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無頼の魔女イシュタル  作者: ふるみ あまた
2章 山の章
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67 『侍はエルフに推して参られる』

 

 男は電光石火の早業で主君レオナルド・セプティム・アレキサンダーより与えられた任務を次々に遂行した。


「ツェ~イッ!!」


 換気扇のフィルターの交換。


「セイセイセイセイセイセイ!!」


 便座からフチの裏、壁や床などの入念なトイレ掃除。


「フォーーー!!!!」

「デュフフフフ……」


 バスルームの排水溝の洗浄と清掃、ついでに入浴。


「ぷぅ~……」


 そして銀世界を一望できるデッキでの一服。


 男の名は葦原無我。現在から629年前、魔法界の東アジア全域に多大なる被害をもたらした第6魔王トワイを討伐した侍の末裔である。


 葦原がこの世に生を受けてから44年の歳月が流れていた。早くに両親と死別し、自らが納得できる器量を持った主君を求めて日本各地を転々と彷徨い歩いていた彼であったが、現在は紆余曲折を経てカナダのとある雪山の中にいた。


 彼の新しい主君レオナルドはこれまでに仕えてきた者たちとは明らかに違った。レオナルドの持つ底知れない魔力は葦原に畏怖の念を与えた。自分より強い主君の命令を生まれて初めて受けた葦原は、今までのどの任務よりもその命令を気持ちよく遂行することができた。


 自らの過去を振り向いて感慨無量といった面持ちでタバコを嗜む葦原の元に、一人の美しい少女の影が忍び寄っていた。


 少女の名はキラといった。小さな背丈に見合わない大きな杖を握りしめたキラは、今日は白色のつけ毛でボリュームを出した長い金髪をサラサラと揺らしながら葦原に近づき声をかけた。


「ムガ~?」

「お~、吉良殿。どうかされましたか? 体調はもう、よろしいのですかな?」

「うん。腹減った。何か食べたい」

「承知!!」


 キラの要求に対する迅速な対応。それが主君の命令のひとつでもあった葦原は着実に任務を遂行するため、彼女を連れて再び屋内へと移動した。


 外から見ると小規模なテントに過ぎなかったその中には近代的な暮らしの空間が広がっていた。リビングを通り抜け、キラをカウンターキッチンに座らせると葦原は厨房へと立った。


「さて、吉良殿は納豆がお好きでしたな?」

「うん」

「では、少々お待ちあれ!!」


 慣れた手つきで葦原は調理を始めた。キラは瑠璃色の瞳をいつもよりも大きく見開いて輝かせ、彼のがっちりムチムチとした体型に似合わないようで似合っているエプロン姿を堪能した。やがて彼女はまな板の上で焼き海苔を広げた葦原のいかつい両手に着目した。


「きったねぇなぁ、手毛」

「てげ!?」


 葦原は罵倒の言葉よりもまず、聞き馴染みのない単語の方に反応を示した。


「デュフフフフ……気にするな。ムガは汚いままでもいい。でも、髪の毛は切った方がいいと思う」

「ごもっともで」


 容姿が元々整っているわけでもなく、むしろ散らかっている部類に属している葦原は、これまでまったく身だしなみに気を遣うことはなかった。それは彼の生きてきた世界が完全実力主義であり、外見の部分に関しては異性交遊以外で役に立たなかったからであった。また、彼が好意を持った魔女に対しては侍たらしく真正面から切り込めば、人よりも数は少ないがそれなりに経験も積めた。そんな彼であったが、レオナルド軍団のルックスレベルの高さを目の当たりにし、少しだけ意識改革が起こり始めていた。


「ところでそれ、何を入れてるんだ?」


 キラは納豆巻きの調理工程に興味を示した。


「こいつぁ砂糖で御座い」

「砂糖ぉ!?」

「ええ。寿司酢には欠かせませんから。舐めてみますか?」


 調理途中の液体が入った小さな木製のスプーンを手渡されると、キラは恐る恐るそれを口元へ運んだ。


「うーん……わからん。思ったよりもぼんやりと……甘いような気もする」

「そうでしょう? ここに塩をひとつまみ入れると、味が締まります」


 そう言って葦原は完成させた寿司酢をスプーンですくい、再度キラに渡した。


「あれ? 結構違うかも」

「そうでしょう、そうでしょう……」


 葦原は手を動かしながら、相槌を打った。


「あい!! 海苔に寿司酢に白いメシ、納豆はかき混ぜないのがコツでさぁ!! これらが合わされば、こんなに美味い納豆巻きの完成で御座い!! お待たせしました!! どうぞ、御賞味あれ!!」


