めを閉じて、みみくち開く
その後もアレクサンドルは主にハリーの日記を、スフェーンは契約書の詳細を調べ尽くして、判明したことがある。
ハリーは魔法の実験に必要な材料を、あらゆる人脈を使って調達していた。素養がない者が、どうにか魔法の神秘に触れようとして集めた品々。それは旧い時代に書かれた手記であり、魔物の爪や牙であり、いわくつきの鉱石であり――人間だった。最初は商人から物を買い付けるだけだったところを、成果を求めて過激な実験に手を出すようになり、やがては死体を、または生きた誰かを、取引によって手に入れた。この取引の代行をしていたのが、どうやらホークスであるらしい。
アレクサンドルの過去視の魔眼は肉体に負担がかかる。厳密には、視るべきものがわかっていれば、特定の場所、特定の時間を遡って照準を合わせることで消耗を抑えられる。しかし手がかりが少なければより多くのものを視る必要があり、そうなれば視界から受け取る情報を処理するのが追い付かなくなり疲弊する。通常の人間にはあり得ざる視界をもたらすこの眼は、しかし眼だけが特別なのであって、それ以外の肉体性能はあくまで人間の範疇に留まる。そういう仕組みでできているので、入念な準備ができなければ、魔法の力とて万能とはならず、使いどころを考えておかなければ体がもたない。魔法を多用しないようにと見張っているスフェーンの手前、アレクサンドルはホークスの人柄について、直接問いただすことに決めた。このモリオン城に残っていた使用人たちである。
彼らは調査団の聞き取りに対してろくに話をできる状態ではなかったというが、アレクサンドルを前にしても同様に怯えた態度で震えている。
「さて、おまえたちの中でホークスについて知っているものは?」
「ヒッ……お、お許しを、私たちは何も、何も知らないんです」
「何も? そんなはずはないだろう、この城で生き延びたおまえたちが、ハリーの傍にいた男を知らないはずがない」
「アレクサンドル様、そう威圧ばっかりじゃあこの連中も緊張してしまうだけですよ」
見かねたスフェーンが尋問に口を挟む。どうにもこの男からすると、この使用人どもは哀れっぽく見えるようだった。調査団にも口を割らない相手に、つい態度は厳しくなってしまうが、それがいけないという。とはいえ、軽んじられることは避けねばならぬ。少しの油断で足を掬われた者から脱落していく権力闘争に身を置いていたがゆえ、アレクサンドルにとって腹を割っての対話というのはなかなか難しい。特別信用できる相手でなければ、柔軟にはなれない。
ならば、そうした会話に抵抗のなさそうなスフェーンに任せる。そう決めて促すと、彼はいかにも穏やかそうな顔をもっと柔らかくして、にこにこ笑って「任されました」と答えた。アレクサンドルは一歩引いて、壁際から使用人たちの様子を観察することに徹する。聞くべきことは元々スフェーンにも教えてあるので、何もできないことはなかろう。
スフェーンは怯えて戸惑う使用人たちに目線を合わせると「そう怖がらンでくれ」と宥めて言う。
「何もあんたらを罰しようというわけじゃあない、本当の悪党を野放しにしたくないって話なんだ。ちょいと簡単な質問をいくつかするだけだ。ちゃんと答えてくれれば、あんたらを悪いようにはしないとも。な? 頼むよ」
傍に置いておける程度に礼儀作法を仕込んだが、どうにも垢抜けないところのあるこの男は、周りからすると威厳もないが害もないように見えるらしい。何やら仲間内で少し話をした後、代表として前に出てきたのは細身の若い女中だった。
「あの、家令も、家政婦も、いなくなってしまったので、あたしたち、難しいことはわからないんです。日中はみんな自分の仕事をしてて、あたしだって、ほとんどずっと洗濯室に籠り切りですから……」
「ホウ、偉いやつはいなくなった……そンなら、色々聞くけど、わかることは答えてもらって、わからないことはわからないって教えてくれるかい。できるかい」
「は、はい、それでよろしければ」
「ありがとう。じゃ早速だが、家令たちがいなくなったってのはいつ頃のことだ?」
この場においては、恐れられないことはそれなりに重要だったようだ。ここにいるのは使用人の中でも階級の低いものたちばかりで、権力者よりも、親しみの持てる相手のほうが心を開きやすいのだろう。スフェーンの質問に対して、使用人たちは代表の女中を筆頭に、あれこれと素直に、それこそ井戸端会議とでもいうように喋った。それはつまり、ハリーやスモーク一族という貴族連中は、怖れによってモリオンを支配していたという意味でもある。アレクサンドルも他人からは恐れられることが多いが、それはどちらかと言えば立場の近い王侯貴族からの派閥闘争に関わる畏怖であり、平民からは領主への敬意を持って迎えられる。ここではそうではない。調査団の事前の聞き取りでも、住民たちは貴族を信用していない。これまでのスモーク家の態度が、彼らをそうさせるのだろう。
