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無頼の魔女イシュタル  作者: ふるみ あまた
1章 海の章
34/160

34 メアリー襲来

 

 朝食の席に大賢者はいなかった。そのことについて子供たちは特に変わった様子も見せず、海老の天ぷらが入ったおにぎりを実に美味しそうに食べていた。ホテルの朝食はその他にもお刺身や天ぷら、焼き魚、海苔の味噌汁、根菜の煮物、生野菜サラダ、お豆腐、お豆腐に似た何か、お漬物、そのお漬物とは小皿を分けられた別のお漬物、カットフルーツ、あとこれは……オムレツのようなものだろうか。おそらくこのオムレツは蒸し調理されたもので、バターなどが使用された形跡もなく、あっさりとした味わいのものだった。優しい味付けとふわふわな食感が、昨日の晩酌で少し疲れた胃に優しく染みわたった。


「ピィ!!」


 ピィちゃんはどこの国に行っても、出された物は何でも好き嫌いせずによく食べる。好物の魚介類でもある新鮮なお刺身を朝から食べることができて、とても嬉しそうにしている。


「あ~、おいしい~」


 意外なことにキラは白いお米が好きだった。他の食べ物だと焼き海苔も気に入ったようで、昨日の試合観戦前に行った回転寿司店では、納豆巻きを何度も注文して食べていたのが印象深かった。


「レオの分も食べていいか?」

「いいよ。このままだと私の分も残っちゃうから、食べて」


 大賢者のために用意された一食分と、私が手を付けていない品々を子供たちが分担して食べる。食欲旺盛な子達で助かった。私はキラのほっぺに米粒がついていることに気が付き、取ってやろうと手を伸ばした。


「うおっ」


 キラに驚かれて避けられた。


「な、なんで避けたの?」


 ショッキングな事態が起こった。どうしてキラは避けたりしたのだろう。以前、大賢者がトウモロコシの粒を取ってあげた時には避けなかったのに。


「うーん……ちょっと怖かったから、かな?」


 キラは少し考えてから、自分なりの考えを口にした。


「怖かった? 私の事は怖くて、あの人の事は怖くないってこと?」


 彼女が私たちに抱いている印象は、ずっと逆だと思っていた。私はますますショックを受けた。


「レオは変態だし、何考えてるかわからないし、使う魔法もおかしいし、もちろん怖い。だけど、ご飯の時と遊ぶ時だけは決まってヘラヘラしてる。タルは笑ってる時は怖くないけど、それ以外の時の顔が怖い」

「ええ……」

「悪気はなかった。ゴメンゴメン。もっと笑ってくれてれば、私も避けなかった。ん!!」


 言い終わるとキラは頬を突き出してきた。私は今度こそ彼女の頬についた米粒を取ることが出来た。


「ありがとう、タル」

「……どういたしまして」


 どうにも腑に落ちなかったが、それがこの日の始まりとなった。





 昨晩大賢者が出現させたドアをくぐったのは、朝食後すぐのことだった。そのドアをくぐれば、他人の家のワードローブに出る。ワードローブを内側から開くと、そこには見覚えのない寝室が広がっていた。青色でまとめられたインテリアと緩やかに流れる水音が心地よく私たちを迎え入れてくれた気がした。


「まぁまぁ、いらっしゃい。レオナルドに話は聞いているわ」


 金色よりも少し暗い色の髪を腰まで伸ばした美しい女性が、ベッドの前で私たちを待ち構えるようにして立っていた。この家の主でもある水の精霊ミラだった。彼女は表現しようのない独特な衣装を着ていて、身体の曲線美をくっきりと浮かび上がらせるその生地は、極薄を通り越して中が半分透けて見えている。人間だったら見せたら捕まってしまう部分までがスケスケになってしまっていて、正直言って目のやり場に困った。キラだけはまっすぐ彼女に対して熱いまなざしを送っていた。とりあえず、私の方はきちんと挨拶をさせてもらうことにした。


「お邪魔させていただきます。今日はよろしくお願いします」

「メアリーがもう少しで来るわ。あっちの部屋で、みんなでお茶を飲みながら待ちましょう」

「わかりました」


 そうかそうか、アレが来るのか。もしかしたら、先ほどキラに指摘された部分を彼女から学べるチャンスかもしれない。いや、もしそれを学んで私が実践したとしても気持ち悪いだけか。朝食の席での出来事を私は軽く引きずっていた。





 招待された部屋は、以前大賢者に無理やり連れられて、お邪魔させていただいた時と同じ部屋だった。寝室とはまた違った温かみのある淡い色調の家具で部屋全体がまとめられ、部屋の中心に置かれた6人掛けの丸テーブルで全員でお茶をごちそうになった。部屋の隅の方で花の蜜を煮詰めるための自動調理器具が延々と回り続けていて、キラが口を開けながらそれを見つめていた。


 問題のメアリーは、すぐにやって来た。水色を基調としたローブを纏った彼女の手には箒が握られていた。


「あれぇ!? あなたは、いつぞやのイシュタルさんじゃないですか!!」


 声がとても大きい。只今の時刻は午前9時ちょっと過ぎ。その小さな体のどこにそんなパワーがあるのか、私は不思議でならなかった。


「おはようございます」

「おはようございます!! 今日はどうしたんですか? 指輪の旅の物語はもうおしまいですか? 早いですねぇ。さすがお義兄様ですねぇ」


 どういうわけかメアリーは私たちの旅の目的を知っていて、私たちが目的を達成した後だと勘違いしているようだった。


「あらららら? こちらの女の子、この耳のとんがり具合は……」


 こちらが口を挟めるような隙を一切見せることなく、メアリーは首をかしげながらキラに顔を近づけた。キラは恥ずかしがって顔を赤らめていた。


「また新たな妖精さんですか!? 可愛いですねぇ~!! 今度はちゃんと耳がとんがっていますね!!」


 メアリーは確認を取るように水の精霊ミラに一瞬だけ顔を向けたが、すぐにキラの瞳をまっすぐに見つめて太陽よりも眩しい笑顔を向けた。部屋の空間をいっぱいに使って忙しく歩き回ったり、表情と動きを変えたり、まるでミュージカルの主役のようだった。私には彼女のことの方がよほど妖精に見えた。


