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虚構転成冥界紀行  作者: 味醂味林檎


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良きものの天秤

 車輪が石ころを撥ねる音を聞いて、アレクサンドルは目を覚ました。幌馬車の中だ。体のところどころに痛みを感じるのは、悪路での揺れで休まらなかったせいか、多少眠ったところで疲労が回復しきらなかったせいか。

 体を起こすとそのことに気が付いたスフェーンが声をかけてきた。

「お目覚めですか。お水飲まれます?」

「……もらう」

 水筒に口をつけると、思っていた以上に体が渇いていたのか、補給が体に染みわたるようだった。馬車の中には他の騎士たちも体を休めている。その様子を眺めている間に、スフェーンが気を利かせて状況の報告を始めた。

「ホークスはラブラドル殿たち調査団の騎士たちが無事討伐しました。皆多かれ少なかれ負傷がありますが、生きています。その後、鉱山を脱出するにあたり、イカに乗って穴の底から浮上し、運よく壊れていない道を見つけて脱出しました。イカは……何故か山から出られないようだったので置いてきました。今モリオン城へ戻る道中です。ええと、他に何か説明したほうがいいことはありましたかね。あっ、あの光る石、小さいのが道中に落ちてたンで記念にいくつか拾っといたンですよ。良いお土産になりそうでしょう」

 スフェーンが取り出した石は、やはり七色に煌めきはしたが、幌馬車の中が洞窟ほど暗くないからか、あまり目立たなかった。その様子をじっと観察してから、アレクサンドルはスフェーンの顔を見た。そばかすのある、のんびりして人のよさそうな青年の顔だった。

「おまえ、まだ発光しているな」

「えっ!?!? さっき他の人たちはもう光ってないって」

「冗談だ」

「お人が悪いです」

「私はもとより悪党だよ」

「何言ってるんです全く。とにかくお目覚めになってよかった」

「そうだな。どうやら私が想定していた中で最も良い結果になったらしい」

 怪物となったホークスを、あの山から出してはいけなかった。そのために命を散らす可能性は十分にあった。けれども、全員の命がある。幸運だった。

 戦いの中で協力してくれたイカが山から出られないというのは、恐らく、あの空間そのものが特殊な環境だったことが影響している。虹色の石、輝く貝の魔法の力が、宙を泳ぐ魚たちのための世界を作っていた。洞窟の外にはその力が及んでいないため、特殊な魚たちは適応できない。元から外の生き物であった人間が変質した怪物は外へ出ても問題ないが、あの洞窟で生まれたものはどうにもならない。

 先程スフェーンが出した石も、アレクサンドルからは微かに魔力を秘めたものと感じ取れはするが、洞窟の中で周囲に影響を及ぼしていた多くの石たちほどの力はないようだった。鉱山の中では何かの現象の一部だったところを、切り離されたことで別物に変化したということかもしれない。魔力とは現象を定義する力であるのだから、何かしらの現象が発生しないのなら魔力も生まれない。

 そのうち馬車は山を下り、モリオン城に戻ったアレクサンドルたちには、あれこれの後始末が待ち受けていた。ホークスを討ったので、かつてこの地を支配していたスモーク家とその家臣たちの影響が全てなくなったのだ。この次は、正しく王家の威光を示さねばならない。

 ただ、誰もかれも満身創痍だったので、全員まず真っ先に医師の治療を受けた。アレクサンドルも過労のため休養が必要だと診断されたが、長く王都を空けることを嫌って、ベッドの上でも手の届く書類仕事には取り掛かった。行政官の手配、百腕巨人ヘカトンケイルに関する報告書の制作、何も知らされずに働いていた下働きの者たちへの救済措置の指図、接収したスモーク家の財産の目録作成など、それなりにやることがあった。とはいえそんな調子では休まらないので、元々護衛であり比較的軽傷であったスフェーンが適宜休憩するよう声をかける役目を請け負う。無理をせぬよう適度に補佐を務め、様子を見て食事を促したり、睡眠のために灯りや筆を回収したりと、スフェーンがずっと見張っているので、流石のアレクサンドルも働きづめとはならなかった。そうこうしているうちに仲間たちも皆回復し、その後は速やかに進んだ。

