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無頼の魔女イシュタル  作者: ふるみ あまた
2章 山の章
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56 キャンプ、ハイク、キャンプ

 

 キャンプ中心の生活になってから、日の出とともに起きるようになった。同室の子供たちは当然まだ寝ているが、私は一足先にベッドを抜け出して屋外へ行くための準備を始めることにした。


 朝日を浴びながらコーヒーを飲むのが日課となりつつあった私は、その日も温かいコーヒーを片手に外にあるピクニックテーブルに腰掛けようとした。しかし残念なことに、その日は一人の男に先を越されてしまっていた。


「……何をしていらっしゃるんですか?」


 テントから少し離れた湖畔で大賢者が深い緑色をしたアウトドア用の折りたたみ椅子に座り、腕を組んで湖と睨み合っていた。彼のすぐそばには空っぽの魚籠(びく)が置かれていた。


「ん? エビルグリズリー用の餌にしようと思って魚釣りをしようとしたんだが、面倒になって辞めた」

「本気でエビルグリズリーが存在すると思っているんですか?」

「どうだろうな? だがもし本当にいたとして、生け捕りにできたらキラが喜ぶと思ってな」

「……それは間違いないですね」


 大賢者は自分の隣にあった魚籠を消し去り、同じ場所にワインレッド色のアウトドアチェアを出現させた。彼の無言の指示と受け取った私はその椅子に座った。


「コーヒーは?」

「いらねぇ。お前、コーヒー好きだよな?」

「好きというより、習慣ですかね」


 捜査官として特防課に勤めていた時、ほとんど毎日のように起床時にコーヒーを飲んでいた。その習慣は無頼の身となった今でも変わることがなかった。


「好きでもねぇのに飲んでるのか? やめとけって、そんな苦い飲み物。昨日のストロベリー&バニラフレーバーのヘーゼルナッツ入りクリーミーココアの方が断然うまいぞ?」


 大賢者とキラが昨日飲んでいたホットドリンクの正体は名前が長過ぎた。私は元捜査官の記憶力を活かして即座に彼に切り返した。


「ストロベリー&バニラフレーバーのヘーゼルナッツ入りクリーミーココアのような甘い飲み物は、摂取するとすぐ体に出る歳になったので遠慮しておきます」

「ふふっ……やるな。だけどそんなババアでもねぇだろ。大体俺と同じぐらいなんだろう?」

「まあ……そうですけど」


 私は大賢者よりも1つ年上だ。しかしできる限り、年齢の話題を避けたい私はそれ以上は何も喋らなかった。


「何だよ、年齢の話は嫌いなのか?」


 ところが大賢者は沈黙を許してくれなかった。


「今更だが俺と一緒にいる限り、年齢とかもそうだけど、自然な事なんていうのはもう無いぞ? これまでに通用したまともな考えなんてのは捨て去って、もっと人生を楽しむ方向に思考を変えることをお勧めする。せっかく束縛から解放されて自由の身になったんだろう?」

「……あなたという、新たな束縛がありますけど?」


 言ってしまった。というか、言わずにはいられなかった。私は『人の事を無理やり連れ出してどの面下げて言ってるんだ、この人』という思いを言葉にして彼に伝えた。


「ははははは!! 言うじゃねぇか!!」


 彼は怒ることもなく、大笑いして受け入れてくれた。


「それだよ。俺が言いたいのは、そういう事。だいぶ良くなってきたな、タル?」

「……ありがとうございます」


 何を褒められたのかはよくわからないが、これからは少しだけ自分の言いたいことが言いやすくなった瞬間だった。


「年齢の話に戻ろう。きっと将来、俺は誰からも忌み嫌われるクソジジイになることだろう。だからお前は後の世代にそれを語り継ぐような、素敵なババアにでもなってくれ」

「……わかりました」


 次の日の朝から、私は少しずつコーヒー以外の飲み物も飲むようになった。それは水であったり、ミルクであったり、紅茶であったり、ごく稀にストロベリー&バニラフレーバーのヘーゼルナッツ入りクリーミーココアも選択肢に入るようになった。





