52 外神桜子
大賢者は自分の腹に突き刺さったままの刃物を引き抜くと、それを床へと投げ捨てた。その凶器は刺さる前は確かに普通のナイフのような形状をしていたはずなのに、刃の部分が花のように開いていた。赤い血に染まるその凶器は、まるで彼岸花のように見えた。
「毒まで塗ってあって完璧だった。ほとんど魔法に頼らなかった点も素晴らしい。本日のMVPかもしれん」
そう言う割に大賢者は全くダメージを受けている気配がなく、刺されたはずの腹部は出血すらしていなかった。彼の前を横切り「馬鹿らしい」と呟きながら一人の魔女が退室していった。その様子を見届けた大賢者はラウンジの中央へと躍り出て、声高に魔女たちを挑発した。
「次!! いっぺんに来てもいいんだよ!? 協力できるならな!?」
火炎の旋風が大賢者に襲い掛かり、上半身が炎で包みこまれた。
「よいしょ~!!」
なぜかはわからないが、大賢者の掛け声で火は即座に鎮火した。燃えたのは彼の着ていたローブと服だけだった。上半身だけが裸となった彼の顔に、全身を火で纏った人型の魔法生物が猛烈な勢いで蹴りを入れた。
「たまんねぇ……火の神だぁ!!」
蹴りが顔に当たる前に手で受け止めていた大賢者は『火の神』と呼んだ存在の顔を2発ほど殴りつけて怯ませ、すかさず蹴り飛ばした。火の神は召喚者と思わしき魔女ごと壁に叩きつけられると音も立てずに消え去り、下敷きになった魔女は気を失っていた。魔女は宙に浮かび上がり、窓際の簡易ベットまで速やかに運び込まれた。
「次ぃ!!」
大賢者は着々と活発になっているようだった。窓際で傍観している魔女たちの中から、また一人退室する者があらわれた。
「どうして……」
私は嘆きの声をあげた。なぜこんなことになってしまったのだろう。私はただ、セレブ専用エリアにあるトレーニングルームで爽やかな汗を流し、その後は極上のスパ体験で船旅によって疲れた心と体を癒やし、変わり果てる前のこのラウンジで皆で眺めを楽しみながら、ゆったりとした時間を過ごしたかっただけなのに……。
「すっげぇ……」
休まずに戦い続ける大賢者にキラが感嘆の声をあげた。違う。違うよ、キラ。本当だったら今頃「楽しいね」って。「船降りたくないね」って。私の頭の中では、そんな風に残り短い船旅の時間を惜しむような体験をしているはずだったんだよ……。
「レオナルド様、相変わらずお元気ですわねぇ?」
ふいに若い魔女に穏やかな口調で話しかけられた。あまりにも自然な声入りだったためか、自分が話しかけられたのだと気がつかなかった私は、その女性の事をまじまじと観察してしまった。左目にある泣きぼくろにまず目がいった。綺麗に整えられた長く艶のある美しい黒髪も合わさって、神秘的でどこか憂いのある雰囲気を纏っている。六芒星を連結させたような特有の柄のローブを着ていて、その魔女が日本人であるという事をすぐに特定出来た。
「失礼しました。私、外神桜子と申します」
「……イシュタル、と申します」
私は警戒しながら自己紹介を返した。
「まぁ。イラクの方でいらっしゃいますか?」
「えぇ、その……外神さんは日本の方ですよね?」
自分のややこしい出身地の事は濁しつつ、私は相手の正体を突き止めるべく自然に会話をすることにした。
「桜子で構いませんわ。そうです。日本の魔女でございます。そちらの可愛らしい御方は、どちらのご出身なのですか?」
桜子は私の隣にいるキラに興味を抱いた。
「……バインッバインッだな!? 何を食べたらそうなれるんだ!?」
キラは桜子の体格にそぐわない立派な胸のことだけを話題にした。
「ごめんなさい!! この子はその……北欧のヴァイキングの血筋を引いている子でして、少々荒っぽい部分が抜けきらなくて!!」
急場にしては、それっぽい言い訳をうまく繰り出すことができた。もっとも、相手が無礼を許すかどうかまでは計算外ではあった。
