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虚構転成冥界紀行  作者: 味醂味林檎


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21/22

虚構崩壊

 おまえは優秀などではない。

 おまえが成したことは一つもない。

 おまえを知恵袋として信用した主たちに、勝ち筋どころか生き延びる道さえ示せなかった。

 理想を語る主人に対し、それを支えるための政策を打ち立てることもなく、過ちを諫め正すこともせず、ただひたすらに他人を蹴落とすことを努力のように思い込み、誰かから敬われ慕われることもなかった。

 その日の食事に悩むこともなく、病に苦しむこともなく、大義などと嘯いて罪のない大勢の他人を害しながら、誰一人救うことなく自分の不幸だけを嘆いているおまえ。

 怪物を操る力を得てもろくな運用ができずに、無意味に他者の命を消費して、今となってはまともな人間であることさえ捨て去ったおまえ。

 自らの罪に向き合うこともなく、主人を失ってなお抵抗を続け、今となっては打ち倒されるべきものに成り果てたおまえ。

 おまえの価値など、昔も今も、大したものではない。人の言葉を持たぬぶん、路傍の石のほうがいくらかましだ。

 哀れなる怪物よ、潔く滅びるがいい。この国におまえの居場所は存在しない。おまえを惜しむ者は存在しない。

 だが唯一、おまえの望みを叶えてやろう。

 真に優れたるものこそが評価され、生き残る世界というのを、おまえたちは望んだ。

 誰かを守るために勇気を持って立ち向かう者どもが、正しく価値のあるものだ。おまえという害悪に打ち勝つのだから、真に優れたるものに違いあるまいよ。おまえとは比べようもなく、素晴らしく、星のように輝いている。それを評定し、適切に称えて、十分にねぎらおう。

 これこそおまえの望みだ。話が違うなどとは言わせない。ただおまえに、評価されるだけの価値がないだけだ。




◆◆◆




 ラブラドルたちが斬り落としたホークスの数多の腕は、それぞれが切断された後も動き回るので、元から地形を操りながら数多の腕を伸ばして攻撃してきていたホークスに対して戦えば戦うほどに状況が苦しくなっていた。

 ホークス自身の攻撃をいなしても、斬って捨てたと思ったものが足元から次の攻撃を仕掛けてくる。さらに魔法による地形の急激な変化は、ある程度アレクサンドルの支援で打ち消されているが、きちんと周囲をよく見て動かなければ危険には違いない。その中で大イカの足で抑えられたところから、少しずつ怪物の肉を削り取っているが、なかなか致命には至らない。

 果たして騎士たちがどこまでこの攻防を続けられるか――避け切れぬ攻撃で負った傷から血が流れる。ぶつけられた腕の骨にヒビが入る。石に挟まれた足の指が折れる。肉体の負担、心の奥底の不安、焦りがいよいよ耐えきれなくなってきた頃、ホークスが、急にぴたりと動きを止めた。そのまま体を震わせて、叫びだす。

「ぐ、う、ウウああアアアア!」

 それは、悲鳴である。追い詰められたものの嘆き。腹の底から湧き出る本能の恐怖。

 体は糸で縫い付けられたかのように、完全に停止している。大地を震わせた足も、巨体から生える数多の腕も。

「何だ……!?」

「迷うな、これは好機ッ!」

 いくら大声で吠え立てようとも体が一切動いていない。アレクサンドルの魔法だろう、彼は魔法勝負にて足止めをすると仲間たちに語り、そのとおりに実行した。この状態がどれだけ続くかわからない。一秒でも無駄にはできない。これまでの騎士たちの攻撃ではホークスを止めきれなかった以上、これこそが絶好の機会、これだけが勝ちへの道筋だ。

「わ、ワタ、ワタシは、無価値などデハ、ァぁぁ……!」

「悪党滅すべしッ! ここに、怪物を断つッ!」

 踏み込む。ラブラドルに続き、他の騎士たちも剣を振り上げる。少しでも多くの肉を削ぎ落す。

「魔イカよッ、引き裂けェッ!!」

 血の溢れ出す怪物の体を、イカの足が引っ張る。メリメリと音を立て、裂けた体の中心部に、輝く石が現れる。複数の貝が骨と肉と溶け合って融合したかのような、異形の核。心臓のように鼓動する、化け物の本体。そこに剣を突き立てる――怪物を斬るための剣を。

