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無頼の魔女イシュタル  作者: ふるみ あまた
1章 海の章
53/160

53 船旅が終わった

 

「よう」


 転移で先回りしていたのか、スパの出入口には大賢者が立ちふさがっていた。私は彼を無視して横を通り抜けようとした。


「無視するなよ。俺が悪かったって」


 大賢者にガッチリと腕を掴まれ、謝罪された。魔力的にも体力的にも、振りほどこうとしてもそれができない事を感覚的に察知させられた。


「……痛いです。離してください」


 力で無理ならば、言葉で応戦するしかない。大賢者は大人しくこちらの要求に応じた。私たちの顔を不安そうに交互に見やるキラの耳にかかるつけ毛に防音呪文を施して、私は今一度大賢者との話を再開させた。


「……何の用ですか?」

「落ち着けって。腐っても相手は魔女だったんだぞ?」

「相手の気持ちを修復する努力を怠りましたよね? 自分が楽しむためだけに」


 私の怒りは収まらなかった。悪戯に悪を芽生えさせるような大賢者の行為は到底理解できなかった。


「そうかもしれないけどさ、俺が桜子の好意を断った時点で、どう転んでもこうなってたんだ。あいつの生まれと育ちを考えれば、お前にだって、いやお前だからこそ、それは何となくわかるだろう?」

「それは……」


 言葉に詰まった。何となくどころではない。超富裕層の子供が犯す犯罪なんて今まで何件も目の当たりにしてきた。犯行動機やその傾向も熟知している。秘匿戦争が超富裕層の子供たちが暴走して引き起こされたものだという事実だって嫌というほど記憶に刻み込まれている。


 脳裏に浮かび上がったのは、床に手をついた桜子が私に向けた視線だった。私は大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出し、脳の温度を下げた。


「……それで、どう決着をつけるおつもりですか?」

「思いっきり暴れさせてやれば、気が紛れるだろう。失恋ってのは金持ちだろうが貧乏人だろうが、人生において避けては通れん道だ。たかが失恋と舐めて放っておくと、どこだかわからん真っ暗闇の空間から出られなくなったりもする。それに、世間知らずのお嬢様には、物事が思い通りにならなかった時にどうするかを学ばせてやらないといかん」


 ひとつも間違ったことは言っていない。けれど、その言葉から彼の目論見の全容がつかめないことが問題だった。


「だから……それをどうやって彼女に教えるっていうんですか?」

「ん~……熱血?」


 自分でもわかっていない動かぬ証拠だった。彼は疑問形で答えてきた。あまりにもバカらしすぎて私は笑ってしまった。


「もう……この子の身の安全だけは保障してくださいよ? それだけは、それを破ったら今度こそ、本当に縁を切らせてもらいますからね?」


 私は真面目に怒っていた自分のことすらバカバカしくなり、一番大切な事だけをきちんと彼に約束させることにした。


「誓ってやる。だが、どちらかといえばお前の身の方が危ないと俺は思っている。桜子に何を言ったんだ?」

「別に……向こうが勝手に勘違いしているだけなのでは?」

「ふーん……まぁ、いいさ。俺の所有物に手を出すような真似をするのであれば、財閥の令嬢だろうが、異世界の支配者だろうが、それなりの罰を与えることにしているからな。お前たちの身の安全は絶対に保障する」

「お願いします」


 安全保障条約が締結された。大賢者はにっこりと笑って私たちに道を譲った。


「それじゃ、ひとまずここは楽しんでこい。あとでラウンジで落ち合おう」


 満を持して、私はキラと共にスパ施設へと足を踏み入れた。





 広い温泉は私とキラ以外に誰の姿もなかった。あんな騒ぎもあったことだし、それも致し方なしというところか。逆に考えれば大賢者が巻き起こした乱闘事件は、他の誰の目を気にすることもなく温泉に入れたという意味では良い事ではあったのかもしれない。とはいえ、知らない場所では二人で一緒に行動しないと不安になる。こういうところが、私とキラがいまひとつ垢抜けない理由であるのかもしれない。


 グレーのマーブル柄をした広い浴槽には、美肌効果があるというアスモデウスハーブがふんだんに使われていた。お湯はほんのりとピンクがかっていて、柑橘類にも似たみずみずしいフルーティーな香りがした。私たちはまず最初にそのお湯から楽しむことにした。


「……タル、もう怒ってないか?」


 私と肩を並べてお湯に浸かるキラが不安そうに口を開いた。


「ううん、怒ってるよ」


 今回の大賢者の悪ふざけに関しては、あくまで日常のワンシーンに過ぎないことだ。だから私は許すことができた。けれども、自分の中の怒りが消え去ったかといえばそれはまた別の話だった。


「タルはあんまり怒らないでくれ」

「タルは、って……」


 あの男は怒ってもいいのかと言いたくなった。グッとこらえて少し考え、もし彼がそうなった場合のとてつもなく気味の悪い姿を想像すると、キラの言いたい事が何となく理解できた。


「……ごめんね。怖かった?」


 キラは以前、私の顔を怖いと言ったことがある。彼女は大賢者の恐怖には耐性があるのだが、私のそれに関してはあまり良い感情を抱いていない。私はキラに謝り、どこか落ち着かない様子を見せ続ける彼女に心情を聞いた。


