18 生ける鉱石
大賢者様お得意の空間魔法によって、テントの内装はすっかり様変わりしていた。アラビアの夜空を楽しめる天窓と、食事もできる広めのラウンジの奥にはプールまで付いて、簡素な医務室は立派な宿泊施設に生まれ変わってしまった。
ラウンジのテーブルには色とりどりの果物が盛られた皿が置かれていた。大賢者はソファに寝そべり、皿からブドウを一粒つまんで頬張ると、口をすぼめながら水を飲んだ。どうやら、思いのほかブドウが酸っぱかったらしい。
「うーん……はずれちゃった」
皿をこちらに突き出され、何か食べるように勧められた私はバナナを一本頂くことにした。
「これは大丈夫ですよ。酸っぱくないです」
「バナナはお前……俺もバナナにしよ」
夜のおやつタイムは静かに流れた。3人で一緒に空中都市の最高峰でバナナを食べる。ただそれだけの行為なのに、精神は和らいでいった。
「……お前にはお礼を言いたい」
大賢者が4本目のバナナを剥きながら、口を開いた。
「ありがとうな」
「な……なんのつもりですか?」
何だ、突然。怖すぎる。彼が私にお礼を言うなんて。
「そう構えるなって。お前が良い感じに忖度して編集してくれた映像記録があったから、今の俺がある。たとえお前が望まなくても俺は大事にさせてもらうことにするよ、お前の事」
今更過去の功績と存在自体を称えられた私は、少し受け入れがたいものを感じた。
「あ……あなたが、大賢者になられるのは……ストラデウス様は時間の問題だとおっしゃっていましたが?」
魔法界には彼の他にもう一人大賢者がいる。それが『ストラデウス』であり、私の中では『ちゃんとした方の大賢者』でもある。ストラデウスはファッションに原色を取り入れることを好む好々爺で、人から尊敬されるに値する立派な人物だ。
「そうだとしても、褒められたら素直に照れるぐらいはしてくれよ」
「はぁ……」
素直には喜べなかった。私は自分のしたことを、まだ少しだけ後悔していたからだった。
ストラデウスに肩を並べる実力と功績を持つ若き天才魔導士の偉業に帯同できる。それはとても名誉な仕事ではあったし、彼に初めてかけられた言葉に胸を躍らせたりもした。
当時の私は、秘匿戦争の顛末の事もあって魔法界の体質というものに疑問を持っていた。特に大魔導士ユリエルに対する処遇は、我々にとって大変ショッキングな出来事で、生き残った仲間たちもその事を理由に離反した者は少なくなかった。私も思い悩んだが、結局は特防課に留まることを選んだ。最低限は後身の育成をする責任があると考えたからだった。しかしそれは建前に過ぎず、私の魂には常に暗い影が付きまとっていた。そんな情況にいる中で私はあの日、レオナルド・セプティム・アレキサンダーと出会った。
『おう、どうやらお前は他のやつらとは少しだけ違うみたいだな』
初対面の挨拶にしては少し荒っぽかった。けれど、嬉しかった。本当の意味で自分の存在が認められたような、純粋な気持ちになれた気がした。もっとも、彼はそんなこと覚えてもいないだろうけど。
「色々とさ、うちも事情が複雑でな。俺が大賢者になれたおかげで、鬱陶しい連中に睨みが効くようになった。お前のおかげで、当面の間は俺の愛する者たちが平和に暮らすことができるようになった」
「そうでしたか。それはよかったです」
はたして、彼の愛する者たちの中に、私は入れてもらえているのだろうか。彼と再会してからここまでの行程を考えると、そんな疑問がすぐに湧いてしまった。
「もちろん、その中にはお前も入ってるぞ?」
簡単に心の境界線を飛び越えられた。
「……めてくださいよ、もう」
奥歯をかみしめて、泣くことを耐えた。その代わり、少しだけ言葉が震えていたかもしれない。彼は軽く笑ってからラウンジを出て、一人でプールに行ってしまった。
