百腕巨人
ホークスの数多くの目と腕が、騎士たちを狙っている。逃げ場はないが、必ず自分に向かって攻撃されるとわかっているとも言える。上手くさばければ、隙を見つけられるかもしれない。
ラブラドルのイカは、どういう理屈かわからないが、心が通じている。唯一その背に残っているラブラドルに、怒りを伝えてきている。仲間を殺された怒り、縄張りを荒らされた怒り、食物連鎖における獲物を横取りされた怒り。人間たちとはまた別に、この奇妙なイカもまた戦う理由を持っていた。
「頼むぞ、魔イカ……!」
巨大な体をした悍ましき怪物を相手に、対抗できるのはやはり同様に巨大化している怪物だ。騎士たちを全員乗せて運べるほどの巨体。それでもホークスよりも一回りか二回りほど小さいけれど、十分である。足の長さなら十分以上に足りている。
ホークスの腕が騎士たちに襲い掛かるのを、イカの足で押さえつける。全ての腕を止められるわけではないにしろ、それでも動きの制限はできている。ラブラドルは怪物たちの手足の間から見える無数の目に向かって剣を振り下ろす――しかしそれは、空いた手に掴まれて、止められた。
「ぐっ……」
「誅伐などトハ、傲慢ナことヲ。あるイは、知らヌふりをしテいルダケなノカ。ラブラドル、王子の一人。おまエとテ、他の無能な兄弟ガいなケレバ、もっト高ミに登れるのデハないカ」
「なッ――」
それは悪魔の囁きである。怪物の目玉がラブラドルを見つめている。濁った声色は、複数の人間が声を揃えているかのようだ。いや、実際、そうに違いなかった。怪物を作り上げるのに使われた沢山の何者かの声帯も、この体の中にあるのだろう。
「能力あル者が正しク評価さレナい世界を修正スル。我が亡キ主タチの望ミ。ソレヲ、実現しよウというだけのコト」
美しい理想を語るように、多くの人間が望むことのように、ホークスは言う。
「この国は理不尽に満チていル。オマえにモ覚えガあるダロウ。長男ではナイがユエ、決して王には至れズ、名誉も財も与えラレない。哀れナり、ラブラドル。永久に芽ノ出ヌ種のまま朽ちルだケのものヨ」
――聞く耳を、持ってはいけない。
「価値を認めラレテいない。評価を受ケる資格ヲ得られナイ。だかラ兄の使い走りナドさせらレる」
「……不敬ッ! 不敬なり、ホークス! 貴様のそれは詭弁に過ぎぬッ!」
確かにラブラドルも、生まれが違えば苦労は少なかったかもしれない。母の実家にもっと権威があれば。領地が広ければ。金があれば。兄たちより自分のほうが先に生まれていれば。言い出せばきりがない。単なる名誉職としてだけではなく、実動部隊の兵士として王国に仕えている現状は、世間が想像する王族の優雅さとはかけ離れている。
しかし。
能力がある者が評価されるように。どれほど聞こえの良い言葉で繕っても、その実情は、自分たちの都合の良いように他の誰かの命を、可能性を、勝手に消費しているだけだ。正しいかどうかもわからぬ物差しで、一度でも能力不足と判断されれば食い物にされる世界。自分より弱いと判断したものを食いつぶすだけの世界。そこにあるのは他の誰かに認められる成果ではなく、他の誰にも意見を言わせない圧制であって、次に繋がる実りがない。
そんなものは、ラブラドルが望むものではない。王子でありながら騎士でもある彼が願うのは民の平穏であって、無暗に誰かを虐げることではない。ラブラドルについてきた部下たちも同様だ。自分のことだけでなく、他の誰かを守るために、弱きものを救うために戦ってきたことを誇っている。苦労があっても、それに見合う輝きがあった。ホークスのやり方では、決して得られないものだ。
「このラブラドルを、我々をッ、甘く、見るなッ!」
剣をさらに押し付けると、分厚い皮膚にも傷がつく――だが肉を斬るより先にホークスの体が揺れて致命傷からは逃げられてしまう。
「残念ダ」
体を捻ってイカの足を振り払い、ホークスは足踏みで大地を震わせる。周囲の岩が形を変え、地面から剣を出す、あるいは穴を開けて道を壊す。体勢を崩した騎士たちを狙う怪物の腕を止めるため、再びイカの足が取りつく。
「魔イカのスミッ!」
