調査団からの視点
――末の妹の婚約発表について、祝いの言葉を伝えるときに、幾らか世間話をした。その時つい今後の不安について零してしまったのを、彼女はしっかり拾い上げて助言をくれた。
「ベルトランお兄さまと良い付き合いをしていく方法? それは勿論、ベルトランお兄さまに剣を向けないことでしょう。たったそれだけよ。殺し合いにさえならなければ、意見が少し違うくらいのことは、議論の一つとして受け入れてくださるわ。お兄さま、基本的に兄弟は皆大事に想っているから、真剣な想いがあるなら相応の態度で聞いてくれますとも」
妹は言った。長年大きな派閥を作って争っていた長兄二人の関係を修復してみせた彼女の言うことは、他の誰が何を語るより納得があった。これまで権力を巡った争いを多く見てきたがゆえに、他の人間が言ったら信じられないようなことでも、この妹が言うなら間違いないように感じられた。
「アレクサンドル兄上とはどうするか? そうね……ベルトランお兄さまを決して貶さないことよ。熱心に媚びる必要はないけれど、侮っては駄目。そう、アレクサンドル兄上自身に対するより、とっても大事なことなのよ。誰だっていやでしょう、自分が認めた相手が、他の者に認められないどころか馬鹿にされでもしたら」
特別な力を秘めるという魔法使いの青い瞳。貴族の中にはそれを凍てつく冬のように畏れる者もいる。けれども彼女のそれは春の湖のように柔らかな光を湛えて美しく見えた。そこに偽りや企みの色はなく、言葉はただ単純に、知っておくべきことを教えてくれた。それは身の振り方を決めるのに役立った。
「私は勿論、私に優しい人が好き。大丈夫ですよ、ラブラドル兄上。あなたはお兄さまも私も悪精霊から逃げ惑う民も、誰も見捨てなかった人だもの。きっとこれからも、上手くやっていけますわ」
◆◆◆
晴れた青空の下、救貧院からモリオン城に繋がる大通りを、調査団の兵士たちが歩いている。日中にも関わらず人どおりは少なく、先頭を歩く男の声がよく響いている。
「ハーッハッハッハ! やばいぞこの街、一体どうなってるんだッ!」
「お声が大きいですよ」
「これが叫ばずにいられるか! 救貧院で強請りに遭うのは想定外だったッ! 慈善事業だと油断していたらこれだ。おお、恐慌ッ! 全部素直に信用してたら身ぐるみスッポンポンにされてしまう!!」
「あれは愚か者が付け上がったのでしょう、ラブラドルさまはハリー王子よりも少し、お顔立ちが幼くていらっしゃるから」
「何考えてるか謎だった狐野郎に比べれば誰だって愛らしいとも! しかし確かに一理ある。何しろこのボクときたら十年に一度の美男子だ。顔の天才すぎて常識外れにカワイイ造形に見えてしまったのかな? そう思わないとやってられないッ!! キーッ!! 不敬!!!!」
モリオン調査団の団長、ラブラドル。ベルゼア王国の王子の一人で、此度は国王である兄ベルトランの指示でモリオンを訪れた。現在は宰相に任じられたもう一人の兄、アレクサンドルの指揮下に入り、モリオン城への人材斡旋を行っていた者たちを調べている。城に出入りのあった商人の組合にも人を遣ったが、アレクサンドルが特に怪しんでいるのが救貧院だったので、ラブラドルもこちらは精鋭を連れて向かった。
「モリオンは王都から離れた地。田舎者には王族の高貴さがわからないか、あるいは、風土が違うゆえに文化も変わるというところでしょう、恐らく、きっと」
「それで済むなら我々が調査団として派遣されることはないぞッ! ちょっとウッカリさんでいるとあらゆる悪逆が押し通されてしまうのでとてもマズイ。ここの連中は精神が悪逆非道ハリー野郎に支配されたまんまなのだッ! 野蛮!」
思い出すのは、救貧院長の態度である。奴は収容された他の人間や他の従業員がみすぼらしい恰好をしている中、一人だけ身綺麗にしていた。アレクサンドルからの指示に基づき、此処で人の紹介を受けていたホークスという男について尋ねると、歳だから記憶が曖昧だと宣ってのらりくらりと質問をかわそうとした。それどころか、寄付金が幾らかあれば話ができるなどと情報を求めるこちらの足元を見るようなことを『提案』として言う。腰の剣を飾りだと、あるいは王族を相手に対等な立場だと思い込んで疑いもしない。こちらが救貧院の運営実態についての不審を述べ、隠し立てをすればより罪が重くなると警告して、ようやくこれまでの取引相手とは違うものだと気が付いたらしい救貧院長は大人しくなって、取引内容について白状した。