しばらくして、彼はラウンジへと戻ってきた。髪は濡れ、肩で息をし、バズローブを着ている。私に気を遣って席を外してくれたのかと思ったのに、どうやら彼は本気でプールを堪能したかっただけのようだった。
「はいっ!! それではこれより、生ける鉱石獲得作戦の説明を開始する」
ソファに腰掛けるなり、彼は元気いっぱいに声を上げた。
「ピィッ!!」
私の代わりにピィちゃんが返事をした。
「えーまず、夜明け前に起床」
「ずいぶん早いんですね?」
「うん。で、ビバークじゃなくて、えーっと……ブラークだ。ブラークに乗ります」
あれはそういうことだったのか。彼がこのテントを張った時の事を思い出し、私は納得した。彼は名詞を覚えるのが苦手だ。きっと忘れないように心の中で暗唱しながら、この山を登っていたのかもしれない。それでテントを張った時に無意味にビバークと叫んでいたのだろう。
「ブラークって、魔法生物の?」
「そう。それはもう、大きな鳥です」
「……あれ? ブラークって、馬じゃありませんでしたっけ?」
「いいえ、鳥です!!」
ああ、これ……たぶんブラークじゃないな。彼はいったい、何と勘違いしているのだろう。
「本当に大きいので、ビックリしないでください。彼女は傷つきやすいので、バレますから。そういう空気とか、目線とかで」
「繊細な生き物なんですね」
出来る限り大きくて攻撃的な怪鳥を想像し、私は緊張感を高めた。
「そう。手なずけるのが大変でした。それで一回、彼女に試されますから、その間は大人しくしておいてください」
「具体的にその試される内容の説明をお願いします」
「いや、もう見られるだけ。じーっと。認められて頭をスリスリしてきたら、頬ずりでもしてやってから、彼女の背中に乗ってください」
「ピィッ!!」
「はい」
返事が遅れた。今回はやけにピィちゃんが張り切っている。
「全員が彼女に乗ったら上空に行くので、あとはもう、俺が生ける鉱石を手に入れるまで君たちは見学です」
「生ける鉱石は空中に浮いてるってことですか?」
「うーん……まぁそんな感じ。実際に行ってみればわかる。今回はビバーク以外の魔法生物は出てこないから、安心して見学するように」
彼はすでにブラークという名称を忘れたようだったが、その件については何も触れないでおいた。
「上空ですので、各自、必要な保護魔法を怠らないように。説明は以上です。何か質問がある人?」
私はピィちゃんと目を合わせてから彼の方に視線を戻して、何もない事を知らせた。
「はい、じゃあおやすみ。久しぶりに泳いだら疲れちゃった。プールヤバいわ」
大賢者の頓珍漢な疲労の知らせが就寝の合図となった。
夜明けとともに、その神鳥はやって来た。まだ遠い空にいてもわかる極彩色に近い色の羽はとても上品で、見ているこちらの心を簡単に奪う美しさを持っていた。彼女が翼を動かすたびに、空にキラキラと七色の光が舞った。
神鳥は私たちのいる枯れ木の近くまで猛烈な速さで近づいてきた。彼女は上空で何度か旋回すると、音もなく優雅に私たちの目の前にしっかりと着地した。大賢者は慣れた様子で彼女の首を強めに撫でた。彼女は満足そうに眼を閉じて甘える素振りを見せていた。猛禽類のような骨格なのに、慈しみを感じさせる丸みを帯びたその姿に、私は言葉を忘れてしばらく魅入っていた。
「よう。こいつらの事、乗せてもらってもいいか?」
彼女は閉じていた眼を開け、まずはピィちゃんの事を見つめた。すぐに嘴を二度鳴らすと、彼女はピィちゃんの体を雛鳥を扱うように優しく咥えて、自らの背中にそっと乗せた。
「ほう……好みのタイプらしい。次はタルだ。こいつもいいだろう?」
私は緊張しながら、彼女の瞳を見つめた。瞳は淡い水色と黄色と白色の3色がグラデーションしていた。不思議と恐怖を感じさせない鮮やかなその瞳が不意に閉じられた。
「……頬ずりは?」
