38 土産
中央に大ぶりなカウンターのある広いキッチンには、ケーキ作りの材料も私のためのエプロンもしっかりと用意されていた。それは領主であるティナ・エーデル・アレキサンダーの予見力がはっきりと感じとれる場面でもあった。
「なかなか似合いますね~。ギャップでやられちゃいそうですよ~」
褒められたのだろうか。私がエプロンに袖を通すと、メアリーにそう言われた。
「まずはスポンジ作りからです。こちらの指示通りに動けば、何も難しい事はありません。メアリー、イシュタルはこういったことに慣れていません。あなたがうまくサポートしてあげてくださいね?」
「了解しましたっ!!」
ケーキ作りは難しい。そういう話だけは小耳に挟んだことがあった。私は失礼がないように真面目に取り組もうと領主に確認をとった。
「あの……念のため、メモというか、記録をとってもよろしいでしょうか?」
「使い魔のことですか。そうですね……絶対に外部にその映像を漏らさないと約束できるのならば、構いませんよ?」
「ありがとうございます」
カウンターの隅の方の邪魔にならない場所に使い魔を出現させると、領主は指先から緑色に光る一本の触手を出して使い魔とつなげた。目玉の瞳が紫色をしたハートの形に変わると、触手は消え去った。私の出した使い魔が、領主の手によって簡単に支配されたのだ。おそらく彼女との約束を破った場合、とてつもなく恐ろしい呪いが私の身に降りかかることだろう。用途が済んだら映像をすぐに消去すれば、それも問題はないはずだ。私は覚悟を決めて彼女の支配を受け入れた。
領主の完璧な指示とメアリーの愛嬌のあるサポートのもと、私は何とか無事に完成させた生地をオーブンに入れることが出来た。オーブンの温度も領主がすべて管理してくれたようで、思ったほど苦戦することもなかった。スポンジ作りという作業に一心不乱に没頭できたのはとても気持ちがいいことだった。こういった恵まれた環境下で行うケーキ作りはストレス解消にちょうどいいのかもしれない。
「優秀でしたね。良い生地が出来そうです」
「イシュタルさん、すごいです!! 集中力もさることながら、繊細で地味な動きにもしっかり対応できてて、お菓子作りの素質バリバリですね!!」
「いや……お二人に言われたことをしただけですよ」
照れくささもあったが本当にその通りだった。私はただ言われたとおりの動きをしただけ。それだけに過ぎない事を二人は手放しで褒めてくれた。
「それがなかなか難しんですって!! 普通は途中で集中力が切れたりとかしちゃいますもん。ねぇ、お義母様!?」
「そうですね。さすがは元捜査官といったところでしょうか。培った忍耐力と集中力が活きましたね。さて、あなたたち、昼食はまだなのでしょう?」
「そういえば、そうなんですよ。私たちもうお腹ペコペコなんです」
メアリーの言う通りだった。朝食を軽めにしていたこともあり、私の空腹レベルはかなり高い所まで上がっていた。
「簡単なものでよければ、今から作ります。生地が焼けるまでの間に、ここで済ませてしまいなさい」
「サンドイッチですか!?」
メアリーは期待を込めた声を出した。領主は黙ってニヤリと笑い、呼び寄せた人参を手に取った。
領主ティナ・エーデル・アレキサンダーは人数分のキャロットラペのサンドイッチをあっという間に完成させた。その手際の良さは圧巻というより他なかった。パンのカット、野菜類の洗浄からのカット、何種もの材料を混ぜあわせるドレッシング作り。これらすべてを同時に進行させ、出来上がったのが目の前にある緑と赤の鮮やかな色合いをしたサンドイッチだった。
「おあがりなさい」
皿に盛られたサンドイッチを手に取ってかぶりついた。シャキシャキのレタスと人参の甘さがすぐに口の中に広がった。それらを引き立てるドレッシングに使われているレモンの爽やかな香りと酸味、控えめに挟まれたカマンベールチーズの塩気が食欲を刺激した。
「おいしいぃ……」
「イシュタルさん……泣いてますよ?」
泣くほどに嬉しい味のするサンドイッチを噛みしめながら、私は置き去りにしてしまった子供たちのことを案じた。
「これ……お土産に持って帰ってもいいですか?」
この美味しさをあの子たちに教えてあげたい。私は恥を忍んで領主にお願いした。
「それなら配合を少し変えましょう。このまま持っていくと、水分が出すぎますからね」
領主は快く応じてくれるどころか、持ち帰り専用のサンドイッチを作ってくれたのだった。
無事に焼きあがったチョコレート色のスポンジの間に、生クリームとチェリーを挟みこめばアレキサンダー家伝統のサクランボのケーキの完成だった。さすがにデコレーション作業まではうまくいかなかった。メアリーの作ったものと比べると、私の作ったものは明らかに形が崩れていた。
「要は慣れです。大丈夫。何度か練習すれば、すぐに上達しますよ?」
「そうそう。私なんて最初はもっと酷かったんですから、そんなに落ち込まないでくださいよ~」
表情に出さないようにしていたのに、二人には簡単に見透かされ、励まされた。
「カットとラッピングは、今日のところは私がやります。それと、メアリーの箒に揺られても崩れないように、しっかり保護魔法もかけておかなければなりませんね?」
メアリーは可愛らしく舌を出して領主の言葉に反応した。同じことをもし私が大賢者の前でやったら、たぶん魔法なしで彼に殴られるだろう。メアリーの場合は絵になるからこそ許される。それは不公平というよりも適材適所。別に私は彼女と同じことをしなくてもいいし、する必要もない。
「……帰りは私が箒の操縦をしましょうか?」
数時間前に体験した稲妻のような速さ。避けられるものならば避けたい。そう思った私はダメ元で、一応提案してみた。
「いやいや、そんな!! 帰りも私がしっかりとお送りしますよ!! ここまで連れてきたのも何かのご縁ですから!!」
やはり彼女は譲らなかった。人を無理やり連れてくるのは、縁と言っていいのだろうか。アレキサンダーの人々と真面目に関わると、常識と価値観が根本から覆されていく。その事に少しだけ快楽を感じている自分がいることもまた事実であった。
いやぁ~、久しぶりの人間のお友達が出来て
テンション上がっちゃいましたよ~
イシュタルさんって、器用なんですねぇ
え? いやいや、私なんて、そんな……先生に比べれば、赤子ですから
先生ですか? 今は魔法学園の幼稚園の先生をやってるんですよ~
でも来年度から、高等部に異動になりまして
……あ、異動の話は内緒にしておいてくださいよ?
事前に情報が漏れるのは、いけないことらしいので
ええ。今から不安でいっぱいなんですよ~
会えない時間がますます増えちゃって
今日も帰ってきたら羽交い絞めにして
あちこち舐めまわしてマーキングしないと
あ、そうそう。お義母様に言われた通り
陰毛の形をハートにしてみたところですねぇ……
帰りの空では少しだけメアリーと話をした。残念ながら話の内容がどんどん過激に生々しくなっていったので、後半からはまた聞こえないふりをしてやり過ごした。それにしても私はなぜ、アレキサンダー家に連れてこられたのだろうか。
絶品のサンドイッチと少しばかり形の崩れたケーキ。それと、少々年の離れた新しい友人。答えは出ないままだったが、お土産だけはたいそうな代物ばかりだった。私は来た時よりも少しだけ顔の筋肉を緩ませながら、メアリーのする接触性皮膚炎の話を聞いていた。




