犠牲の上にあったもの
城内で見つかった死体は、貴族もそれ以外も区別なく、検死のために一時的に空き室にまとめて移動させることとなった。調査団の医師に確認させた限りでは、どれもこれも外傷による失血の痕があったという。血液を求めたのか、それとも死体そのものが素材だったのか。腐敗が進行しているものが多く、長期間保管しておくのも難しいため、それらは全て共同墓地へ埋葬された。
ハリーの部屋の瓦礫が片付いたのは、アレクサンドルがモリオン城について翌日のことである。ラブラドル率いる調査団の面々には引き続き使用人への聞き取りや城下町の状況確認を任せ、アレクサンドルは部屋の物色を始めた。
寝室と書斎を兼ねたそこには、王子が使っていただけのことはあって、上質な調度品があれこれ並んでいる。ベッドがあり、暖炉があり、引き出し付きの書き物机と本棚があり、壁には先祖の肖像画や紋章のタペストリーが飾られている。それだけなら他の貴族が使うのと大差はないが、アレクサンドルの眼には別のものが視えている。重要なものは、壁にかけられた絵画の裏にある。一番大きな絵の金の額縁に手をかけると、そのまま引き戸のようにずれて、壁に空いた穴が現れる。護衛として付き添っているスフェーンはそれを見てあっと声を上げた。
「こんなのよく気づきましたね……アレクサンドル様、もしかして魔眼? とかいうのを使ったんですか。あんまり使いすぎちゃあいけないんですよ。あれは結構大変なもんなんだってベルトラン陛下が気にしておられました」
スフェーンは真面目にベルトランの言いつけを守るつもりでいるらしい。魔法について理解が浅いわりに小うるさいが、この男の言葉は出世への欲などではなく、素直な王家への忠誠から来る心配によるものなので、アレクサンドルも無碍にはしづらい。
「……最低限にしておくさ。とはいえ急がねばならないのも確かだ。おまえも見るがいい、ここにハリーの悪辣の証拠が揃っている」
そこには、表向きは噂好きの社交的な王子として知れ渡っていたハリーの実態が詰め込まれていた。
穴の中に作られた棚に、ぎっしりと書物が並んでいる。その多くは旧い時代のもので、魔法についての記載があるものをかき集めていたのだろう。だがそればかりではなく、棚の端にはぼろの手帳がいくつか挟まっている。これらは日記、あるいは研究記録といったところか。毎日つけていたわけではないようだが、魔法の実験を行った日のことは、詳細な記録を残しているようだった。机上の空論を形にした経緯。これも重要な情報の塊だ。
「今日中に日記の中身くらいは見ておきたい。おまえはこれの中身を覚えて、後で調査団の連中に確認をとっておけ」
書き物机の引き出しから取り出した冊子をスフェーンに押し付ける。
「これって自分が見ても良いものなンです?」
「魔眼を使うのを控えろというのなら、代わりの眼が必要だろう。字が読めるのは良い。おまえの有用な点だな」
「親の商売を手伝うのに必要だったンですよ。でもまあ、それでアレクサンドル様の助けになれるンでしたら……なンだこれ、契約書?」
「全て目を通せ」
ハリーの資料や日記は魔法使いであるアレクサンドルでなければ理解が難しいだろうが、そうでない情報なら文字さえ読めれば誰でも扱えるものである。護衛とはいえ、調査団が出入りしているこの城において、アレクサンドルに危険が及ぶようなことはそうそうないだろう。どうせなら傍に置く人間をより都合よく使うのが良い。空いたソファに座るのを許すと、スフェーンは素直に従って書類の綴りを広げて、不審な部分を探し始めた。
アレクサンドルもまた、日記を検める。最初のほうは日付もまばらで、単なる日常や貴族間の噂話、流行についてのメモ程度の内容が続いている。そこにやがて、母親に吹き込まれたのだろう玉座への渇望が加わる。実際のところ、その母親というのも魔法のための犠牲となっているのだから、皮肉なことだ。過ぎたるものを求めて破滅した。ある意味では、父とも同類と言えようか。予言に振り回されて多くの子を成した結果、ハリーという災厄の呼び水を世に生み出したのだ。