 小皿がキラの前に差し出された。皿には均等に6つに切り分けられた納豆巻きが盛りつけられていた。キラは早速、大好物の納豆巻きをひとつつまんで頬張った。


「うまい!! おかわり!!」


 そのあまりの美味しさに完食前にもかかわらず、キラは早くもお代わりを注文した。


「承知ィ!!」


 葦原は威勢よくそれを承った。





 キラの少し遅い朝食は納豆巻き3本と、インスタントの豚汁2杯で幕を閉じた。彼女はカウンター席に座ったまま、調理場で後片付けをする葦原と食後の雑談を楽しんでいた。


「……それにしても良かったな、ムガ。私がたまたま病気になったから、一人ぼっちじゃなくて済んだぞ?」


 自分の事を心配してキラは一緒に残ってくれた。実際には彼女の私利私欲によるズル休みに過ぎなかったのだが、中年の侍はそれを無垢な優しさと勘違いし、心打たれてしまった。彼は出会って間もない少女に何か自分がしてやれそうなことを探した。


「……ありがとうよ。でも、本当にオジサンと一緒で良かったのかい? 巨人の里なんて、滅多に行けるところじゃないよ?」


 葦原は主君に仕える侍というヴェールを脱ぎ捨て、キラの前では一人の人間に戻ることにした。今の彼が少女にしてやれることはそれだけだった。


「やっと戻った。これからはずっとそれでいてくれ。そっちの方が好きだ」

「あいよ」


 思惑の違う二つの眼差しが重なり合った。


「なぁ、ムガ。エルフは好きか?」

「あぁ~……嫌いってことはない。興味はあるよ」

「そうか……私……実は、エルフなんだ」


 キラは思い切って自分の正体を打ち明けた。


「うん、知ってるよ?」


 キラの思いとは裏腹に、葦原の返答は素っ気ないものだった。


「えぇ!? どうしてわかったんだ!?」

「いや、だって……バカでかい杖持ってるし、昨日の雪遊びの時に尖った耳はチラチラ見えてたし、足は臭いし、自分が思ってるよりもエルフ丸出しだったよ?」

「そうだったのか……」


 恋は盲目であるが、彼女の場合は脇が甘かった。もっとも彼女が思いを寄せる相手は魔法界でも1、2を争う洞察力の持ち主であることを失念してはならないが。


「もっと気をつけなさい? 世の中、いい人間ばかりじゃないんだから。それで、吉良殿はエルフのなんという民族なんだい?」

「……え?」


 キラは驚きを隠せなかった。人間たちに人種がある様に、エルフたちにも同じような概念が存在する。彼女が出会った人間たちは、これまで誰もそのことを知ろうともしなかった。その事柄については、ほとんどの人間の認知の外側にあっただけの事であったが、キラはその瞬間、葦原からの尊重の念を感じてますます彼に執心するようになった。


「どうして……アルマ族、だけど?」

「アルマ族か。となると……」


 葦原は自分とキラとの間の空間に世界地図を描き、非魔法界でいうところのイタリア半島のあたりを指でなぞるように囲った。


「この辺のエリアにルーツがあるかもなぁ? アルマ。昔使われてた言葉で、意味は滋養」

「ジヨウ?」

「うん。自分よりも弱いものを養い育てること……なんだけども」


 今度はグッと東へ移動して中央アジアのエリアを指で囲った。


「ここ。たしかこの辺の国にも、アルマという言葉が残っている」

「意味は?」

「りんご」

「ははははは!! かわいいじゃん、私はそっちの方がいい」

「オジサンもそう思う。だから、アルマ族のルーツはきっと、こっちにあるんじゃないかな?」

「デュフフフフ……」


 キラは徐々に湿り気のある笑い声を抑えられなくなっていった。


「じゃあ、私たちの新婚旅行はそこにしよう」

「うん……う~ん??」


 女性に言い寄られたことのない葦原は適当にあしらうのがとても下手だった。


「年上の女しか愛せないんだろう? 私なら完璧じゃないか。子孫もたくさん産んでやる」

「……う~ん?」

「そうだ、外に行こう。その鬱陶しい髪の毛、切ってやるから」

「う~ん……」


 葦原はキラに手を引かれ、操り人形のように付き従った。エルフと侍は再び白い世界へと飛び出していった。

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