彼女は私のことを認めてくれたらしく、頭を下げてこちらに差し出してくれていた。私は彼女の頭をそっと抱きしめながら頬ずりした。ふわふわの天使の羽のような感触の下には優しい温かさが隠れていた。
「よし、乗れ」
乗り込んだ彼女の背中はとてもなだらかで安心感があった。
「出発だ!! 頼む!!」
大賢者がそう言うと、彼女は嘴を鳴らしてから天高く舞い上がった。一瞬でさっきまでいた山の頂上が小石ほどの大きさに見える高さにまで上昇していた。
「あった。あそこだ」
大賢者が前方のやや上の方を差して、その場所を教えてくれた。黒い球体の周りに無数の小さな虫が群がっている。そんな光景に見えた。やがて距離が縮まると、虫に見えたのは大きな岩石の群れだったことがわかった。
岩石は黒い球体の周りを縦横無尽に飛び回り、お互いに衝突し合い、その衝撃で砕け散ったものがまた猛スピードで球体の周りを飛び回っていた。黒い球体の内部はめちゃくちゃな方向に流れる気流が圧縮されたような事象を起こしながら時折稲妻を発生させていた。
さらによく見ると黒い球体の中心にわずかな煌めきがあった。あれこそが生ける鉱石なのだと、見ただけでわかった。
「どうやってあんなもの、とる気ですか?」
肝心の場所はわかったが、このままではとても近づけない。私は大賢者にこの先の計画を伺った。
「大丈夫だ。一瞬で終わる」
彼はまともに答えずに笑うだけだった。
「上まであがってくれ」
あっという間に球体と岩石が飛び交う場所が下に見える位置まで来た。
「じゃあ、あとはうまくキャッチしてくれよ?」
私たちを乗せた存在にそう話しかけると、大賢者は何の迷いもなく空に落ちていった。
「えぇっ!?」
驚きの声を上げている間に、私たちの移動は終わっていた。球体の位置が横に来た時、彼が岩石群を越えて、黒い球体の中に飲み込まれていく姿が見えた。球体の位置が斜め上に、最後に球体が頭上に来た。
すると、球体の中からボロボロの何かが吐き出されるようにして飛び出してきた。そのボロボロの何かは、美しくやわらかな羽毛で覆われた背中に落ちてきた。それが球体の中で傷ついた大賢者の姿と気付くまでに少しの時間がかかった。
「……そんな!!」
彼は虫の息だった。着ているものと体中の皮膚が滅茶苦茶に引き裂かれ、不自然な方向に捻じれた右腕の中央あたりからは折れて鋭くなった太くて白い骨が飛び出していた。左手には黒い石がしっかりと握られていたが、ほとんどの指が不規則に折れ曲がっていた。
「あわ、てんな……」
瀕死の状態になっているのにもかかわらず、信じられないことに彼は意識を保っていた。
「もっ、もってろ」
意志の強い、鋭い眼光だけが記憶の中の彼の姿と一致していた。ガラガラの声だった。口の中も喉も傷ついているのか、いつもの声ではなかった。彼は私に黒い石を手渡してきた。
「ぅ……」
彼は呻きながら飛び出た骨を隠すように左手で押さえた。そのままひと撫ですると、飛び出ていた骨が消え、右腕は元通りの形になっていた。
「っし……」
今度は彼の体が淡い緑色に発光した。たちどころに体中の傷が塞がり、左手の指の骨折も治っていった。
「……あっぶねぇ。ギリギリセーフ」
どこがセーフだったのだろうか。私にはまったく理解できなかった。
「それ、ちょっと預からせろ」
彼は乱暴に私の手から生ける鉱石をひったくると、鉱石を太陽の光に当てながらじっくりと観察した。
「うーん……本物だな」
黒い石の中で無数の白銀色の粒が呼吸をするかのように煌めいていた。
「よーし、帰ろう!! 地上まで頼む!!」
ブラークではない神秘的な姿をした鳥の背中の上で、私は再認識した。やはり、この男は異常者である。だけど、深い愛を持って生きている。たとえその身が引き裂かれ、骨が飛び出し、指が折れても、愛する者のためならば、どんなに危険なこともなんのためらいもなく実行できる。レオナルド・セプティム・アレキサンダーとはそういう男なのだ。