ホークスはモリオン城からの遣いとして度々救貧院を訪れては、収容しきれない人間を引き取っていったらしい。老若男女問わず、時には病人ですら構わず連れていったという。モリオン城に残された使用人たちはそれほど多くはなく、幾らかは逃げ出しているとはいえ、集められた数とは合わない。救貧院長はホークスが連れていく先は城の下働きか、そうでなければスモーク家所有の鉱山作業だろうと証言した。そして調査団への協力を理由に免罪を要求してきた。ギリギリまで司法取引に持ち込もうとするあたりとても図太い。腹の探り合いに慣れている気配がある。
もしかすればまだ何か情報を握っている可能性もあり、あるいは全てさらけ出したかもしれないが、ラブラドルにはそれが判別できなかった。貴重な情報源になり得るものにつき、ひとまずその処遇についてアレクサンドルに報告と相談をすると決めた。見張りはつけたが、とにかく厄介な手合いだ。罪状がはっきりしていてただ何も考えず処断すればいいのなら楽だったが、今回はそうではない。つつけば幾らでも粗が出てきて処罰できるだろうが、やりすぎて逃げられるようなことがあってはならない。慎重に動かねば。
「あんな悪党どもがのさばっている中、兄上の足を引っ張らないよう気をつけないと……いかに人手不足とはいえ、無能も過ぎれば負債となろう。もし兄上に見限られてしまえば今後のボクの立場が……ううっ胃が痛くなってきた気がするぞッ。後で胃薬を呑まなくてはッ」
「お労しやラブラドルさま……お顔以外で兄君に並ぶところがないばかりに気苦労が多くていらっしゃる……」
「客観的事実かもしれないがそういうのはキレッキレの研ぎたてナイフみたいなものなのだ! 何だったら妹にも勝てないことは自覚している。だからばっちり聞こえるところで言うのはやめたまえ。やめたまえよホント」
王族の一員ではあるが、自身は数多くいる――数はいくらか減ったが――兄弟の一人でしかなく、母の実家もさして有力ではないうえ、爵位の跡継ぎは他にいるのでラブラドルの入る隙間がない。玉座も遠く、何もないラブラドルが貴族社会で生き延びていくには王となったベルトランに認められるだけの実績が必要だ。優しい妹が何か口添えしてくれるかもしれないが、それだって失望されないだけの行動が伴わなければ。とにかく王の言うことをよく聞いて、そこそこに有用だと思われれば、新たな政権下でも居場所が与えられる。あるいは政略結婚をさせられて国外へ行くとしても、なるべく良縁をと気遣ってもらえるはずだ。
「ラブラドルさまが没落したら我々も一緒の泥船で沈みます。決してお一人には致しませんよ」
「道連れがいたら慰めになると思うなよッ! 今回の調査はちゃんと仕事をしたと見てもらえるんだろうか。もしアレクサンドル兄上の不興を買ったらあることないことベルトラン兄上に吹き込まれるとかして尉官からも失脚なんて……ないとは思うが……ないかな……ないですように……ああ、考えたくない。何も考えたくないぞッ。クソッ、ハリーのやつめ、あの贅沢者めェ……! 何もかも全部ああいうアホタレが悪いのだッ!」
何もせずとも受け継ぐことのできる領地があったのだから、玉座など望まず大人しくしていればよかったのだ。ラブラドルが持たぬものを色々と持っていながらさらに欲をかいたからハリーは破滅した。その後始末のためにあれこれと気を遣わねばならないラブラドルが愚痴をこぼすのも仕方のないこと。強い日差しがじりじりと不満を焦がすようだ。実際のところ、ラブラドルの立場が弱いことそれ自体は、ハリーの悪逆とは全く無関係なのだが。蹴落とされるまでもなく王子としては弱者側であったので。
そのように愚痴をこぼしながら進む最中、彼は異常を感じて足を止めた。空には雲一つないというのに、周囲の建物にもかかるほどの影が差す。
「何だ?」
部下たちを制止して、振り返る。寂れた雰囲気はするが、他と大差ない街並み。そこには、人のような形をしたものがいる。
――人に似ているが、人間ではない。人ではないが、家畜ともまるで違う異形。その背丈は二階建ての家々と同じほどある。その巨体には、長さの違う筋肉質な腕が六本。頭が三つ。目はそのうち一つの顔にだけ、ぎょろりとしたのがついている。それが、こちらを見下ろしている。
それが一歩、踏み出した。地面が揺れる。おかしい、一体どこから現れたのか。石畳が割れる。これほどの存在感があってどうして近づかれるまでわからなかった? 奴はこちらを認識したうえで、異形の腕を伸ばしてくる。掌を広げている。狙われている――あのような怪物に無造作に触れられれば、丸腰の人間はすり潰されてしまう!
「ま、魔物!? こんな街中に!?」
「――伝令、兄上に魔物出現の報告、兵舎に待機している人員も呼べ! 街に被害が広がる前に押し留めねばッ! このまま大通りを進ませてはならんッ!」
この街の人間が非協力的であろうと、守るべきものには違いない。奇妙ではあるが幸いにも、外に出ている人間は少ない。早急に始末をつけなくては。