発光するイカスミが吐き出されると、それは怪物の目にかかって、視界を遮った。十分な巨体に化けたイカにとって、スミは逃げるための身代わりだけでなく、攻撃手段にもなる。いくつかの目が役に立たなくなったことで狙いがぶれ、騎士たちは怪物の腕から逃れられた。
「助かりました、ラブラドルさま」
「感謝はまるっと終わってからにせよッ! とにかく肉を断てッ! 核を見つけ出すまで、やつの肉を斬って捨てろッ!」
武器が通用しないということはない。道中でアレクサンドルにまじないをかけてもらった剣だ。かの魔法使いは気休めだと言ったが、刃が届きさえすれば斬れるのだから、十分だ。他に必要なものといったら、怪物を滅ぼすための膂力。そういうものは、ラブラドルたち自身が持っている。
気をつけなければならないのは相手の攻撃だ。存在規模が大きい怪物であるためにただ暴れるだけで危険だが、元が人間なので知恵が回る。腕を避けようとしている間に背後から尖った岩を刺されてはどうにもならなくなる。イカは体が大きいぶん、多少のことでは動じないが、ラブラドルたちはそうはいかない。そしてイカも無敵というわけではない。
「無駄ナコトを」
複数の腕を捕らえても、それ以上の腕が向こうにある。拳が掠めるだけでも衝撃がある。尖った爪は鎧がなければ人の肉など簡単に引き裂いてしまう。大きな掌に掴まれて潰されたり投げつけられたりすれば一巻の終わりだ。そして周囲の環境は目まぐるしく変化していく。壁や地面に穴が開き、砕け、そしてまた新たな形を作り上げて逃げ道を塞いでくる。ホークスの攻撃はやまず、防戦を強いられる――だというのに、仲間を守ることに集中してもなお手が足りない。そうこうするうちに天井が広く変化し始める。鍾乳石の槍が数多に現われ、頭上から騎士たちに降り注ぐ。回避が間に合わない――!
「は……」
いよいよ避けられぬ危機かと思ったそのとき、壁から生えた別の岩が阻んだ。ホークスの意図しないもの――アレクサンドルの魔法による妨害だ。
「コレハ……!? 魔法使イの仕業か……!」
「兄上が支援してくださっているッ……皆、怯むな退くな恐れを捨てよッ! 救国の魔法使いが味方にいて、不可能などあるものかッ!」
知恵があるならば、そこには必ず、恐れがある。怪物の姿をしていても、ホークスもまた、ラブラドルたち同様に人の心が残っている。アレクサンドルの妨害を受けて動揺するほどに。よく観察してみれば、全てを破壊しつくすようでいて、自身が歩き回れる場所だけは残している。後先考えず暴れるほど愚かではないが、今この瞬間のために全てを賭けられるほどの勇気もない。それは十分、隙と呼べるものだった。
「オオーッ!」
ラブラドルの鼓舞を受けて、騎士たちも一歩踏み込んで剣を振る。士気は保っている。元々戦うための訓練を積んだ者たちなのだから、怪物の巨体への恐怖が全て拭えたわけではないにしても、絶望的な壁と思わなければ戦える。背中を押すものがあればなおのこと。防御のために割いていた意識を攻撃に集中すれば、いかなる化け物といえども全てを防ぐことはできない。少しずつでも、ホークスに傷が増えていく。
「こノよウナ、足掻きなド!」
無論、多少の傷でそう簡単に怪物が停止するわけではない。それでも魔法による地形の操作がままならいことで、ホークスの攻勢が弱まった。対処すべきものが減って、勝機も見えてくる――そうラブラドルが感じたのも束の間、仲間の悲鳴が聞こえた。
「どうしたッ!」
「こいつッ、切り離した腕だけで動いていますっ!」
「何ッ!?」
騎士たちの攻撃はきちんと通っている。無数の腕も、斬り落とせたものがある。確かにホークスは血を流している。痛みに呻き、吠えている。
その一方で、千切れた腕のほうは、その腕だけで虫のように這いまわり、近くにいた騎士たちの足を掴む。それを彼らが振り払い、叩き潰している間にも、いくつかの肉塊が切断面から血を零しながらも地面を跳ねて移動していく。
「まさか、核は、一つではない――?」
怪物を怪物たらしめるものが、その肉体のあらゆる部位に宿っている――。




