101 空中都市ノネスト
夜の闇からは雨音にも似た川の轟音が聞こえ、森から流れてくる冷たい空気からは土の匂いと動植物や虫たちの気配が運ばれてきていた。
空飛ぶ拠点は市街地から遠く離れた山の中腹に接地された。デッキで一人、私はノネストの町の全貌を見下ろしながら考えていた。
国際魔術師協会は魔法族にとって各種手続きをするために必要不可欠な存在でもある。しかしながら基本的には本部にまで足を運ぶ必要はなく、最寄りの支部でその機能は十分に事足りる。では今回の場合、本部にまで来る必要性というものは一体どこにあったのだろうか。
8日間かけた空の旅の最中ではまったく思い浮かばなかったその疑問が、地に足をつけた途端に湧きだして頭から離れないでいた。答えは聞かずともなんとなくわかる。私はまたあの人に騙されたのだ。
「はぁ……」
七角形に整備された都市は、ぼんやりと輝いていた。中心にそびえ立つ時計塔の大きさだけがこの場所から眺めていてもはっきり分かるくらいの控えめな光だった。
「遠くから見る分には綺麗ね」
背後から登場したのは私のことを毎回騙くらかす人物の恋人であるソフィーさんだった。彼女は人ごみや喧騒といったものが大嫌いな人でもある。きっと静けさを求めてデッキに出てきたのだろう。
「そうですね……」
隣に立ってタバコに火を点ける彼女に同意するだけで精一杯だった。他にもっと上手い返しの言葉がすぐに思い浮かんではいたのだが、彼女に対してそれを口にできるほどのクソ度胸を私は持ち合わせていない。
「あの形、何か意味があるのかしら?」
「効率を求めて、時代によって何度も作り直しているらしいですよ」
「へぇ……」
都市の中心にそびえる時計塔の足元には町の外郭と同じ形をした城のような建物が存在していた。国際魔術師協会本部のある場所だ。改修して間もないのか城壁は真っ白に、屋根は鮮やかなエメラルドブルーで染められていた。協会本部から放射状に広がって建てられた約9万1000もの人たちが暮らす家々の屋根は一律でオレンジがかった赤色に塗られている。町全体を囲う高い壁からは協会の守秘性の高さが感じられた。守秘性といえば、ノネストにはもうひとつ有名な施設が存在する。それは銀行だ。
「……そういうことか」
謎が解けた瞬間、思わず声を出していた。当然ながら隣にいるソフィーさんが困惑しながら話しかけてきた。
「どうしたの?」
「すいません……あの人が何でわざわざノネストに来たのか、ずっと考えていたんです。それで今、やっとその意味が分かって」
「ふーん……それって、聞いてもいいの?」
「はい。この町に来た本当の目的はアシハラさんの銀行口座を作る為です」
私たちの仲間の一人であるアシハラは給与振込すらままならないぐらいに色々と問題を抱える男だ。しかし、ノネストの銀行ならば彼のような人間でも口座が作れる。だから大賢者はわざわざこの町にやって来たのだ。
「人の為なのに……プラスになることなのに、あの人……何で言わなかったんだと思います?」
ずっとずっと抱える大賢者という人間に対する疑問の一つを、誰よりも近い場所で彼を見てきたソフィーさんに聞かずにはいられなかった。
「ガッカリさせたら申し訳ないけど、アイツの本性って怠け者なの。だから他人にきちんとした説明なんて出来るわけない」
怠け者というのは言葉そのままの意味ではない気がした。そうは言っても忙しく動き回る時だって彼にはあったからだ。特に食べ物が絡んだ時なんかは人一倍フットワークが軽い。
ソフィーさんの言葉にはまだ続きがあった。
「……そう思ってたんだけどね。私の考えは少しだけ違ったみたい」
「違ったって……どう違ったんですか?」
ソフィーさんはタバコの吸い殻を燃やし尽くしてから今一度口を開いた。
「時々、照れてる時があるの。カッコつけのくせにズレたところで気を遣ったりして……だけど今回は単に面倒臭がっただけ。言葉にするよりも、実際に自分が動いてしまった方が楽なのよ、あの男の場合。あなたに甘えているの」
「私に甘えている?」
「何度苦しめられても、全部許してきたんでしょ? あの人、あなたの話をよくするの。あなたの事が可愛くてしょうがないのね。最初は嫉妬させられけど、そうじゃなかった。あなたの事、まるで親族か何かだと思っているみたい」
冗談じゃないと思った半分、救われたような、満たされた気持ちにもさせられた。彼の事だから私の事なんてほとんど道具のように考えていて、内心で人間扱いされていないのだと思っていた。
気を良くした私はもう少しだけ大賢者の知られざる部分を明るみに出すべく、ソフィーさんに質問をした。
「彼は家ではどんな感じなんですか?」
「酷いものよ。飲み食いしたらそのまま片付けもしないし、もちろん食器だって洗わない。洗濯物だって何度言ってもその辺に脱ぎ散らかすし、シーツと枕カバーも私が言わなければ交換すらしようとしない。揚げ物とかジャンクフードばっかり食べて野菜は食べないし、いつも上から目線だし、真面目に話は聞いてくれないし……」
終わらない終わらない終わらない。パンドラの箱を開けてしまった私はその後、ソフィーさんのタバコの箱が空になるまで大賢者に対する愚痴を延々と聞かされることになった。
翌朝、手続きに向かう大賢者とアシハラを全員で見送ることになった。出発直前の時間になって大賢者がアシハラの袴姿が目立つからと言って、ファッションショーを始めてしまった以外は私の推理通りの動きだった。
ファッションショーは無駄骨に終わり、元の袴姿に戻ったアシハラを従えた大賢者は玄関まで進むとまたしてもわけのわからない事を言い始めた。
「それじゃあ、行ってくる。サラマンダー君のお散歩なんかをさせるんであれば、ウンチはちゃんと持ち帰ってくるように」
「サラマンダー君って、ウンチするのか?」
すっかり騙されたキラは大型犬の姿になっているサラマンダー君の尻尾を掴んで肛門のチェックをし始めた。
「しません!!」
私は強く否定し、キラの愚かな行為を止めさせた。
「たぶん帰りは遅くなる。お役所仕事だからな。それじゃあ、あとは頼んだ」
男二人は肩を並べて玄関を出ると、ゆっくり歩いてノネストを目指し始めた。
「さぁ~て……サラマンダー君、お散歩にでも行くか!?」
キラの提案にサラマンダー君は「キューン」という鳴き声を上げて答えた。
「私も行く。ソフィーさんはどうします?」
答えはわかりきっていたが一応尋ねると、意外にも彼女は少し悩んでから答えた。
「……パス。でも一人は寂しいから、ゼノは置いていって」
「ピィィッ!?」
彼女の返答は私の想像通りのものであった。