 日中は目的地に向かってひたすら進み続けた。移動手段は半分くらいは補助魔法を使っての徒歩によるものだったが、大賢者の使い魔のひとつである巨大亀の背中に乗って川を渡ったり、崖登り魔法を使って険しい岩山を登ることもあった。カナダの大自然というのは見る分にはものすごく楽しめるものだったのだが、実際にその中を移動するとなると大人でもかなりの魔力と体力を消費して景色を楽しむどころではなくなってくる。


「レオ、疲れた~。休もう?」


 最初に音を上げるのは決まってキラだった。とはいえ、私も肩で息をするくらいには消耗していた。ピイちゃんはまだ余力はあるようだったが、飛行魔法を使い始めていたので体力の面では辛かったのかもしれない。


「それじゃあ、ぼちぼちキャンプできそうな所でも探すか」


 日照時間が少しずつ短くなっていく時期という事もあり、最近ではキャンプを張る時間もそれなりに早い時間になってきていた。大賢者はその場で跳躍し空高くまで達するとピタリと動きを止め、周囲の確認を始めた。


「いいなぁ~……」


 キラが大賢者の飛行魔法を羨む声をあげた。


「そういえば、キラって空は飛べないの?」

「道具もなしに飛べるわけないじゃん。タルは?」

「私も一緒」


 そう言うと、キラはなぜか甘えるように抱きついてきた。


「どうしたの? 急に」

「船の、温泉の中でタルがしてくれた時に疲れが取れたから」

「あ、ええ?」


 そういえば、そんな事をしてしまった時もあった。どうやらキラなりに私のことを心配してくれたらしい。彼女は抱きついたまま私の顔を見上げてきた。


「疲れ、取れた?」

「うーん……どうだろう。キラは?」

「……少し取れた気がする」


 ハグでの疲労回復はキラに対してだけ効果があるようだった。


「なーにやってんだ、お前ら?」


 キャンプ地の偵察を終えて大地に戻ってきていた大賢者が、私たちを見て冷笑しながら言った。キラはすぐに大賢者の元に駆け寄って彼を抱きしめた。


「やーめろっつーの。暑苦しい」


 心底嫌そうな表情を浮かべながら、大賢者はキラを引きはがした。


「……ダメだ。やっぱり固いというか、何か違う」


 そう言ってキラは再びこちらに来ると私の事を抱きしめてきた。


「本当に何やってんだよ?」

「なんか、こうすると疲れが取れるそうですよ?」

「ほーん……」


 大賢者はそれきり黙ってしまい、キラの気が済むまでハグタイムは続いた。それほど長い時間ではなかったが、くっついていた体が離れるとキラは元気を取り戻したように見えた。


「……さて、あと15分から20分も歩けば、良さげな巨木のある場所に着きそうだ。今日はその木の上でテントを張ろう」

「やったー!!」

「ピピィ!!」

「そんなこともできるんですか?」

「当たり前だ。大賢者だぞ?」


 愚問であった。私たちは鬱蒼とした針葉樹の森の中を進み、大賢者の言う巨木のある場所を目指した。





「デイヤー!! ダダダダッダッダッ!!」


 大賢者はリズミカルに大声を張り上げながら、魔法で森の中に落ちている葉っぱや木の枝などをかき集めて組み立て、あっという間に巨木の上に広々としたデッキを作り上げてしまった。デッキまで上がるための階段は石も使われていて、本職の人が作ったのかと思うほど頑丈な出来だった。


「建築魔法……お上手ですよね?」


 私はデッキ上でキャンプの設営に勤しむ大賢者に声をかけた。この男は異様なまでに建築魔法が達者だった。


「ああ、男の子の道を通ってきてるからな。この魔法で秘密基地を何百万回作ってきたことか」

「なるほど……」


 子供時代に同じ魔法を10万回使うと達人になれるなんていう記事をどこかで読んだ覚えはあるが、この人、貴族出身のくせに他にやることはなかったのだろうか?


「さて、今日は何食べようかねぇ!?」


 お馴染みのピクニックテーブルの上で、彼はすでにペンとメモ用紙を用意していた。森の針葉樹たちはちらほらと黄色味を帯びてきていた。

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