 石に亀裂が入る。さらに剣を深く突き刺す。壊れる。砕ける。肉体を結びつける魔法がほどかれる。数多の目、数多の腕は本来あるべき死者の姿に。切り離された腕も今や跳ね回ることはなく、沈黙する肉塊に。

 そうして、最後に残ったのは、一人の人間だ。膨らんだ化け物の体がしぼみきって、最早脅威はなくなった。

 ホークス。生来の名をクロシドライト。金の瞳と鷲鼻を持つ長身の男。かつてラブラドルが会ったときにはそれが随分と特徴的で威圧感のあるもののように思えたものだが、怪物に化けるためにわけのわからないものを継ぎ接ぎしていたその体は、今となってはただ敗者らしく傷だらけで、弱々しかった。

 そう――弱々しい。まだ、微かに、息があった。

「脱獄、殺人、公文書偽造、収賄、脱税、人身売買、反逆の疑い、公務執行妨害の現行犯ッ。細かく数えると色々あるが……」

 ラブラドルが、男を見下ろす。かつての第六王子のために他の王族を殺め貶め、国家に混乱を招いた男。その時点で処刑が決まっていたのに、第三王子の手引きで罰を逃れ、更なる災厄を呼び込む一因となった男。その大悪党が、か細い呼吸の中で、何やら唇を動かしている。ラブラドルが耳を近づけると、掠れた声が確かに聞こえた。

「わた、しには、まだ、価値が……」

 焦点の合わぬ目でどこを見つめているのか、状況を理解しているのかいないのか、その口はうわ言を繰り返す。価値があると。正しいのだと。間違っているのは世界のほうで、自分は死ぬべきものではないと。それは悔いではなく、反省ではなく、信念ですらない自己弁護であり、命乞いだ。

 随分つまらないことをいうものだ、とラブラドルは思った。

「何のために王族たるこのボクが実動部隊の長をやっているか、それすら想像がつかないのか?」

 その問いに答えはない。僅かに指先が動いただけで、男に正気が残っているかどうかも怪しい。仮にも頭脳労働のためにかつての主たちに見出されたであろう者が、討つべき怪物として恐れられたほどの者が、あまりにも無様なことだった。あるいは、怪物と成り果てたからこそ、まともな思考もとうに失っていたのだろうか。これは既に、人の言葉に似た鳴き声を放つだけの獣で、対話の通じるものではない。何にせよ、少しでも動けるのならば、それを見逃すことはできない。

「おお、不敬ッ! それだけを理由に、裁判を待たずして反逆者に罰を与えられる。それがボクだ。ベルトラン兄上やアレクサンドル兄上の手が届かぬ場所であろうとも、その代行を許されている。誰ぞこの者の首を刎ねよッ! 誰も体を動かせぬなら、このボク自ら首を刎ねようッ!」

 そうして、男はその場で処刑された。弱り果てた姿であれど、万が一にも魔法の力を使って再び怪物になるようなことがあれば、疲弊した騎士たちにはもう対応しきれなくなる。悠長に生かしておけるだけの余裕はない。

「ラブラドルさま」

「うむ。これにて邪悪は絶たれたりッ! 皆よく働いたが帰還するまでが仕事なのでもうちょこっと頑張りたまえよッ! まず怪我の確認だッ!」

 誰もかれも怪我をしている。疲弊している。だが、死んでいない。それはラブラドルたちにとって持ち帰るべき成果だ。これからアレクサンドルたちと合流して、どうにか山から脱出しなければならない。奇妙な生物が棲みついて、複雑な迷路となったこの鉱山洞窟を、怪我人を引き連れて。だがそれでも、全員で生き延びたい。もう少し踏ん張れば、どうにかなることだ。

 ラブラドルは一つ溜息をついた。

「不敬罪なんて初めて適用した」

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