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無頼の魔女イシュタル  作者: ふるみ あまた
1章 海の章
25/160

25 本意

 

 私たちはエルフの里を出て、ほどない所にある湖のそばにキャンプを張っていた。テントの中にある私の寝室には、エルフの少女『キラ』のためのベッドが追加されていた。ちなみに、彼女の本名は『きらきら星』である。大賢者曰く、エルフはこの世に生を受けたときの事象を名前にする、という習わしがあり特段変わった名前ではないらしい。名前を覚えるのが苦手な大賢者は例のごとく、勝手に『キラ』という名前を彼女に授けてしまったのだった。


 テント内の様相は、空中都市の山頂で過ごした時のものとは打って変わり、今度は広いリビングルームを中心に各部屋が展開されるファミリー向けの住宅となっていた。これほどまでに空間と家具を自在に操ることのできる人が、どうしてキラのための寝室を設けなかったのだろうか。何か深い考えがあっての事なのか、それとも単に面倒臭がっただけなのか。子供が走り回ってもなおスペースに余裕のあるリビングルームの中心で、私はピィちゃんが水を飲む姿を座って眺めながらそのことを考えていた。



 ドタドタと走り回りながら、問題児たちが大声を張りあげ始めた。リビングルームは4人とは思えないほどに騒然とした。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!! や、やめろぉ!!!」

「ふはははは!! バカ正直なヤツだ!! 俺様がクソしてる時に襲い掛かってきたら、そうなるんだよぉ!! そら、逃げろぉ!! 早く逃げないと、汚れちまうぞぉ!!」


 早速、二人は見苦しいを通り越して(おぞ)ましいコミュニケーションをとっていた。同じ空間でなされている異種交流については、あまりにも汚すぎるため表現したくない。私たちが4人体制となって初めて起きた騒ぎは、キラが金切り声を上げるとすぐに収まった。




「はぁ……久しぶりに死ぬほど笑ったわ。いつでも鍵は開けておく。ドラゴンより強いうんちゴーレム君に勝てるようになったら、次のステップに進もうな?」


 部屋の隅でげんなりとしながら座り込んでいるキラ相手に、大賢者は爽やかに激励の言葉を送った。こんな邪悪な魔法の使い方をする人は見たことがない。まかり間違えて彼の真似をしてやろうと試みても、技術的な問題でこの世のほぼ全員がそれをできないという点が、バカバカしさと邪悪さに拍車をかけている。天は何を思って彼に才を授けたのか。そのことを考える度に、私はいつも目頭を熱くさせられていた。


「タル、キラを風呂に入れてやってくれ。なんか酸っぱいニオイもするから」

「……わかりました」


 私は立ち上がり、酸っぱいニオイ()するキラの元へ向かって、彼女の柔らかな手を取った。


「さあ、行きましょう」


 私はため息まじりに気の毒なエルフをバスルームへと誘った。




「なんだ、あいつは……あいつは一体、何なんだ……」


 歯ぎしりまではしなくとも、キラは心情を隠すことなく表情に出した。


「あまり動かないでください。髪の毛についた汚れがよく取れませんから」


 大賢者の肩を持つ気は全くない。けれど、目の前の結果と私の負担については、何の対策もなく怪物に挑んだキラのせいだ。よって、私はこの子の肩を持つ気もない。きっとこの先もそうするだろう。