「うーん……怖いというより、悲しくなった」

「悲しい?」

「うん……わからないけれど、二人には仲良くしていてもらいたい」

「そうね……努力する」


 私は汚い大人たらしく、叶えられそうもない彼女の要望に口約束をした。キラの求める理想は険しく遠い。それを現実のものにするには、私が悟りを開いて怒りや憎しみを感じない境地に達するか、キラがもう少し成長してこちら側の心理というものを理解するようになる他ないだろう。


「すまん」

「どうして謝るの?」

「タルの味方ができなかった。私は、どっちもその……」


 もじもじと恥ずかしがり、次に続く言葉を出せないでいるキラから確かな愛情を感じた。愛おしい感情に支配され、気持ちが昂った私は彼女の事を抱きしめていた。


「……わかってるよ、キラ。ごめんね? これからもあの人と喧嘩はするとは思うけど、それは仲が悪いからじゃないの。それに、喧嘩したらきちんと仲直りもする。だからあなたは安心して、見守っててね?」


 喧嘩が子供に与える悪影響について、考えさせられる一幕であった。もしかしたら、旅の中で成長しているのは子供のキラではなく、学びを得た私の方なのかもしれない。


「デュフフフフ……」


 あまり可愛くない、キラの湿り気のある笑い声が施設内に反響した。





 ちょっとした言い合いをした日も、晩酌だけは欠かさない。それは私と大賢者という、まったく違う価値観を持った人種同士を繋ぐコミュニケーションツールになっていた。ガラス張りの窓の外には夜の空間が広がり、室内ではテーブルの上に馴染みのない高級酒のボトルを並べて、ああでもないこうでもないと、それぞれの好みの酒について談義を交わしていた。


「ボトルは確かにお洒落かもしれんが、ほぼ砂糖よ、それ」

「でもこの瓶、オーシャンビューにピッタリだと思いませんか?」


 私たちは螺旋模様の入った細長い青い酒瓶を批評していた。


「ま~た、お前は。そうやって、す~ぐ騙されちゃうんだから」

「何にですか?」

「雰囲気に」

「へへへ……」


 私たちが次々に開けたお酒は軒並みアルコール度数が高いものばかりだった。私はいつもよりも少しばかり酔いが回っていることを自覚していた。


「それにしても本当に肌ツヤが良くなったな。明日も行けば?」


 大賢者は昼間からスパの効果をものすごく褒めてくれていた。


「ありがとうございます。明日も一緒に来てくださいね? キラも喜びますから」


 多種多様の風呂のこと、私の裸を見た感想、ラウンジでの飲みきれない種類のスムージーと生絞りフルーツジュースのこと、大好きな納豆巻きが入ってない大賢者が食べられないタイプの本格的な寿司セットについての不満。これらの事を夕食時にキラが興奮気味に話していたことを思い出す。その時と同じように、大賢者は満足そうに微笑んでいた。


「いいの?」

「ラウンジで待っていてくださいね?」


 彼がスケベな事を言い出す前にけん制した。


「本当に……素敵な旅をありがとうございます」


 なんだかんだで3日もしないうちに、船は目的地に到着する。少し早いかもしれないが、私は今回の船旅の感想でまず最初に頭に浮かんだことを大賢者に伝えた。


「どうした、急に?」

「こんな豪華な旅、私一人ではとてもできませんから」

「俺も一人で旅をする気なんて起きないぞ? いくら金があったって、楽しみを分かち合う存在がいないと意味がない。そう思わないか?」

「……はい」


 意外なところで彼が私と同じ価値観を持っていることがわかった。突然湧いて出たポジティブな感情に私は戸惑い、その感情を抑えつけた。


「……あと3日もしないうちに、到着ですね?」

「後悔しないように存分に楽しもう。いや待てよ? 今回の旅が終わったら、もう一度乗ってもいいかもな」

「その時は、ソフィーさんも一緒ですね?」

「そうなってしまうんだよなぁ……」


 複雑そうな表情を浮かべながら、大賢者は窓の外に視線を移した。私もそれにならい、あと2回ほどしか見ることのできないその光景を、しばらくの間黙って見続けていた。







 船は停泊したが、その男の言動は正反対に(やかま)しいものだった。


「タル、ゼノの水は持ったか!? 放っておいたら、臭くなっちゃうからねぇ!?」

「はい」

「ゼノ、ローブはフードまできちんと被りなさい!! 悪戯に素顔を見せて、人々を驚かせてはいけないよぉ!?」

「ピピィッ!!」

「キラ、ユリエルから貰った薬は飲んだか!? それでも気持ち悪かったら、無理せず俺に言うんだぞぉ!?」

「うん!!」

「よーし、それじゃあ行こう!! レッツゴーキャナ~ダ~!!」

「キャナ~ダ~!!」


 長い長い豪華客船の旅はついに終わりを迎えた。私たちはこれからカナダへと足を踏み入れ、秘宝の魔力が封印された場所へと向かう。ただ一つだけの不安要素は残っていたが、それについては条約が守られることを祈ることしかできない。


 私はピィちゃんを抱っこしながら、張り切って先導する大賢者とキラの背中を追いかけた。

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