66 ブルークレーター
翌日の朝食の席でのことだった。
「ピピィ!!」
「ほーう。この味がわかりますか、ピィちゃん殿。では、こちらはいかがかな?」
アシハラは『シラス』と呼ばれる小魚をピィちゃんに食べさせた後、今度はピンク色をした魚卵の塊を勧めた。
「ピィィッッ!!!!」
「ほほう。こちらの方が好みでしたか。しかしどちらも食い過ぎは禁物です。摂取量を間違えれば、恐ろしく効率の良い殺しのメシとなる」
「ピィッ!??」
「はい。短時間で大量のプリン体を分解した人間の尿酸値はどうなりますか?」
「ピ……」
「お気づきになられましたか。もし、俺たちが食ったプリン体の致死量を見極めることを怠れば、こいつらは簡単に死をもたらす殺人メシになります」
「ピ、ピピピ……」
「はーっはっは!! 冗談ですよ。俺とピィちゃん殿では体の作りが違う。御心配召されるな」
アシハラはどこかで聞いたことのあるようなセリフ回しで、ピィちゃんのことを怯えさせた。どうやら彼は自らの事をネタにするタイプの人らしい。というか、なんでこの人もピィちゃんと普通に喋れてるのだろうか。
「……キラ、起きてこないですね?」
本来ならば、盛りに盛った白いご飯を一心不乱にかきこんでいるはずの小さな存在だけが、いつまで経っても食卓に姿を現さなかった。こんなことは初めての事だった。
「お寝坊かな? 心配なら、見てくればいい」
いつもだったら『俺に聞くんじゃねぇ。そんな心配なら、とっとと見てこい』ぐらいの事は言ってくるはずなのに、大賢者は珍しく優しい言い方をした。
「ちょっと様子を見てきます」
私はキラを案じて寝室に向かうことにした。
寝室は相変わらず同部屋のままだった。私は今朝も一番早くに起きて、キラとピィちゃんに布団をかけ直してから退室した。その時はいつもと変わらない様子だったと思う。今日はそれっきりで、この部屋には戻っていない。
一番奥の壁際に設置されているがキラのベッドだ。私は彼女のところに近寄り、乱れていない布団の中で背中を向けて寝ている彼女に話しかけた。
「キラ、朝ご飯だよ?」
応答は無かった。私は今一度、優しく声をかけた。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「ん……」
わずかに返答があった。私はキラのおでこに手を当て、続いて首元にも手を当ててみた。熱があるような感じがする。少しだけ体を動かして仰向けに寝かせてみると、彼女はどこか不快そうな表情を浮かべていた。白い肌にほんのりとかかった桜色がいつもよりも増して濃いようにも見えた。風邪だろうか。
「……お腹が」
「痛いの? ちょっと待ってて。今、あの人を呼んでくるから」
「あ……」
こんな時の全知全能。世界一の治療術師でもある男、大賢者の出番だ。私は足早に寝室を出て、食卓にいる彼を呼びに行った。
大賢者だけを呼びに行ったはずが、ピィちゃんもアシハラも心配なのか寝室までついてきた。ピリついた空気が室内を漂う中、大賢者はキラの診察を手早く行った。
「これは……」
「どうですか?」
風邪か、それとも食あたりか。昨日だって散々雪遊びしていたし、夕食だって大人の私の倍以上は食べていた。病気に関しては心当たりしかない。それでも大賢者ならば、たちどころに快復させることができるはずだ。
「ある意味、重症ともいえるな。俺には治せん」
「そんな!?」
目の前が真っ暗になった。エルフ特有の症状なのか、それとも不治の病ということなのか。いずれにせよ、私の頭の中は最悪の言葉だけで埋め尽くされた。
「いや、そんなに慌てることじゃない。急激な環境の変化と長旅の疲れが身体に出ているだけだ」
「なんだ……なんですか!! もーう……びっくりした」
私は安堵し、紛らわしい言葉を使った大賢者を少しだけ非難してから、もう一度安堵した。いっぱい遊ぼうが、たくさん食べようが、強力な魔法が使えようが、キラの身体はまだ未熟だ。疲れが出るのも無理はない。
