43 博打
甲板に出ると、船の乗組員たちが海上を見えないようにする透明な魔力の幕を船全体に覆う作業をしていた。船首部分では他の乗組員たちが封鎖魔法の前で集まる群衆に向かって注意喚起をしていた。私は注意を促す乗組員たちの一人に近づき、状況を判断することにした。
「お客様、安心してお部屋にお戻りください。船は何人もの結界師にかけられた、強力な防御壁で守られています。どうぞ、慌てずにお部屋にお戻りください」
私は淡々と同じ言葉を繰り返すその乗組員に真実を聞こうと声を落として話しかけた。
「国際魔法警備局の者です。さっきのは明らかに防御壁が破られた衝撃でしたよね? 何があったか話してもらえますか?」
「……念のため、身分証をお願いします」
さすがは豪華客船だ。ガードが堅い。私は手を変えることにした。
「黒い眼帯をした人相の悪い男が、いの一番に通りましたよね? 彼は非常に厄介な男です。この騒ぎも、もしかしたらあの男の仕業かも。ここで私を通さなければ、あなたの責任が問われるかもしれませんよ?」
地球上で最も騒ぎが好きなお祭り野郎は、誰よりも早く現場に駆け付けているはずだ。そのことを信じ、私は勝負に出た。
「安全は保障できません。それでもよろしければ、お通り下さい」
博打は成功した。私はキラの手を離さず、船首部分へと急いだ。
海上に浮かんでいるのは鈍い銀色をしたナメクジのような巨大生物だった。怪物の身体からは何本もの触手が生えていた。その触手は空中で高速に動き回る悪魔のような笑い声を出している男のことを捕らえようと激しくうねっていた。
「フハハハハ!! 弱い!! 弱すぎる!! それでも魔界生物かぁ!?」
黒い眼帯をした人相の悪い男は、言葉が通じるかどうかもわからない怪物相手に挑発するような言葉を浴びせていた。男の手には日本刀が握られ、すでにいくつかの触手はそれで切り落とされているようだった。
「どうする、どうする!? ナメクジちゃん!! 昔を思い出して腹立つだろぉ!? 何か起死回生の攻撃がきっとあるんだよなぁ!? それとも……」
男と目が合った。変装して戦っている大賢者が私たちの存在に気が付いたのだ。怪物の頭上にまばゆく光る魔法陣が出現した。怪物はピタリと動かなくなった。動かなくなった怪物はその全身を光の粒へと変貌させ、魔法陣の中にゆっくりと吸い込まれていった。変装した大賢者はその状況を見ることもなく、まっすぐ私たちの元に飛んできて船首へと降り立った。怪物の姿はもうどこにも残っていなかった。
「……今のは?」
見たことのない類の消滅魔法と怪物だった。彼は一体何と戦っていて何をしたのか。先ほどまで握りしめていて、今しがた次元の彼方に収納した日本刀はどこで手に入れたものなのか。私は困惑しながら、彼に尋ねた。
「ん? かわいそうだから、元の世界に帰してやった」
いつも通り、彼は局所的な説明しかしなかった。私は諦めて、その場では脳内のリストを更新するだけにとどめておいた。
「レオ……」
大賢者と再会したキラは、気まずそうにもじもじとするばかりだった。
「おう。なかなかいいじゃねぇか、それ」
つけ毛でお洒落に耳を隠したキラの事を大賢者は荒々しく褒めた。
「……おう!!」
キラは笑って杖を掲げ、大賢者の乱暴な口調を真似た返事をした。口調の事に関しては両者ともに直してほしいとは思っているが、今回も特に何も触れずに置いておくことにしよう。
「腹減ったな。お前ら、メシは?」
「カフェで朝食をとっている最中に、この騒ぎです」
「ふーん……カフェか。いいな。俺も行きたい。行こう」
「果物食べたい!!」
彼も朝食を済ませていないとしたら、今までどこに行っていたのか。店内が荒れてしまったカフェはそんなにすぐに再開できるのか。疑問は尽きなかったが、私はいつもの通り、剛腕の作る流れに身を任せることにした。
結論から言うと、カフェは再開されていた。さすがは豪華客船としかいいようがなく、想定されていた範囲内のアクシデントであったということなのだろうか。復旧作業は迅速に行われていたようで、私たちが戻った頃には何事もなかったかのように店は営業していた。さすがに客入りの方はかなり少なくなっていて、店内はほぼ貸し切りのような状態になっていた。
「ソフトクリーム……お好きなんですね?」
「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃない。ビュッフェっつったら、まずはこれよ」
大賢者が持ってきたソフトクリームは先刻見た、キラの食べたソフトクリームの倍はあろうかという量だった。
「はぁ~、つめた~い、さむ~い、こんなにいらな~い」
どうでもいいことかもしれないけれど、人相の悪い男がおどけると、余計に恐ろしい気分にさせられることがこの度判明した。キラはその光景を見てクスクス笑ってはいたが。
「手伝いなさ~い?」
大賢者はお得意のオネェ口調で、私とキラそれぞれにスプーンを渡してきた。キラは喜んで山盛りのソフトクリームを消費する行事に参加した。
「私は……別にいりませんけど?」
「そんな意識の甘い事でどうするのっ。この後のケーキ地獄に耐えられないんじゃなくって?」
彼は食べきれないから、スプーンを渡してきたわけではないのだ。このスプーンに含まれるのは、彼なりの遊び心というか、ビュッフェというツールを使った、ちょっとしたゲームへの参加権のような意味合いが含まれていた。ソフトクリームは正直言っていらない。だけど、ケーキ地獄には少しだけ参加したい。私は結局、スプーンを握ってゲームへの参加を表明した。
