57 貧乏貴族
巨木に建てられた広々としたデッキに出ると、空は輝きを放つ星々で満ちていた。デッキの柵まで行き下を見ると、この場所へ辿り着くために設置されていた階段と踊り場はすでに森へと還されていた。パチパチと火の粉が弾ける音のする方向に顔を向けると、この場所の創造主が椅子に座りながら焚き火台の炎の管理をしている姿があった。今日は珍しくアルコールの摂取はしていないらしい。私は本日の報告をするため、彼の元に近づき空いている椅子に腰かけた。
「よう、お疲れ。キラはちゃんと寝たか?」
「とりあえずベッドには入ってくれました」
最近になって、キラは早い時間の就寝に不満を持つようになった。もう少しだけ、もう少しだけと、大人と一緒の時間を過ごしたがるようになってきていた。
「ああ……ついに成長期が来たかな?」
「そうなんですかね。でも、反抗的かと思ったら急に甘えてくるようになったり、難しい年頃であることには変わりないですね」
「やがていつかは構われる事すらなくなる。そうなった時は……寂しいぞ~?」
大賢者は薪に燃え移らせた火を口元に近づかせて、いつの間にか咥えていたタバコに火をつけた。ワイルドな姿が似合わない美しい横顔と吐き出された白い煙が炎に照らされていた。
「……まるで子育て経験があるみたいな言い方ですね?」
「俺を誰だと思ってやがるんだ? 魔法史上最年少で大魔導士になった、あの天才を育て上げたお兄ちゃんだぞ?」
また弟の自慢話をするつもりだ。私は表情筋を弛緩させて彼の話を引き出すことにした。
「その天才大魔導士は、どんな少年だったんですか?」
「そうね……精霊とか動物とか、昔っからそういうのが好きな子だった。人間と同列に扱うというか、そのへんが母親との折り合いが悪い部分でもあったな」
「へぇ……」
弟と母親の間に確執があったというのは意外な話を聞けた。となると、現在もその確執が続いているのか気になるのが人情というものだった。
「それは今でも?」
「いや、ユリエルが大人になると自然と解決した」
「……それは何よりです」
「何よりだとぉ?」
大賢者は眉間にしわを寄せてこちらを睨みつけてきた。まずい。つい最近、同じ言葉で失敗をしたことを鮮やかに思い出した私は肝を冷やした。
「……それはどうだかな」
私の予想に反し、大賢者は怒りを吐き出すことなく話し続けた。
「優しい人間は損をする、なんてよく言うだろ?」
「まあ、そうですね……」
優しさというのは、一般的には仇となりやすい傾向にある。優しい人間というのは相手の事を把握できる能力に長けていて、人に寄り添う態度をとってしまう。結果として相手に利用されるだけされて、損な役回りを押し付けられる。それが彼の弟と何か関係があるのだろうか。
「だけど、そんじょそこらの優しいだけの甘ちゃんとは違って、俺が育てたユリエルは優しいけど心も体も強いわけ」
大賢者は一点の曇りもない、教育に対するものすごい自信を見せつけてきた。
「でもさ、やっぱ人間だからさ。そんなこと言っても、心配になる時もあるよね。それに相手は切っても切れない関係の母親だ。だからまあ……どうなんだろうな、って話だよ」
「……貴族の家庭というのは複雑なんですね?」
いつもと違って歯切れ悪く話を終わらせた大賢者に、自分なりに精いっぱいの同情の言葉をかけた。
「貴族だぁ?」
大賢者は薄ら笑いを浮かべ、私の言葉に困惑した様子を見せた。
「え? だって……魔王討伐を果たしたアレキサンダーの血筋ですし、最後の領地を持つ領主の家系でもあるじゃないですか。世間的には大貴族ですよ?」
魔法界においてアレキサンダー家の地位というのは特殊な所に位置しているが、かなりの上位にいることに間違いはない。また、一族出身の人間がなかなか表舞台に出てこないという性質も併せ持っているため、一部からはカルト的な人気を誇っていたりもする。
「タル。お前、何か……俺が金持ちのボンボンみたいな、変な勘違いしてないか?」
「違うんですか?」
「ちげ、おま……わかってねぇな~。バーカ!!」
大賢者はそこでいつもの調子を取り戻した。
「俺がガキだった頃の実家なんて全然、超ド貧乏だったんだぞ? お前の実家なんか豪邸だよ? 親に感謝しろよ? マジで」
「……本当ですか?」
私は半分疑いながら、目を大きく開き身振り手振りも普段より大きくさせた大賢者の話の続きを聞いた。
「そうだよ。あんな城なんか影も形もなかったんだから。きったねぇ洋館に住んでてさ。俺が中学に上がるまで兄弟で同じ部屋だったんだけどさ、そこの屋根裏なんかユリエルが連れ込んだ動物たちの糞尿だらけでベットベドになっちゃって。そういうところで掃除とか消臭とかの隠ぺいの為の魔法を覚えるんだよ。母親にバレると怒られるから」
大賢者は活き活きとした様子で捲し立てた。どうやら彼の話は本当の事らしい。私は今まで聞いてきた彼の少年時代の思い出話を振り返って、確かにその方が彼ら兄弟の遊び方や学び方においてはしっくりくるなと思い納得できた。
「そうそう、俺一回だけユリエルをぶん殴ったことがあるんだ。俺たちが隠れて飼ってた白イタチが死んで、ユリエルがそれを蘇生させようと死霊術に手を染めようとして……信じられるか? まだ6歳の時にだぞ? あの時、俺が本気で止めてなかったら世紀の大悪党が生まれてたかもしれん」
魔法の修得難易度も順序も無茶苦茶な話だった。彼の思い出話はさらに加速し、アレキサンダー兄弟と集落に住む若い女性を狙った夢魔との攻防戦にまで発展していった。話の内容はかなり不健全だったが、傍らにアルコールのない健全な夜はゆっくりと更けていった。
「え~、今日から雪山に突入します。しかし雪山の道はこちらが予想していたものよりも、かなりの距離がありました。したがって、君たちはしばらくの間歩かなくていいです」
朝食の席で秘密の多い大本営が珍しくその日の予定を発表した。
「やった~!!」
箸の先を納豆の糸で粘つかせながらキラは喜びの声をあげた。
「それじゃあ私たちはどうやって進むんですか?」
「わたくしが移動に最適な使い魔を出します。皆さんは速やかにそちらに乗り込んでください」
なぜか紳士的な口調を続ける大賢者は私の疑問にすぐに答え、予定の詳細を話し始めた。
「今日はブルークレーターの近くまで行って、そこでキャンプの予定です」
「ブルークレーター?」
聞き馴染みのない地名だった。
「はい。雪山の中に青い氷床で覆われた大きな盆地があるらしいとの情報を得ております」
「そこに巨人の里があるんですか?」
「うん、里の門番がいるんだって。だから今日キャンプ地に着いたら、まず俺がそいつに話を通しに行くから、君たちは大人しく待っているように」
いつもの口調に戻して大賢者が説明を終えた。あの一瞬の業務的な口調は何だったのだろうか。それと彼はどこで巨人の里の情報を得たのだろうか。
「巨人て……本当にいるんですか?」
「大丈夫だって。ただの寄り道なんだし、いなかったらいなかったでそのまま旅を続ければいいだけの話なんだから。キラ、味噌汁も飲みなさい。ネバネバが取れやすくなるから」
あちこちに糸を引かせるキラは大賢者のアドバイスを聞いたが、お椀にもネバネバの被害を拡大させただけだった。