「そうだったんですの。道理で……。お気になさらないでください。私もこの子と同い年ぐらいの時は、自分の体について思い悩んでいましたから」
もう悩んでいないってことですか。そうですか。私は心の中でそんな事を考え、この人の事が苦手になった。
「そのおっぱいはどうやって手に入れたんだ?」
キラは胸の話しかしなかった。桜子はにっこり笑って答えた。
「いいお薬があるんですの。ティナポーションから販売されているお薬で、少々お高いですけれど、それ以上に確かな効果がありますわ」
ティナポーションはセレブご用達のポーションも出しているメーカーだ。私は社長にケーキの作り方は教えてもらったことはあるけど、ポーションはくれなかった……。
「タル、それ私も欲しい!!」
「……今度会ったら一応かけ合ってみる」
たぶん無理だろうけど。万が一話が通ったら私の分も貰おうか。いや、今更そんなものいらないか。でも一度ぐらいは……。
「黒の魔女様と面識があるということは、やはりあなた方もレオナルド様とお知り合いでしたのね?」
「あ……いや」
油断した。私情にとらわれすぎて、冷静さを欠いてしまった。大賢者に言われていた他人の振り作戦は脆くも崩れ去ってしまった。
「そんなに心配なさらなくても、大丈夫ですよ?」
「……桜子さんも、面識が?」
私はこれ以上ボロを出さないように相手に喋ってもらうことにした。
「ええ。6年前、誘拐された私を助けてくれたのがレオナルド様です」
「へぇ」
言わないだけで、大賢者はちゃんとそれっぽい事もやっている。彼なりの美学なのだろう、自分の正義の行いを絶対に口にしないし、何なら悪の方であるかのように思い出を話すときもある。安易に正義を振りかざさない所が彼の長所なのだ。
「あの時の事は今でも忘れられませんわ。レオナルド様ったら、お姉様どころか、お母様とまで関係を持ってしまって」
ゲロ話だった。前言撤回、大賢者の長所なんて存在しない。ただ金と性欲で動くだけの男に過ぎないのだ。
「……あ、あなたはご無事だったんですか?」
私はただ、桜子の身を案じた。
「……当時は未成年でしたから。私なんか相手にもされませんでしたわ」
「それは……何よりです」
彼女の言葉でほっと胸をなでおろすことができた。キラにとんでもないことしてる癖に、そういうところだけしっかり守ってんじゃねぇよ、とも思った。
「それはどういう意味でしょうか?」
桜子が突如として表情を凍らせ、冷たく言い放った。どうやら私は彼女の心の中の何かしらの部分を傷つけてしまったようだった。
「何よりですって? 私だけがレオナルド様に抱かれなかった!! それのどこが良かったというのですか!? あなた、レオナルド様と随分距離が近かったですわよね!? 見えていましたよ!? 最初にこの部屋に入って来たときの姿!! まるでお姫様と騎士様の関係ではありませんでしたこと!? どうして!? あなたたちは一体何者なの!? どうして!! どうしてレオナルド様はお姉様とお母様を選んで私を選ばなかったの!?」
やばいやばいやばい。この人、一番やばいタイプの人だった。途中までは品の良い巨乳のお嬢様に過ぎなかった人の正体はとんでもないモンスターだった。
「お~い、終わったぞぉ? とりあえずトレーニングルームでも行くかぁ?」
モンスターの生みの親が私たちに近づいて話しかけてきた。気がつくとソファでできた簡易ベットは埋まり、窓際に残って見物していた魔女も桜子以外には誰もいなくなっていた。
「レオナルド様!!」
桜子は表情を緩ませ、ローブの裾を持ち上げながら小走りで大賢者に駆け寄って行った。
「お久しゅうございます!! 桜子でごさいます!!」
「え? 桜子!? マジかよ!? 大きくなったなぁ~……」
「はい!! 桜子は大きくなりました!!」