「タル、なんでお前は服を着たままなんだ?」

「私の方は脱ぐ必要がありませんから」


 防水呪文を施して、私は着衣のまま彼女の全身を洗っていた。


「ずるいぞ?」


 何がずるいのか、さっぱりわからない。というかこの子、あの人と言動が似すぎている。


「タルも」

「断ります」


 彼女が『脱げ』と言う前に意思表示をした。ひょっとしたら中身だけあの人なのではないか、と思うほどに彼女の行動パターンは容易に予測できた。


「お前は私よりも弱いだろう? 弱き者は強き者の言うことを聞くものだ」

「……本当に、そうでしょうか?」


 実際には絶対魔力において、私は彼女に大きく劣っていた。しかし私は今の状況で彼女に負ける気がしなかった。


「試してみるか!?」


 振り向いたキラが血気盛んな瞳を向けてきた。私は微笑み


「杖をお忘れですよ?」


 と返した。そう。彼女は今、文字通りの丸裸だ。今のキラは私にとって、見た目通りの華奢な少女に過ぎなかったのである。


「私よりお強いエルフのお嬢さん、前を向いてもらえますか?」

「……クソっ」


 思いのほか、キラは素直に私の言葉に従った。私は黙って、彼女が口にした物体を綺麗さっぱり取り除く作業に没頭した。




 キラの髪の毛を乾かし終えると、外はもう真っ暗になっていた。リビングに戻り、部屋の中心にある長方形の低いテーブルには夕餉の準備がなされていた。食卓に並べられていたのは、やはり茶色い食べ物だった。


「今日はトンカツです。さあ、食べよう。座って座って」


 大賢者はピィちゃんと並んで座って私たちを待っていた。言われたとおりに食卓に座ると、バスルームに行く前までは無かった空間がテーブルの下にあることに気が付いた。


「なんですか、この足元の空間は?」

「足入れるとこ。この方が楽に座れるから作った」


 試しに足を入れてみると、確かに床の上で足を組むよりもはるかに姿勢が楽になった。


「素晴らしいです」

「そうだろう? 冬はこのままコタツにもなるんだ」

「コタツ?」

「コルシみたいなもんだ。キラ、お前も早く座れ」


 大賢者は黙って立っていたエルフの少女に呼びかけ、彼女を私の隣に座らせた。


「箸は使えるか? 使えなかったら、タルに教わるか、それともフォークか、それもダメなら素手で食え」

「エルフを舐めるなよ? フォークぐらい使えるわ」


 言いながらキラは一切れのトンカツをフォークで突き刺し、素早くそれを口元に運んだ。エルフって、肉を食べるのか。そう思った私は、まじまじとその様子を見つめた。


「なんだ、タル? そんなに見てくるなよ。食べづらいだろ? やめろ」

「あ……失礼しました」


 至極もっともな注意をされ、私はキラに謝った。


「エルフは肉でも何でも食べられるぞ?」


 相変わらず心を読んでくる大賢者に対し、私は二つの意味を込めて次の言葉を贈った。


「よくご存じなんですね?」

「大賢者だからな。お前の気持ちはわからんでもない。菜食主義のイメージあるしな。だが実際には、こうしてちゃーんとメシを食う。極端な話、エルフってのはメシ食わなくたって死なねぇんだけどな」

「食べなくても死なないのに、どうして食事をするのですか?」


 大賢者が信じられないといった顔つきをした。


「おま……それでも人間か? 食ったって、別にいいだろう? 美味いものを食えば精神的にも満たされるし、今こうしてるみたいに、ああだこうだと無駄話するだけでジャンクフードだってうまくなる。そこは人間もエルフも一緒なんだから」


 隣でガツガツ食べ進めるキラを視界の端で捉えながら、私は過去の自分の食事風景を思い出していた。まるで作業のように生命維持のためだけにしていたエネルギー摂取は、今ここで過ごしている時間と全く別種のものだった。


「キラ、おかわりは?」


 大賢者の言葉に反応したキラが無言で空になった皿を差し出した。新たに乗せられたトンカツを再び急いで食べ始める少女の姿を、彼は心底幸せそうな表情を浮かべて眺めていた。





 子供たちを寝かしつけ、自由の身になった私は大賢者のいるリビングに戻った。彼にいくつか聞いておきたいことがあったからだった。私はテーブルに座ってボトルを片手に持つ大賢者に話しかけた。


「今日はワインですか?」

「おう、お疲れさん。お前も飲むか?」

「はい。いただきます」


 彼の手に座れと命令された私はそれに従った。


「赤と白、どっちがいい?」

「赤で」


 彼は少し残念そうな面持ちで、何もないテーブルの上にグラスと未開封のボトルを出現させた。私は最初にボトルを開けようと思ったが、彼に制されグラスだけを手に取った。コルクの栓の抜ける音がリビングに響いた。