さらに読み進めていくと、日記の中に特定の名前が他出するようになる。ホークス。ハリーはその男をいたく気に入っていたのか、魔法の実験にも付き合わせていたようだ。彼が詳しい事情を知っていそうだが、さて、見つかった死体の中の誰かなのか、それとも生き延びた使用人の中に紛れているのか。
記録を確認し情報を取捨選択する、それに難が出るわけではないが、どうにも視線がうるさいのを感じ取る。気が付けばスフェーンの手が止まっている。
「何か気になることでも?」
「すみませン、つい。熱心でございますねと思って」
「疾く民の不安を取り除き、新王の治世に問題がないことを世に示さなくては。それに父が予定を組んでいた舞踏会もある。弟たちの婿入り先は勿論、新王の妻もそこで決まる。それまでには全て片を付ける。そうすれば他国に弱みを握られずに済む」
「他国……調査団の団長殿も婿に出すンで? 何かご立派そうなお方でしたけども」
「玉座がベルトラン王のものとなった以上、他の兄弟は別の食い扶持が必要だ。それが他国へ行くことか、あるいは国に残って王の兵士として尽くすことかは時と場合による。今のところラブラドルは勤勉だし、ベルトラン王がそれなりに信を置いている。ある程度は本人の意も汲むが、さて」
「はあ、王家の方は考えることが多くて大変だ。そういえば、結婚といえば、アルミナ殿下もお相手が決まったと聞きましたよ。なんでもあの天下無双のルベウス卿が相手だとか」
「妹が望んだ相手だ。ベルトラン王の信頼も厚い。……何か祝いの品を用意しなければな」
聡明で寡欲な末の妹は、数多くの兄弟たちの中で唯一、アレクサンドルと同じ視座を持つ。ろくでなしの貴族どもに仕立て上げられた派閥抗争を崩すのに、彼女の存在は不可欠だった。当たり前のようにベルトランを家族として愛しながら、世間ではその敵のように扱われていたアレクサンドルをもまた、当たり前に、まるで普通の兄弟のように兄として扱ってくる胆力は、他の弟や妹たちにはなかったものだ。それは決して愚かさゆえのものではない。事実上、一時的に預けられているに過ぎなかったコルディエーを、真実自らの領地として発展させる礎を築いた手腕からして、そんなものを敵に回せば厄介この上ない。彼女と争わずに済んだことは幸運だった。魔法使いとしても、政治家としても、家族としても。
父に多くの妻を迎えて子を成すよう唆した魔女ではあったが、母体として考えればルチル妃は間違いなく優秀だった。ルチルの子供たちは二人とも優れている。敵に立ち向かう勇気は勿論のこと、貴族相手にも臣民相手にも相応に上手い付き合いができるのは、従える者である王族として最も重要な才覚だろう。妹のほうはルチル妃が目論んだとおり、悪精霊に対抗できる魔法使いの素養も持っていた。
妹の結婚は国内に留まって新たな王を支えると民に示すものだ。予言に語られたとおり脅威を退けた魔法使いが認める王とあれば、権威は十分であろう。あとはアレクサンドルがもう一人の魔法使いとして、残る不安の芽を摘むだけ。
「……何にせよここでの仕事が終わった後だな。さて、スフェーン。少しは進捗があったか?」
「ええと、変なことかどうかは自分にゃあ判別がつかんのですが……これとか、よくある話なンで?」
スフェーンは綴りの中から一枚の紙を外してアレクサンドルに見せる。救貧院への寄進について。高貴なる者は持たざる者へ施しを与えるべし。法で定められているわけではないので全ての者がそのようにしているわけではないが、上に立つ者の責務、社会的規範として、そのような政策をとる貴族は多い。それこそ妹アルミナが筆頭格だ。ゆえに寄進自体は一般的だが、ここにあるのは契約書だった。単なる施しではなく、対価を求めるもの。働けない者、働き口を失った者たちが集まる場所。そこから提供されるものなど、決まっている。
「実験材料の調達先はこれか」
アレクサンドルは舌打ちした。全くろくでもない街だ。