桜子は成人したという意味で言ったのだろうが、桜子の胸のあたりを見ていた大賢者は違う意味で驚いていた。
「そうかそうか。元気だった? その~……お姉様とお母様も含めて」
「そんな事よりも」
いや、大変な事でしょうが。あなたの肉親の事ですよ? どうやらこの場には、まともな人間が一人もいないようだった。
「桜子は大人になりました!! お慕い申し上げます、レオナルド様。桜子と結婚してください!!」
6年前は少女だった魔女が大賢者に渾身のプロポーズをした。私はもうどうにでもなれと思いながら、キラと手をつなぎ全力でありとあらゆる防御魔法をかけた。
「悪い、桜子。俺、結婚すんだわ」
哀れ、桜子はまさに糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「……せない」
桜子は両手を床につけたまま、ぼそぼそと恨み言を呟いた。
「あん?」
「……あの女ですか?」
すさまじく重たい、感情のこもった視線がこちらに向いた。すると大賢者はいかにも悪辣な事を思いついた表情を浮かべた後、私たちの後ろに転移してきた。
「違うよ? だけど、こいつらは俺の大切な存在」
「ひっ……」
「のわぁ!!」
大賢者は肩を抱いて私とキラに頬ずりをしてきた。意外と普段、彼が自分からは絶対にやらない肌の接触行為に、私とキラは鳥肌を立たせながら驚きの視線を彼に向けた。
「こいつらとは今、俺の結婚指輪作るための旅してんだ。これからカナダ行って、次はアフリカの……どこだっけ?」
近い距離で大賢者が私に聞いてきた。
「タンザニアです」
条件反射で答えてしまったが、おそらく私は彼の悪だくみの幇助をした。
「そこ。そこに行くから、邪魔するなら徹底的に頼む。あ、そうそう。ついでにこれもあげちゃう」
大賢者は何もない所から妖刀を取り出して桜子の方へ放り投げた。桜子は固い音を立てて床に転がった妖刀を見つめた。
「成人おめでとう、桜子。俺からのプレゼントだ。その妖刀を奪われた葦原の末裔でも探すんだな。たぶんそいつなら俺とも少しは戦えることだろう」
大賢者の狙いがわかった。暇つぶしだ。彼はこの旅に妨げを求めている。そのためにあえて敵に塩を送ったのだ。
「私……諦めませんわよ……」
妖刀を掴み、立ち上がった彼女の目に光はなかった。
「うむ。頼んだぞ?」
大賢者の口から尊大な言葉が放たれると、桜子は妖刀と共にその場から姿を消した。
「何やってんですか!! 桜子さん、かわいそうだったじゃないですか!!」
「そう怒るな、タル!! 人前でガミガミ叱るなって言ったでしょうが!!」
「あれはキラに対してのことでしょう!? それに今はもう誰もいません!! 本当……信じられない!!」
「どっちにしても結果は一緒だったっつーの!! 外神家は揃いも揃ってヤバいやつらの集まりなんだから!!」
「あなたがそれを言いますか!? アレキサンダー家の方が余程でしょう!?」
「なんてことを言うんだ、お前は!! うちが変なのは母親だけだろう!?」
「いーえ、そんなことありません!! あなたも!! あなたの弟も!! みんな変ですよ!! もういいです!! キラ、行こう!?」
私はキラの手を取ってラウンジの奥の方へと歩みを進めた。
「どこ行くんだよ!?」
「さあ、どこでしょうか!? 普通の女だけが行けるとこじゃないですか!? この先、もし何か危ない事があったら責任取ってくださいよ!?」
ラウンジを抜け、エリアの奥へと続く廊下に出た。私はキラと一緒に奥にあるスパを楽しむことにした。もう知らない。安心安全で快適な旅はもう消えた。もし私たちが襲われても、すべて大賢者様の手落ちなのだから、へりくだった態度をとる必要もない。私は廊下に敷かれた絨毯を一歩一歩踏みしめて怒りを増加させていった。