「味にはあまり期待はしてくれるなよ? 安物だから」


 彼はドボドボと、やや乱暴ではあったが、グラスにワインを注いでくれた。私はワイングラスを少し上げて、簡易的な乾杯の挨拶をした。





 彼がワインボトルを数本消費し、私が2杯目のワインを飲み終わるころの事だった。


「何か聞きたいことがあるんだろう? 遠慮するなよ」


 他愛のない世間話を切り上げたのは彼の方からだった。


「それじゃあまず……質問というよりも要望になりますが、食卓にもう少しだけ彩りを取り入れてみるのはいかがでしょうか?」


 とにかく、この人の用意するご飯は茶色かった。子供も増えたし、もういい加減に野菜を出すべきだと思った。


「ああ、それか。トマトとかでいいかなぁ?」


 意外と前向きに検討してくれた。この人自身はほとんど野菜を食べない。だからもっと難色を示すと思っていた。


「いいと思います。後でリストにまとめておきますので、買い物に行く前に声をかけてください。その時に渡します」

「はいはい」


 反故にされるかもしれないが、とりあえずの約束は締結された。


「立て続けに申し訳ないんですけど、なぜあの子に個別の寝室を用意しなかったのですか?」


 本題はこちらだった。


「それはねぇ……今は言えない。でも、意味はちゃんとある。大丈夫。ちゃんと考えて、そうしてるから」


 詳細を答える気はなさそうだった。少なくとも、彼は面倒臭がってそうしたわけではない事はわかったので、今日のところはここで引き下がるべきだと私は判断した。


「そうでしたか。それにしても、どうにも……」

「落ち着かない、か?」

「はい。彼女に寝込みを襲われたら、ひとたまりもありませんからね」


 自分より魔力の強い危険な存在と同じ部屋で寝る。これは精神的にかなりの重圧となっていた。


「あ~、それは別に……信頼してやれ、としか言えん。なぁに、心配するなって。もし何かお前にするようだったら、俺が本気で言い聞かせるから」

「信頼って……」


 そんなすぐに出来るわけがない。今日だってバスルームで喧嘩を売られたのだから。


「だってお前の事、ちゃんと名前で呼んでただろう? 少なくとも、お前の事は信頼してるってことさ。逆にお前はどうだ? あいつの事、名前でちゃんと呼んでやったのか?」


 はっと息をのんだ。彼女が合流してからここまでの間、確かに私は一度も彼女の事を名前で呼んでいなかった。


「な? お前が信頼してやらない事には、向こうだっていつまでも気が置けないやつと一緒に居ることになるんだ。それじゃあさすがに、アレだろう?」


 最後の最後で言語化を面倒臭がった彼の意図を汲み取った。どうやら、明日からは私も変わらなればならないようだ。


「他になにか聞きたいことは?」

「……明日のご予定は?」


 本当はもう少しだけ聞きたいことがあったが、反省の意味も込めて今日のところは遠慮することにした。


「4、5日の間はここに留まろうと思ってる」

「それはまた、どうして?」

「というか、あいつがこの環境に慣れるまでの間だな。いきなり勘当されたようなもんだ。あれでいて、心の内は穏やかじゃないと思う」


 彼女にあんな仕打ちをしておいて、心のケアをしようとしている。辻褄の合わない優しさだが、そこがなんとも彼らしかった。私は計らずも感銘を受けた。


「わかりました。おやすみなさい」

「おう」




 私はそのままピィちゃんの眠るベッドまで一直線に向かった。床に就く前にエルフの少女が眠るベッドの方を見た。彼女は見事に掛け布団をベッドの下に落として丸まって寝ていた。


「これからよろしくね、キラ」


 落ちていた布団をかけなおしてやりながら、新たな旅の仲間に挨拶をした。森の夜は少しだけ肌寒かった。

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