59 さむらい が あらわれた
立ち並ぶ木々を朝日が照らす様子を背景に、大賢者が出現させたのはガラスのように透き通った体を持つ巨大なクラゲだった。
「久しぶりだな、クアラちゃん。この3人を頼めるか?」
大賢者がクアラちゃんに話しかけると、彼女は音もなく傘を広げ私たちを優しく包み込んだ。全方位を透明色で囲われた不思議な空間の足元は毛布を踏みしているような感触がした。
「見え辛いかもしれないけど、ベンチみたいに座れるようになってる所があるから、そこに大人しく座っておけよ?」
外から水を介したかのような大賢者の声が聞こえてきた。私は手探りで透明なベンチを見つけ出し、そこに自分が先に座ることによって安全性を確かめた。ベンチはお尻や腰、背中、そして肩までもがピッタリとフィットしてとても楽に座ることができた。
「大丈夫みたい。二人とも、おいで」
無事にチェックを終わらせ、不安そうな顔で私を見つめていたキラとポカンとした表情を浮かべていたピィちゃんを自分の両隣に座らせた。ピィちゃんはリラックスしていたようだったが、キラは体をこわばらせていた。
「大丈夫みたいだな? じゃあ飛びまーす」
大地を蹴り上げた大賢者の後に続いて、私たちを乗せたクアラちゃんがその場でゆっくりと浮かび上がった。目線はどんどん高くなり、初秋の色を帯びた針葉樹の森が足元のはるか下に見えるようになった。やがて雲と同じ高さまで上昇すると、クアラちゃんは大賢者の背中を追いかけるように前進して徐々にスピードを上げ始めた。
「やば……ちょっと気持ち悪いかも」
「ユリエルから貰った薬は? まだあるなら今のうちに飲んでおいた方がいいんじゃない?」
キラはポーチからポーションの入ったケースをあわてて取り出した。ケース中ではポーションの瓶が丁寧に一本ずつベルトで固定されていた。乗りながら作業させるのも気の毒に思った私は、彼女に変わってポーション瓶をベルトから取り外し、キラに飲ませてあげた。
「ありがとう、タル」
「大丈夫? 薬が効くまで下は見ないようにして。まっすぐ前を見るといいよ?」
「うん……」
薬が効くまでの間、キラは私の手を握って大人しくなった。小さくて華奢なその手の持ち主が私の元を離れて周りの景色を自由に楽しみ出すまでにそう時間はかからなかった。
森林の上空を越えると目が眩むような銀世界に突入した。足元と地面との距離はそれまでよりも近くなり、私はそこが山岳地帯であることを認識した。どこまでも続く大雪原には様々な大きさの岩が散りばめられ、遠方には黒い岩肌をところどころに見せる山々が連なっていた。
「すげ~……これが雪かぁ……」
雪を間近で見るのが初めてのことだったのか、キラは感動しながら外の景色を食い入るように見つめていた。先導する大賢者が雪化粧をした山を見下ろせる高さにまで上昇すると、私たちを乗せたクアラちゃんも彼と同じ軌道をたどった。
人はおろか生物の気配が全くしない雪原の上空をしばらく進んでいると、飛行を続けていた大賢者がこちらへ振り返って笑顔で左の方を指差した。彼が指し示した方角に目を向けると、とりわけ大きな山の頂ですり鉢状に広がった窪地があった。窪地は一面のアイスブルー色に染められていた。ブルークレーターだ。
「うわぁ……」
「キレイ……」
「ピィ……」
私たちはその美しさに目と言葉を奪われた。なぜかその窪地にだけ雪が積もっておらず、純度の高そうな氷床は湖のようにも見えた。
ブルークレーターを通り過ぎてから数分も経たないうちに本日のキャンプ地へと辿り着いた。ブルークレーターの存在する巨大な山が遠くに見えること以外は何も見どころのない雪原だった。今日は岩を使った土台が組まれ、その上にテントや焚き火台などが設営された。地面から少し高くなった土台からは雪原の遥か彼方までを見渡すことができた。
「それじゃあ、暗くならないうちに門番に挨拶をしに行ってくる。一応結界は張っておくけど、あまり遠くまでは行かないように。万が一の場合に備えて、テントの中までは俺たち以外の誰も入れないようにしてある。もし不測の事態が起きたらテントにこもって、俺が帰って来るまで大人しくしているように。昼飯は適当にレトルト食品なり、冷蔵庫の食材を調理するなり、好きに食べるといい」
大賢者の話は私以外誰も聞いていなかった。キラは銀世界を眺めることに夢中になっていて、ピィちゃんは雪原に倒れ込んで自分の型を作る遊びに熱中していた。私はといえば、彼の注意事項がいつもよりも多いことに少しだけ不安を覚え、その理由を伺わずにはいられなかった。
「なんだか、いつもより警戒していますね? なにか心当たりでもあるんですか?」
「一応だよ。巨人の里があるはずなのに、そういう魔力の集まりを感じなかったからな。想定外の所に連れていかれて、結界が外れちまうこともあるだろうと思ってる。だけどこのテントだけはそういう事が起きても安全だよ、って話」
