110 興味だけはあった人
深夜の湖畔では大トカゲに姿を変えたサラマンダー君による焚き火が行われた。桟橋ではアシハラとキラの二人が仲睦まじく釣りに興じている。無論、真面目に魚を釣っているのはアシハラだけでキラはもっぱら彼にちょっかいを出すことにすべてのエネルギーを注ぎ込んでいた。いともたやすく行われるエルフによる痛々しいコミュニケーションの数々を眺めながら、私と大賢者は流木に座って他愛のない会話をしていた。
「どんだけアシハラが好きなんだよ、アイツ」
「試し行為にもほどがありますね」
ウォンタナはピィちゃんが素潜りで獲ってきた魚を捌き、焚き火の炎を利用してそれをフライパンで焼いていた。ピィちゃんはそのすぐ近くで捌かれた魚の残骸を生のまま美味しくいただき、さらに余った魚の骨や頭などはサラマンダー君が時々頬張って焚き火の勢いを増していた。漂う香ばしい匂いと焚き火の音は疲れた脳を癒やしてくれた。
「んで、どうだった? 新しくなった使い魔の使い心地は?」
無理矢理そうさせた張本人が尋ねてきた。私は正直な感想と改善点を口にした。
「視界の共有はとてつもなく便利ですけど、要修業ですね。使い魔を操作しようとすると、つられてこっちの身体まで動いてしまって、このままだと危なっかしいです。まだまだ実用レベルには至らないかな、と」
大賢者と彼の母親に勝手に使い魔を改造されて最初こそ怒りを覚えたものの、実際に使ってみるとその性能は素晴らしかった。さすがは魔法界のトップに君臨する2大人物の施した魔改造といったところだろうか。しかしながら自分の能力の限界という壁が邪魔をし、その使い心地までは完璧とはいえなかった。
「……そっか。だけど、その感覚はあえて残しておいた方がいい」
私はいつもの疑問の言葉を口にせず、目と表情だけで大賢者に伝えてみた。すると彼はみるみる目尻を下げ、嬉しそうな表情に変えてから口を開いた。
「へへっ……お前の場合は両方できるタイプだから、まずは得意を伸ばすんだよ。しばらくは遠隔操作の方に力と入れると良い。体が勝手に動くのが心配なら、俺がギュッと抱きしめておいてやろうか?」
「気持ち悪いですね。セクハラです」
「フハハハハ!! じゃあ、代わりにアシハラにでも頼むか? お前、アイツの事結構好きだろう?」
「ええ、あなたよりも何万倍も紳士的な人ですから」
「はぁ~、魔女だねぇ……嫉妬させられちゃったよ」
キツネ色に焼かれた魚の大きな切り身が乗せられたフライパンが視界に割り込んだ。大賢者のリクエストした料理を作り終えたウォンタナがフォークを渡しながら説明をしてくれた。
「食べてみてくれ。プルガ湖で一番美味い魚、マチャティマースの塩焼きだ。これがダメならどんな魚も食えまい。熱いから気をつけ」
「あっつ!!」
「ははは、だから言っただろう?」
このボケを何回やれば気が済むのだろう。それとも天然なのだろうか。説明の途中で大賢者はいつものように熱々の料理を口に入れて、その熱と格闘しながら食べていた。
「あっ……ササミ!! 鶏の!! うまいわ、コレ!!」
熱さに顔を歪めながら、大賢者は簡潔にマチャティマースの味を表現した。私は一口大にしたマチャティマースをフォークに刺し、息を吹きかけて十分に冷ましてからいただくことにした。
「あっ……ササミ」
面白みのない感想かもしれないが、本当に鶏のササミそのものの食感と味だった。しかも魚なのに乳製品にも似た芳醇な香りもした。
「これはバターでソテーしたんですか?」
「いや、塩以外は何も加えていない。バターに似た風味はマチャティマースの脂の味だ」
「へぇ~……」
こんな魚が存在するなんて知らなかった。これなら確かに魚嫌いの大賢者でも美味しく食べられる。
「いい筋肉がつきそうだな。おかわり」
「もう食べちゃったんですか!?」
その食欲モンスターぶりは相変わらずで、大賢者はすでにフライパンを空にしてしまっていた。私は呆れ、彼と出会ってからずっと思っていたことを伝えることにした。
「ちゃんと味わって食べてくださいよ」
「味わってるよ!! ちょっと人より速く食べてるだけだろう!?」