「甘いの意味合いが違ってきますね」
「あら、うまいこというじゃない。キラちゃん、どのケーキがいいの? パパが持ってきてあげるわっ」
「ケーキか……一緒に行く!!」
キラは人相の悪いオネェのパパと仲良くケーキをとりに行った。
「キラ、いいこと!? 冷たいソフトクリームを食べすぎたときは、温かい飲み物で全部チャラにするのっ!!」
「おうっ!!」
ドリンクコーナーで大賢者がまたいい加減な教育をしている場面を見ながら、私は残されたソフトクリームの山をつついた。
カフェでの遊び食べが終わったら、今度は共有エリアの見学が始まった。まず土産物屋を冷やかし、次に立ち寄った日用雑貨を取り扱うお店で、大賢者はキラにロケットペンダントを買い与えた。私は置いてけぼりにしたピィちゃんにお詫びの品として、いくつかの魚介類の乾物を購入した。
次はプラネタリウムと映画館のどちらにするかで悩み、キラの希望で『トワイと107人の侍』という作品が上映されている映画館に行くことになった。上映時間3時間27分という超大作を3人で存分に楽しんだ後は、部屋に帰るまで大賢者とキラが侍口調で話すという謎の遊びをやめなかった。
遊び疲れたキラは部屋に着くなり寝室に行き、昼寝を始めてしまった。私はピィちゃんとプールで少し遊んでから、部屋の静けさに違和感を覚え、姿の見えない大賢者を探した。1階のどこにもいなかったため、もしやと思い2階へと上がってみると、寝室で変装を解いた彼がキラと一緒に大イビキをかいている姿があった。気持ちよさそうに寝ている二人を見て、一気に眠気が襲ってきた私はやましい気持ちを多幸感の波に呑ませ、日が落ちるまで眠りについた。
夕食後、キラは大賢者に買ってもらったロケットペンダントに入れる顔写真を、紫電かユリエルかで悩み続け、答えを出すことなくソファの上で眠ってしまっていた。ピィちゃんは相変わらず、プールの住人と化しており、まったく出てこようとする気配を見せなかった。いつもより少し早い時間だったが、私たちはすでに晩酌を始めていた。
「あの時持っていた日本刀って、元々お持ちになられていた物だったんですか?」
「あれはカジノの景品だよ。今日観た映画の、あの妖刀なんだとさ」
「すごく……胡散臭いですね」
正直な感想を口にした。第6魔王を討伐した伝説の妖刀がカジノの景品になるなんて、怪しさ満点どころか、120パーセント紛い物だと普通は思うだろう。
「まぁ、俺もそう思ったけど。一応ほら、昔はいろんな武器集めるの趣味にしてたから。試しに使ってみたら、まさかの本物っていうね。価値にして、なんと600万ユーロもするらしいぞ?」
「ろ、600万!? そんな大金」
……は持っているのか。この人は伝説的な賞金稼ぎでもあったわけだし。すると、あの短時間でとんでもない金額をカジノで勝ちとったという事か。
「危なかったよ? 一瞬、文無しになりかけたから」
「えぇっ!?」
まさかの報告に私は戦慄を覚えた。
「無敵かと思われたレオナルド・セプティム・アレキサンダー様も、ギャンブルだけは負けられる。これだから、賭博はやめられねぇ。そのあと、一気に捲ったけどな」
「ほどほどにしてくださいよ……結婚するんでしょう?」
「今回で最後にしようと思ってる。まあもっとも、毎回そう思ってるんだけど」
ダメ人間の典型みたいなことをほざかれた。この男は絶対にまたギャンブルに手を染めるだろう。
「それにしても、いい魔法だな?」
「え?」
突然の話題の転換についていけず、私は聞き返した。彼は黙って斜向かいで寝息を立てているキラの方に視線を向けることで応答した。
「ありがとうございます。だいぶ気落ちしていたので、気分転換にどうにか外出させてあげたくて」
「……そっか」
「だけど、ピィちゃんの事は置いてけぼりにしてしまいました……」
結果的に、考えていたような完璧な立ち回りはできなかった。私は今日感じた後悔の念を吐露した。
「はっ、なんだそんなこと。アイツは魔体術だけだったら俺より強いんだ。そんなこと心配しなくても、大丈夫だよ」
「ですが……置いてかれた側の気持ちも考えろ、なんて。偉そうなことを言っておいて、これです」
「あのなぁ、さすがに考えすぎだぞ? ゼノは行きたがらなかった。だから置いて行った。キラは出かけて、お前のおかげで救われた。何も問題はないだろう?」
「しかし」
「いいから!! もっと自分に甘く生きろ。人間やってるんだったら良いんだよ、そんなもんで」
その言葉には私の心を縛り付けていた鎖を緩める不思議な力を感じた。
「……どうして、私にそんなに……甘いのですか?」
『甘い』ではなく『優しい』と言おうとしたが、そんなこともないと思い直し、言葉を変えた。
「完璧主義で、誠実で、無闇やたらに自罰的な言動をとる。お前たちみたいな人間には、もう少し……褒美をくれてやらないとあまりにも哀れだ。納得できたかな?」
「……痛み入ります」
「よし。今日はジン開けちゃおう。昼寝しすぎたからな。ぐっすり眠れるように、うんと強いやつを飲まないと」
彼に苦しめられ、彼に救われたかと思えば、また彼に苦しめられる。アルコール度数の高いジンがもたらすのは、間違いなく『苦』の方だろう。私は意を決し、ソファで眠るキラをきちんと寝室に運んでから災いに立ち向かった。