ともかく、スフェーンが上手く聞き出したおかげで情報が増えた。使用人の彼らが言うことには、スモーク家の貴族たちが不審な死を遂げ、数日後にはハリーが反逆者として処罰されたと報せが届いた。それから家令や家政婦といった上級使用人たちは金目のものを持って逃げ出してしまった。残された下働きの多くは身寄りがなく行く当てがないため、この先どうするか仲間同士で相談しているところだった。そこへ調査団がやってきた、というわけである。
「ホークスってやつについては誰か知ってるか?」
「あの人も今はどこにいるのかわかりません」
「家令どもみたいに昔からこの城に仕えてたのか?」
「聞いた話じゃ、五年ほど前に相談役としてハリー様が連れてきたって。あたしたちはみんなそのあとからこの城に来たから……」
「ホウホウ……じゃあ顔くらいはわかるか?」
「いえ、その、噂は聞きましたけど、あたしたちは持ち場から離れることが少なかったし、ホークスさんもわざわざ下働きのあたしたちの様子を見に来ることはしないから……そういえば、ホークスさんに連れてこられた子もいたよね?」
女中が仲間たちに問いかけると、幾人かの他の女中が返事をした。どれも年頃の近そうな、痩せた少女たちであった。
「あっ、あの、わたしたち、救貧院には戻りたくないです」
「事情を聞かせてくれるかい。大丈夫、嫌なことはしないようにする」
「は、はい。その、みんな、家族もいなくて、ホークスさんが働き手があるっていうから、この城に来たんです。あんなひどいところから出られるなら何でもいいって思って……ここのお仕事も辞めちゃった子もいるけど……」
「苦労したンだな。辞めた子がどうしてるかは知ってるかい? また救貧院に戻ったとか?」
「いえ、その、わかりません、ごめんなさい。急にいなくなっちゃったから、連絡先も知らないんです。でも、救貧院だけはないと思うんです、あそこは食事も毛布も足りないし、牢獄みたいなんだもの。わたしだったら絶対に戻りたくないわ」
アレクサンドルはそれは犠牲者だろうと思った。魔法によって隠された身元の分からない死者たちの中に、彼女の友人もいたのだろう。身寄りがない人間なら、いなくなっても誰も探すことはない。内部の人間には辞めたと誤魔化し、外部から見ても、救貧院から連れていかれた者はいくらか残って働いているのだから、そこを疑うこともしない。ホークスはハリーの手先として随分よく働いていたようだ。隠蔽に長けている。
ホークスの顔を見た者は、背の高い痩せぎすの男だと言った。目つきが鋭く鷲鼻であるらしい。人相の情報は重要だ。少しは調査の手掛かりになる。
ひとまず使用人たちから聞き出せるのはこんなものだ。調査団の滞在中、これまでどおり城の仕事をすれば給与は保証すると約束をしたところで、使用人たちは多少安心したような顔をした。
情報整理と休憩をかねて兵舎に戻ると、スフェーンも息をついている。のんびりした顔をしているなりに緊張もあったらしい。
「おまえが尋問が得意だとは知らなかった。覚えておこう」
アレクサンドルが声をかけるとスフェーンは困ったように眉を寄せた。
「エエッ、自分はちょいと話をしただけでそんな尋問なんて大層なことは……」
「褒め言葉は素直に受け取るがいい」
「これって褒められてるンです? まあ、何にしても使用人たちは協力的でしたね。なるべく良くしてやりたいですけど」
「おまえ、案もないのに連中を手玉に取っていたわけか」
「だって、アレクサンドル様なら民を悪いようにはせんでしょう。そのつもりで任せてくださったンでは?」
「フン。……ここをすぐ廃城とするつもりはない。余程の罠でも残っていない限りはな。問題が落ち着けば新たに行政官を決めてモリオンの統治をさせる。おまえの心配している連中が働き口を失うことはない。無論、去るのなら止めもしないが、その時は代わりを募集するだけだ」
「さようで。そいつは安心だ。偉い方は色々考えておられる」
「指図したことに責任を取るまでが仕事だ」
ハリーの悪逆に根深く関わっていたであろうホークス。その男を引きずり出す。それもまた、このモリオンにおけるアレクサンドルの責務であろう。善悪問わず、行動には相応の報いがあるべきだ。
救貧院については調査団に任せている。ホークスとの取引だけでなく、そもそもの運営実態にも問題が多そうだが、果たしてどのような状況になっているだろうか。