「キラ、俺たちが帰って来るまで、ここでムガのオッサンと大人しく過ごせるか?」
朝からやたら優しい大賢者がキラにも優しく声をかけると、彼女は黙って頷いた。
「オッサン、いい機会だ。その能力を存分に試させてもらおう」
アシハラは見た目に似つかわしくない俊敏さで床に片膝をついた。
「ははぁっ!!」
その口から発された言葉はもちろん肯定だった。それとは別にそう広くもないし、病人もいることだし、私たちの寝室でそんなことはしないでほしい。
「食糧は冷蔵庫と保冷バックにたんまり入っている。温かい飲み物はキッチンのキャビネットの中。キラに求められたら、迅速に提供にするように。ついでにトイレ掃除と、バスルームの排水溝を綺麗にしといてくれ。あとキッチン。換気扇のフィルターがトイレの近くの納戸に置いてあるから。交換しておくように。タバコはあっち側の廊下のチェストの中に入ってるから自由に吸って構わん。他になにか分からない事があったり、手に負えない事態が起こったりしたら、今日のところは諦めろ」
「御意!!」
主に後半の部分が滅茶苦茶な命令が下された。アシハラをそれを真正面から受け止めたのであった。
テントにキラとアシハラを残して、私たち3人は巨人の里へ向かうべく大賢者の転移魔法での移動をおこなった。山の頂にほどなく近いその場所は雪よりも岩肌の露出が多く、緩やかな斜面が続いていた。
「くっくっく……ガキのくせに色気づきやがって」
到着早々、大賢者は冷やかしたように笑いながらキラの事を口にした。
「それって……」
「仮病だよぉ!! アイツ、俺たちと一緒に巨人の里に行くことよりも、オッサンと一緒にいることを選びやがった!! 恋煩いぃ~!!」
この男の意地の悪い笑い方も久しぶりのような気がした。今回の場合、キラの事よりもたぶん私の事をからかっているのだと直感的に思った。
「……やはり、そうだったんですね」
心のどこかでその可能性もあると思っていた私は心配事のひとつを取り除くことができた。
「あれぇ? 『戻りましょう!!』とか言わないの?」
直感は正しかった。大賢者が挑発するような声色でこちらを刺激してきた。だけど今回ばかりは私はそれに乗らなかった。
「あの子が選んだことですから。それに、相手がアシハラさんだったら心配いりません。あなたの様に逸脱した行為を面白がってしたりはしない人ですから」
「……ずいぶん買っているんだな?」
「いえ。私なりの採用試験でもあります」
どちらも本当の気持ちだった。アシハラの誠実さは少ない時間ながらも伝わってきているし、キラにもし何かしたら許さねぇぞ、という気持ちもあった。
「ははっ。エルフと侍のラブコメがどう発展するのかを楽しみにして、そろそろ行くかぁ」
言いながら大賢者は寒さに震えるピィちゃんのフードをつまんで防寒魔法をかけてやると、相変わらず強靭な足腰を見せつけるようにして岩肌の斜面を進み始めた。山道に良い思い出のない私とピィちゃんは顔を見合わせ、それぞれのペースで彼の背中を追いかけた。
頂上まで100メートルもない岩肌の道は、一歩踏みしめるごとに緊張感が高まった。私は精神を安定させるため、大賢者に話しかけた。
「それにしても、大丈夫なんですかね。アシハラさん」
「魔王討伐者の末裔だもの。なんの心配もいらんだろう」
大賢者は登るスピードを緩めて私の話に付き合ってくれた。
「結界はどうするんですか? またサクマが攻め入ってきたら?」
私はすぐそこに控える異種間交際とは別の心配を口にした。
「それも解決済み。放っておいても問題ないだろうけど、今日はちゃんと結界が解けないようにしておいたから」
「それができるのに、なんで昨日はしなかったんですか?」
大賢者はその質問には答えず、足場の悪い岩肌の道を跳ねるように一気に駆け上がった。
「ほらぁ!! さあ、さあ!! ゴールはここだよ!! ここがブルークレーターだ!!」
「ほんと……行き当たりばったりなんだから」
私は無駄とわかりながらも、永遠に解決されることのない苦情を小さな声で申し立てた。




