。
「そんなの見た目だけだろ!? 私はムガよりも年上だぞ!?」
「……本当ぉ?」
どんなに主張されようとも、そもそも自分よりもキラが年上という証拠がない。葦原はその点の防御だけは完璧だった。
「本当だよ!! それに、お前が初めてというわけじゃないぞ!?」
「えぇぇぇ!!?? 乱れてるねぇ……ダメだよ? そういうことは、もっと体が出来てからじゃないと」
葦原はキラの過去を本気で心配した。一方でキラはそのお相手が木の棒だったという事を伏せていた。
「どうして!?」
「どうしてって……だから、まず……性器というものは吉良殿が思っているよりもデリケートで」
「うるせぇ!! ノンデリな顔と髪型してるくせに!!」
キラは自らの両足を葦原の鼻の下にくっつけた。
「臭ぇ!? やったな!? ハァ~」
葦原は反撃として顔を近づけニンニクの効いた中年の吐息を嗅がせた。
「臭っ!! ニンニクが臭いっていうよりも、単純に口が臭い!!」
「はーはっはっはっは!!」
「ちゃんと歯ぁ磨けよ!!」
「無駄なあがきよ。喫煙者特有の歯茎の老化による口臭ですから」
「キモ。デュフフフフ」
気付けば二人はピタリと体をくっつけてむつみ合っていた。
その後も、キラの激しいコミュニケーションは続いた。時には苦痛すら伴う血も涙もない彼女の所業の数々を受けても、葦原は一切怒りを見せることはなく、むしろそれらを逆手にとって笑いに変える余裕をみせて付き合った。
それが良くなかった。葦原はキラにとってこれ以上にないほど都合のいい理想の男になってしまっていた。彼女はますます思いを募らせ、二人の間にある障害を取り除くべく地獄への扉を軽々と開いてしまった。
「……私の見た目が大人だったら、ムガは相手にしてくれる?」
真理であった。そこさえクリアできれば、葦原に逃げ場は無くなるのである。キラはそのことにやっとのことで感づき、真剣な表情で彼に迫った。
「う~ん……」
葦原は腕を組み、言い訳に使えそうな材料がないか探したが当然なにも落ちてはいなかった。むしろ本当にそうなれば、葦原という家系にとってはメリットしかない事実に気付いてしまった。
「……まあ、そうなる、かも」
「かも、じゃなくて」
エルフは淡々と侍の退路を潰した。
「……なり、ます」
忠義に厚い葦原は誰よりも約束に厳しかった。誘導的に言わされた形になったとはいえ、彼は自分のいった言葉には最後まで責任を持つ覚悟があった。しかしながら、キラの一時的な気の迷いである可能性が大いにあるとも思っていた。今の葦原はそこに賭けるしかなかった。
「武士に二言は無いでござるな?」
「ご……ござる」
内面を見透かされたかのように言質を取られた。鬼気迫るキラの魔力に葦原はうっすらと冷や汗をかかされていた。
「約束だよ? 私が大人になるまで待っててね?」
「……はい」
安心を得たキラは張り詰めた表情を崩し、とろけるような笑顔を見せた。
「じゃあ、ムガはもう一生私以外と子作りしないでね?」
「……え?」
少女の愛は本物であり、重かった。
「誓いのキスだけ先にしとこうか?」
話がどんどん良からぬ方向に進んだ。葦原はたまらず防衛線を張った。
「しないよ!? オジサン色んな刑務所行ったけど、それをしたら行ったことのないタイプの、専用の刑務所に入れられちゃうんだから!!」
「うるせぇ!! 最悪獄中結婚すればいいじゃないか!!」
「結婚は出来ても、子作りは出来なくなっちゃうでしょう!? やめなさい!?」
「何ぃ!? なんだよぉ……地獄かよ?」
「うん、地獄だねぇ……」
一方は実力行使ができない地獄。もう一方は先の見えない禁欲地獄。ここから2つの地獄が始まった。
「やっべぇ!! タルが!!」
二人の話がついた直後、タイミングを計ったかのようにリビングに入って来たのは大賢者レオナルド・セプティム・アレキサンダーだった。彼は人さらいのように肩に小さな女性のお尻を抱えていた。彼の足元では、5歳くらいの背丈の男児が心配そうに意識を失った女性の顔を覗き込んでいた。
「イシュタル殿!?」
「タル!?」
二人は急性アルコール中毒の魔女イシュタルを心配して駆け寄った。
「調子に乗って飲ませすぎちゃった。緊急帰国です。しばらく休ませないとダメだね、こりゃ。はい、どいたどいた!!」
自らの失態で第一の腹心の意識を奪ってしまった彼は足早に寝室に向かおうとした。
「あ、そうだ。ムガ、なんか果物切っといて」
「しょ、承知!!」
雑に指示を出して、大賢者は無頼の魔女イシュタルを改めて寝室に運び込んだ。




