35 最後の領地
芸術の秋という事で、いろんな動物の肛門を描いててですねぇ
この前、古代竜さんの肛門をキャンバスに描いたんですよ
そしたら、それがたまたま異世界に繋がる魔法陣になっちゃいまして
描いた肛門に吸い込まれた私は
その異世界で幼き兄妹を助けるために奮闘したんですけど
途中で危機一髪の場面がやってきてですねぇ
大きな、巨大な、どでかいワニ人間に襲われまして
でもやっぱり、そこは愛の力でしたね
ちょうどいいタイミングで先生が助けに来てくれたんですよ
あんなにブチギレてた先生を見たのは初めてでしたねぇ
もちろん、そのあと私も怒られちゃいましたけどね
あはははは
メアリーが空の上でしてくれた導入部分が汚すぎる世間話は、全部聞こえないふりをしてやり過ごした。体験したことのない速度を出す箒から振り落とされないように、彼女にしがみつくことに集中したかったという理由もあった。どうでもいいけど、この人自分の夫の事を『先生』と呼んでいるのか。これはますます怪しいニオイを醸し出す夫婦だ。そんなことを考えながら、私は彼女のパンツではなく、か細い腰を掴んでいた。
彼女の操縦する箒は瞬く間に湖を縦断し、湖畔へと着陸した。豊かな緑が広がる丘陵地帯に人家がまばらに建てられている。家の数は目で見えている限りでも相当数あり、集落というよりは大きめの村といった印象を受けた。一番奥の小高い土地に建てられた城からは、底知れない魔力を感じた。それが領主の居城であることは明白だった。
「……すごい」
美しく、真っ黒な、魔女として理想的な状態の魔力だった。その無限ともいえる魔力の持ち主にまだ会ってもいないのに、私は圧倒されていた。
「そうでしょう!? 素敵な村ですよね!!」
メアリーは私の言葉を違う意味で解釈した。彼女はわかっていないのだろうか。あの居城から発せられる魔力の恐ろしさと素晴らしさに。
「メアリーしゃま!!」
湖畔で遊んでいた小さな男の子が、メアリーに気が付いて駆け寄ってきた。
「お、ツィーオン君!! こんにちわ、お元気でしたか?」
メアリーは子供に目線を合わせて、朗らかに話しかけた。
「あい!! げんきです!!」
「今日は お一人ですか? お母さまは?」
「すみません、メアリー様。この子ったら急に走り出して」
母親と思わしき若い女性が、息を切らして私たちの元へやって来た。
「イルゼさん。どうもどうも、こんにちわ。ツィーオン君、一人じゃなかったようですね。よかったよかった」
「このおねーちゃんだれ?」
今更私の存在に気が付いたのか、ツィーオンと呼ばれた男の子がメアリーに聞いた。
「イシュタルさんです。自らの骨身を惜しまず一生懸命に、お義兄様の、レオナルド様のサポートをなされている尊い御方です」
メアリーの私への評価が高すぎる。それはいくらなんでも持ち上げすぎじゃないだろうか。
「イシュタルさん、こちらは村に住むイルゼさんとツィーオン君です。イルゼさんはシンママとして、手厚い育児支援目当てで生まれ故郷に戻って来た、抜け目のない、とても賢い御方です」
「ははははは!! そうですね、お金目当ての部分はあっています。賢くはないですけど」
本人から情報の修正が入った。
「どうですかイルゼさん? あれから、いい男とは出会えましたか?」
「それがかなり年上になってしまうんですけど……昔からの知り合いで、漁師の……」
長い長い世間話がここでも始まってしまった。私はただ黙って、二人の若き魔女が織り成す恋の話を拝聴させていただいた。
「……あの人もアレキサンダー家に対する忠誠心の篤い方ですし、きっとうまくいくと思うんですよね。ツィーオン君のこともそんなに大切にしてくれて、見た目通り、いい人ですしね。でも、イルゼさんに対しての愛情がちゃんとあるのか、不安になるお気持ちもわかります。年上の方という事で、かなり理性が強いから、きっと奥手に見えるのでしょう。そういうのを吹っ飛ばす、刺激的な部分も少しあった方が燃え上がると思うので、どうでしょう……もうすぐ休漁期に入ることですし、思い切って二人きりで、お泊りデートをしてみるというのは? いつも頑張っているんですから、その日ばかりはツィーオン君のことは村のベテラン保育士たちに任せて、男と女のアバンチュールをですねぇ……」
イルゼさんはうっすらと涙を浮かべながら、恋愛カウンセラーの話に聞き入っていた。親身すぎるカウンセラーの言葉に、完全に心を打たれているようだった。
一方で、私は不安になっていた。この場所に降り立ってから、まだ一歩も動いていない。そして明らかに村の人たちがメアリーの存在に気付いて、遠巻きから彼女の動向を窺っているのが分かった。村の皆が彼女が近づいてくるのを首を長くして待っているのだ。一人目でこんなに時間をかけていては、今日中に帰れないかもしれない。私はその部分に対して怯えていた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
話が終わったのか、イルゼさんは何度もメアリーに頭を下げ、お礼を言った。
「いえいえ、次に会った時が楽しみです。良き報告を期待しています。もうすぐお昼の時間になっちゃいますね。長々と失礼しました。お子様に美味しいご飯を食べさせてあげてください。それでは、ごきげんよう。ツィーオン君も、バイバイ!!」