 あらかたの問題が片付いて王都への帰路につくころには、仲間たちは戦いの負傷より事務仕事の疲れのほうが負担だと軽口を叩くようになっていた。脅威が過ぎ去った何よりの証明だった。

「結局ホークスってのは、何だったンでしょうかね」

 スフェーンがそのようなことを零すのも、考える余裕ができたからだった。

「止められたからいいンですけど。もし自分たちが失敗してたら、怪物になったヤツが暴れて、たぶん、沢山の人が傷ついたことでしょう。そうなったとして、別にヤツの思うような政治なんてできるもんでしょうか」

「なんだ、思考実験でもしたいのか」

「いやあ、そんな大層なモンじゃありませんよ。ただ、なんだかよくわからなかったもんですから、我らが陛下の代わりに、あんな化け物に従う国になるって、どんなのだろうと思って」

「さあ。やつとてそれなりの学はあったはずだが、まともな思考が残っていたかな。政治など、あの有様では。民の暮らしが良くなるとは思わん」

 アレクサンドルの見立てでは、あれほどの規模の肉体の変質は、思考にも影響を及ぼしただろうと考える。ハリーという庇護者が粛清されたことで、ホークスもまた追い詰められた。力を得る手段として怪物を運用するのではなく、自らが怪物となることを選ぶほどに。

 ただそれは結局のところ、ホークスが現実と向き合うことから逃げたという話だった。実力があるものが評価されることを望むわりに、自分自身より優れた相手を正しく評価することができなかった。自分が主を支えられなかったことを理解できていなかった。恵まれない者にこそ慈悲をというにしても、自分より苦しんでいる者のことは無視し、救うどころか犠牲にしていた。どれほど美しい理想を語ろうと、中身が壊れていることに気がついた者はついてこなくなる。そして金と恐怖を振りかざして人を従えるようになり、それにもいずれ限界が来る。

 リーベックの時点で失敗しているのに、ハリーに鞍替えしても失敗した。あるいは、ハリーが手を出したからこそ、間違ったまま戻れなくなったのだろうか。どのみち最初の過ちの時点で彼には戻る道などなかったが。

「可哀想なことですね。才能があっても、上手くいかないっていうのもあるンだ」

「あの男が望んだのは、優れた者が評価されること、らしいが。たとえあれが正しい存在だったとしても、ベルトラン王に害を成すものは認められない」

「そりゃあそのとおりです。危険人物すぎる。それに優れてるって言っても、そりゃ何を基準に? ってなっちまいますからね。例えばアレクサンドル様は賢い方でいらっしゃるが、タイル作りだけなら自分の両親や兄貴のほうが絶対に上手い。でも自分は兄貴より背が高くてちょっと足が速い。それで、パン作りなら実家の三軒隣のパン屋が最高だし、お向かいさんの娘さんは絵が上手い。それで、そういう才能っていうのは、いつまでに見せれば認められて、いつまで長く評価してもらえるもんなのか」

 守るべき市井の人間たち。若く優れた者も確かに中にはいるだろうが、その人間が育つまでの間は取りこぼされ続けるのか。いずれ経験を積んでも老い、全盛期は過ぎゆく。そうして使い物にならなくなったら、これも見捨てられてしまうのか。そのような不安を抱かせる理想は、やはり、破綻しているのだろう。

「やっぱり普通に暮らしてて、頑張ったら頑張ったなりに美味い飯を食っていけるくらいのことができれば、自分みたいなのは満足ですから、想像してみてもよくわからんですね」

「もっと興味が湧くなら政治の手解きをしてやらんこともないが」

「自分にゃ向いてませんよ」

 スフェーンがそのような返事をしたのを、アレクサンドルは少しだけ惜しいと思ったが、だからと言って強要するつもりは起きなかった。スフェーンは、これでいい。これがいい。

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