当然、素直に受け入れてくれるわけもなかった。それでも私は構わず言葉を続けた。
「意地汚く見えるから、やめてほしいんですよ、それ。いい大人がまったく……恥ずかしい」
「意地汚い!? 俺のどこが……まぁ、合ってるか。じゃあ何も言えねぇよ!! 悪かったね!! ごめんなさい!!」
「声もおっきいです。せっかくの本格的なキャンプのムードが台無し」
「なんだよ、お前!! ああ!? ちょっと成長したからっつって、もう……意地悪になっちゃって!! アッタマきた!!」
怒って立ち上がった大賢者はあっという間に服を脱ぎ捨てると、そのまま走り出して湖に飛び込んでしまった。
「フォーーー!!!!」
水しぶきに反応して奇声をあげたのはキラだった。
「勝負だ、ゼノ!! 第一回、素潜り対決!! 今食ったやつと同じ、ササミの魚を速く獲った方が勝ち!!」
「ピィィ!!」
ピイちゃんは喜びの声をあげ、湖に飛び込んだ。
素潜り漁対決は人間が軟体生物に勝つという、悍ましい結果に終わった。その後のキャンプは徐々に落ち着きを取り戻したものになっていった。アシハラが釣った大量のカニをウォンタナに調理してもらってみんなで食べたあと、突然キラが疲れたと言い出して不機嫌になった。アシハラが笑いながらハンモックを作ってやってそこへ寝かすと、彼女は数秒とかからず眠りに落ちた。
少女の豪快なイビキは私たちにも眠気を思い出させた。こればかりはどうにもならず、ハンモックの数をさらに増やして交代で仮眠をとることにした。キャンベルが戻ってきたのは私が仮眠をとっていた夜明け直前のことだった。
「随分早かったな? もう自白が取れたのか?」
一人だけまったく仮眠をとっていない状態なのに、大賢者はいつもと変わらない調子でキャンベルの応対をした。
「ああ。拒否権があると言ったんだが、偶然が重なって自白用魔法薬を飲んでしまってな。おかげでボロボロ喋ったよ。ご丁寧なことに身代わり出頭まで用意して事件を偽装しようとしていたらしい」
「だろうな。闇金融のつながりだろう?」
「そうだ。ところで記事の原本を預かっているという魔女の正体が掴めん。何かアドバイスはあるか?」
「え~っと、そこそこの高級店勤めで少なくとも10年以上はその世界で食っている。顔は美人じゃないが、客にも同業者にもある程度の人気がある女だ。飲食店は全部当たったのか?」
「それが数が多すぎて難儀している。高級店だな?」
「いや、そこまでの高級店でもない。ゴシップ誌の記者でもそれなりに通える金額の……う~ん、もしかしたら風俗系かもな? おたくの兄貴は、そっち形の記事も書いてた?」
大賢者はウォンタナに話を振った。
「すまん、その……よくわからないんだ。兄貴の担当していたゴシップ誌は読んだことがなくて」
「そっか……それじゃあ、俺が直接手を貸そう。すぐに見つけ出してやる」
「大賢者様が直々にか……助かるよ。すまないが少しだけ、この男をお借りする」
どうやら話がついたようだった。私は安眠の環境を得ることを確実なものとするためにキャンベルに尋ねた。
「これで聴取はおしまいですか?」
「いや……アンタは記録した映像をこれに複写してくれるか?」
そう言ってキャンベルは直径5センチほどの透明な玉を2つ渡してきた。それは映像を記録しておくための魔道具の一つで、私にとっては見慣れた物だった。すぐに使い魔を召喚して未編集のままの記録映像を複写した。ひとつは私が見た視点の家の外からの映像、もうひとつは使い魔が見た視点のウォンタナの家の中での映像。証拠としては主に後者のものが使われることだろう。透明な玉が青色に変わったのを確認し、私はその2つの青い玉をキャンベルにしっかりと手渡した。
「お疲れさま。正真正銘、これでもうおしまいだ。旅の途中でとんでもない事に巻き込んでしまって申し訳なかった。すまないがウォンタナだけはもう一度、一緒に局まで来てくれるかな?」
「ああ、構わない」
こうして事件は静かに終わりを迎えた。湖畔に残されたメンバーが見知った顔だけになると、ソフィーさんがその美しい姿を現して私にひとこと言った。
「ササミの魚、私にも一口ちょうだい」
気が付けば東の空が朝の色に染められていた。