「この子はエルフよ、メアリー」


 水の精霊ミラが慈愛に満ちた表情でメアリーに真実を告げた。


「エルフさんですかぁ。どうもどうも、初めまして。メアリー・クライン・アレキサンダーと申します。私はあのー、人妻を、先生の奥さんをメインにやらせてもらってます」


 メアリーはエルフという存在に特に驚くこともなく、自分が人妻であることを前面に出してくる、あまり聞かない類の自己紹介を大真面目にした。メインが人妻という事は、サブでなにかやっているという事なのだろうか。それとも専業主婦と言いたいだけなのだろうか。いずれにせよ、あまり深く考えてはいけない相手というのがメアリーという魔女である。


「ふふっ、変なの」


 たまらずキラが笑い出した。


「ふっふっふ、もっと変なのは私のダーリンですよ。今度、紹介しますね?」

「うん!!」


 メアリーはキラの隣の椅子にやっと腰かけると、再び無駄話を再開させ始めた。


「今日は皆さん、午後までいらっしゃいますか? よろしかったら、私この後、お義母様のところにサクランボのケーキを習いに行く予定なので、出来上がったらここに持ってきますけど?」

「食べたい食べたい!!」

「ピィッ!!」


 そして子供たちの心を一瞬で掴んでみせた。





「……あ~、そうすると、指輪の完成はまだ先だったんですねぇ?」


 時計の短針が指し示す数字が変わった頃になって、ようやくメアリーが私たちの状況を理解してくれる所まで話が進んだ。


「いいですねぇ~。呪われたエルフの秘宝ですか。ソフィーさんも種族的には妖精らしいので、きっとピッタリしっくり、ガッチリなんでしょうね~」


 夫である大魔導士ユリエルの影響なのだろうか。メアリーは喋り方こそパッションを中心とさせた若い魔女といった感じだったが、その知識量と理解力は一般的な魔法使いよりもずっと広く、深いものを持ち合わせていた。キラは半笑いではあったが、ずっと興味深そうにメアリーの話を聞いていた。


「イシュタルさん、元気ないですねぇ? お義兄様に何か嫌な事でもされましたか?」


 突然こちらに話題を振られた。


「それは……いつもされてますけど……」

「そうでしょう、そうでしょう。一緒に居ると恥ずかしい人ですからね。いくらか損害賠償を請求しておいた方がいいですよ?」


 具体的なことは何も話していないのに、彼女は深く共感してくれて、とても現実的なアドバイスまでしてくれた。


「それにしても、イシュタルさんってすごく美人な方ですよね?」


 また話題を明後日の方向に向けられた。


「そ、そうですかね?」


 年下の同性にこんなにストレートに顔の事を言われたことはない。私は気恥ずかしくなって返事をごまかした。


「そんな、ご謙遜なさらずに。世にいる有象無象たちなんか、一発で虜に出来る顔面をお持ちで羨ましいです」


 顔面? なんなんだ、その表現は。果たして私は本当に褒められているのだろうか。


「いえいえ、私なんて全然」


 私はとりあえず強く否定しておいた。


「えぇ~!? イシュタルさんって、もしかして、美人であることに自覚のないタイプですか!?」

「いや、ええっと……」


 答えに窮した。厳密には違う。自分の顔については、少しだけ自信はあった。しかし今朝、キラに顔が怖いといわれたばかりで、その自信は幻となっていた。


「むぅ~~ん……それじゃあ、もうそろそろ時間ですし……」


 メアリーは立ち上がって自分の箒を手に持った。彼女とはここで一度お別れとなるようだ。そう思ったのも束の間、彼女は筋の通らない行動をとり始めた。


「……あのー?」


 なぜかはわからない。意図不明の、メアリーのもう一つの手が私の手を握っていた。


「さあ、イシュタルさん!! 共に美しくなりに行きましょう!! 打倒、ティナ・エーデル・アレキサンダーですよっ!!」

「え、ええぇぇ??」


 ダメだ……何を言ってるのか、さっぱりわからない。私はメアリーにものすごいパワーで手を引っ張られ、簡単に外まで連れ出されてしまった。彼女は持っていた箒にまたがり、私の手を握ったまま口を開いた。


「イシュタルさん!! お乗りよ!! レッツ、タンデムッ!!」


 ああ嫌だ……このノリ……あの人みたいで、すごく嫌だ……。否応なしに彼女の背中に密着させられた私は大賢者の面影を彼女の中に見出していた。


「むっ、この胸のサイズ……お仲間ですね?」


 なんかもう……ちゃんとセクハラまでしてきて……完璧じゃないか……。


「イシュタルさん!! あなたとは気が合いそうです!! ローブの上からでいいので、私のパンツをしっかり掴んでてください!! そうだ!! パンツと言えば、もし可愛い下着の情報をお持ちでしたら、ぜひ教えてください!!」


 全てを置いてけぼりにしたまま、メアリーは大地を蹴った。箒は一気に空高く舞い上がり、対岸が見えないほどに広くて大きな湖の上を爆速で飛び始めた。

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