「そうですか……わかりました」
「留守を頼んだぞ、タル」
それだけ言って大賢者は山に向かって飛んで行った。子供たちが飽きるまで外で過ごすことにした私は焚き火台に積まれた薪に火を点けた。
3人だけの昼食を終えると、ピィちゃんだけがテントの中に入って昼寝を始めた。キラはまだまだ雪原に興味があるのか、一言も喋らずにピクニックテーブルに座りながら焚き火越しの風景をじっと見入っていた。
「もうそろそろ、中に入らない?」
「待って。なんかいる」
「え?」
ようやく口を開いたキラだったが、その内容は不穏なものだった。
「あそこ、人影みたいなのが歩いてる」
「怖いこと言わないでよ」
「ホントだって!! あ、倒れた……ちょっと見てくる!!」
「ダメ!! 戻りなさい!!」
制止を聞かず、キラは雪原へと駆け出していってしまった。私は急いで彼女の後を追った。
キラが言っていた事は本当で、それはすなわち大賢者の予期していた不測の事態が起こってしまったということでもあった。雪原の中で仰向けに倒れていたのは一人の中年男性だった。キラは男を杖で突きながらその第一印象を口走った。
「すんごいブスだなぁ~」
ブスという表現が正しいのかは定かではないが、男の顔のつくりはお世辞にも良いとは言えないものだった。中途半端に伸ばされた髪の毛と整えられていない無精ひげの組み合わせに嫌悪感を覚えない人間は少ないだろう。気を失っているのだろうか、目は閉じられていた。全体的にむっちりとした体つきをしていたが、厚い脂肪の下にはがっちりとした筋肉の隆起が確認できた。本物の山賊というのはきっとこういう姿かたちをした人なのだろうと思えるルックスの持ち主だった。
「キラ、それ……近づいちゃダメかも」
絶対に敵だ。最悪のタイミングであの人が望む刺客がやって来てしまった。
その中年の男はどこかで見たことのある気がするどころか、完全に見たことのある日本刀を携えていた。着ている物も非の打ちどころのない侍タイプの上下に分かれたローブで、男がはるばる日本からやってきたことを意味していた。
「そうか。ダメか。おい、オッサン。どうやらお前はもうダメらしい。最期に何か言いたいことはあるか?」
「待って。このまま何も見なかったことにして雪の中に埋めてしまえばいいのでは? 存在そのものを抹消してしまえば、大丈夫かもしれない」
発覚しなければ事件にはならない。私一人だったら、迷いなくその行動をとっていただろう。問題は幼いキラが目撃してしまっている事だった。いかにして彼女からこの忌まわしい記憶を消すか、私は頭の中をぐるぐると回転させた。
「怖っ!! 嘘だろう!? なんで助けてくれないの!?」
「きゃあああぁぁぁ!!!?」
「うわあああぁぁぁ!!!?」
突如男は息を吹き返し、大声で訴えかけてきた。私とキラは驚き叫び、お互いに身を寄せ合った。男はふらつきながらも立ち上がって、着ている物と同じ鈍色に濁った瞳をこちらに向けて話し始めた。
「ごめんごめん。驚かせちゃった? そういうつもりは無かったの。危ねぇ~。飢えて死ぬとこだったぁ~。全然近づけなかったぁ~。何なの? 本当に。あの保護魔法をかけたのは、プロの結界師の方ですか? それしてもおかしいって。斬れない結界なんて、生まれて初めての事だったんですけど? っていうか、結界ごと移動するとか反則じゃないですか? 普通エリアごとに区切って、結界から出たら新しい結界をかけ直すっていうのが魔道っていうもんじゃないですかね? 一度、術者に会わせてもらえませんか? どうかお目通りを叶えさせていただきたく存じますぅ」
やたらと恨み言の多いその男性は声までが汚かった。
「その結界をかけた人は、おそらくうちの大賢者だと思いますけど……」
「アレはなんだ!?」
キラが遠方を杖で差した。今度は私にもわかった。猛烈な勢いでこちらに近づいてくる大きな獣だ。
「大変!! 熊が近づいてきてる!! はやく逃げなきゃ!!」
「エビルグリズリーか!?」
嬉々とするキラの次に口を開いたのは中年男性だった。
「穴持たずか……どうでしょう。物は相談ですけど、もしおじさんがアレをたたっ斬ることができたら、恩賞として何か食べさせてくれませんか?」
「お願いします」
すでに昼食は済ませ、与えられる食べ物はそんなに多くはなかったが、排除したいものがたくさんできてしまった私は悩まずに即答した。理想は熊と中年男性の相討ちだ。最悪熊の方が勝ち残ってくれれば、私の方でなんとかできるかもしれない。
「じゃあ、おじさんはここであの熊を引き付けるから、お嬢さんたちは安全な所まで離れててくれるかな?」
意外と紳士的な部分を見せてきた中年男性の言葉を私たちは甘んじて受け入れた。
「頑張れよ、オッサン!!」
なぜかキラは男の方に肩入れをしていた。