「あい!! ばいばい!!」
大人の話が終わるまで、ちゃんと待つことのできたツィーオン君は、最後までお利口だった。
「おねーちゃんも、ばいばい!!」
イルゼさんに連れられ少しずつ遠ざかるツィーオン君に、私は笑って手を振り返した。
湖からずっと続く緩やかな坂道を登りきると、ベンチに座って湖を眺めていた老人が話しかけてきた。
「これはこれはメアリー様。今日も御無事ですか」
「カールさん!! どうもどうも、息災ですよ~。今日は奥様は?」
メアリーはそのおじいさんとも知り合いだったようで、またしてもコミュニケーションを取り始めた。
「女房は今日も怖いです」
「あはははは!! 奥様、お元気なんですね? それなら良かったです」
「若い時はお二人に負けないくらいの美人だったんですよ……」
カールじいさんは、悲痛な表情を浮かべながら湖を見下ろした。
「お急ぎでしょう、失礼しました。構わず、行ってください」
私たちに気を遣って、老人は先を急がせようとした。
「いえいえ、お気になさらず。それよりも、どうですか? 最近の村の若者たちは? なっとらんですか?」
老人は首を振ってメアリーの言葉を否定した。
「レオナルド様が大賢者になられ、ユリエル様とメアリー様が結婚されて、全員に共通の話題が出来ました。明るい話題は、いつ聞いてもいいものです。我々に希望をくれて、ありがとうございます」
カールじいさんは穏やかに微笑んだ。
「こちらこそですよ~。この村の人たちには、いつもパワーを貰ってます。ありがとうございます」
老人は口を開かずに再び私たちに先へ行くように促した。私たちは彼の厚意に甘え、その場を後にした。
その後も道端や家や建物の前で村の人たちと出会うと、メアリーは必ず立ち止まってその人たちと二言三言、世間話をした。とどまることを知らないメアリーの対話の行進は、村の中心に位置する広場でついにピークに達した。
「メアリー様!! 今年の麦は良いですよ!! 粉にしてあるんで、いくつか持っていってくださいよ!!」
「ごめんなさぁい!! お義母様に怒られてしまうので、いただけませぇん!! 代わりに何かありませんか? 今ここでこっそりと食べる分には、大丈夫なので!! あの、皆さん、お義母様には内緒にしておいてくださいよ!? バレちまったら、とんでもねぇんですから、本当に!!」
「メアリー様!! この前のお二人のアドバイスのおかげで、牛に新たな命が宿りました!! ユリエル様はお元気ですか!?」
「元気ですよぉ!! 今度また一緒に先生と来ますから、その時に牛さんを見せてくださいね!!」
「メアリー様!! 生まれ変わったら、俺たちのどれかと結婚してください!!」
「ダメですダメです!! ダメですよぉ!? 私は生まれ変わっても、先生としか契らないと決めているので!! あそこにいる豊満な不良娘たちのグループなんか、いいじゃないですか!! きっと我慢強くて愛情深いですよ、ああいう子たちは!!」
広場には、完全にメアリー目当ての人だかりが出来上がっていた。彼女は誰に対しても平等に明るく接し続けた。それだけでなく、彼女自身がとても生き生きとしていたのが、私の心に強く残った。明朗快活とはこの人のためにある言葉なのかもしれない。そんなことを考えながら、私はメアリーが繰り広げる交流の様子を傍観していた。
「すっかりお待たせしてしまって、申し訳ございませんでした」
居城へと続く道を歩く最中でも、メアリーは私に向かって喋り続けた。本当にタフな人だ。もし私が彼女と同じ立場だったら、そんな元気でいられないと思う。
「いえ、大丈夫です。それにしても人気者なんですね」
本気でそう思った。領主の一族というのは、皆がそうなのだろうか。こういった環境で育った大賢者が、なぜあんな残念な仕上がりになってしまったのか。疑問も尽きなかった。
「村の皆さんが愛する、ユリエルお坊ちゃまの嫁ですからね」
メアリーは胸を張って嬉しそうに答えた。自分の夫の人格に、それだけの自信があるという事だろう。
「実は慣れるとですねぇ、皆さんにチヤホヤされるのが気持ちよくって、やめられなくなっちまいまして」
「えっ? それじゃあ……」
偽っていたのか? 私は彼女に一瞬だけ疑念を抱き、すぐにその線は無いと考えを改めた。彼女にそんな器用なことが出来るとは、到底思えなかったからだった。
「えへへ。今日も村の皆さんとお話がしたすぎて、わざと湖のところで着陸しちゃいました~」
やはり、私の推察は正しかった。彼女は天性の、いわばアイドル気質の持ち主。それだけの話だった。
「去年の今頃なんて、なんでもない下働きの田舎娘だったんですけどねぇ……」
彼女は歩みを止め、来た道を振り返った。
「それが今や、大魔導士の妻っ!!」
メアリーが両手をいっぱいに広げ、丘の下に広がる集落のすべてをその小さな胸に抱え込んだ。
「……小さな頃に憧れたお姫様の暮らしよりも、もっと素敵でへんてこりんな毎日が過ごせてます。それもこれも、長年の間アレキサンダー家を愛し、支えてくださった村の皆さんのおかげです。幸せ者ですよ、私は」
周囲に愛を振りまく魔女は愛に溢れている人だった。あまりにも純粋な彼女の笑顔は私には眩しすぎるものだった。




