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虚構転成冥界紀行  作者: 味醂味林檎


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17/22

その視界の中には自分より上のものしか映らない

 ――あり触れた男の話をしよう。

 男はさる貴族の傍流、その次男として生まれ、学者の道を進んだ。貴族に名を連ねるとはいえ、家の財は全て兄のものとなるさだめにあったので、男は学びの傍ら、写本を生業として暮らした。本というのは高価である。良質な紙というのがまず貴重で、文字の読み書きができる人間も限られているため、情報媒体としての本の流通量は需要と供給が釣り合わない。その中で希少な本を読み解いて書き写すことは、学者向けにはそれなりに需要があった。生きていくなら、それだけで十分なほどに。不満があるとすれば、写本の仕事ばかりで、それは要するに、他の権威ある学者の下働きに近かった。

 最初に志していた自然哲学の研究など、とても手をつけられるような状況ではない。環境が悪かった。金さえあれば、写本などに手を取られず、望む研究に熱中できるというのに。

 ある時男は幸運にも、学者仲間の紹介によって、第六王子リーベックの家庭教師として王宮に招かれた。基礎教養の指南を求められるだけのことで、しかも王子は勉学に熱心であったので、写本よりよほど簡単な仕事だった。

 しばらく王子のもとへ通ううちに、個人的な会話もするようになった。リーベック王子は将来を見据えて色々と考えがあるようだった。おまえはどうかと聞かれて、男は、自分が理想とした生活はできていないということを零してしまった。王子に聞かせるにはつまらない話だ。しかし王子は気分を害した様子はなく、むしろ男にとってこれ以上ないほどの提案をしてきた。

「おまえには才があると見ている。折角のそれを腐らせるのは惜しい。おまえ、教師の任が終わった後も我が手足となるがよい」

 こうして男はリーベック王子の臣下に加わった。

「生まれた順など、才の多寡に関わるものか。そのような下らないものを理由に、価値あるものが評価されぬ世など、間違っている」

 その美しい理念に惹かれないはずはなく、リーベック王子のもとには、他にも、似たような連中が集まっていた。跡目争いに参加すら許されないような立場で、しかし、才ある者たち。王子に見出されなければ、ただ腐り落ちていたであろう。皆その自覚があって、ゆえに男もまた歓迎された。

 王宮に出入りするようになり、男は王子の庇護のもと、城の図書室から本を借りられるようになった。写本業で貴重な本に触れる機会は元々あったが、望んだ知識を選んで得られるというのは、ようやっとありつけた贅沢だった。望んだ探究に、手が届く。

 それから幾ばくかの時が流れ、リーベック王子の年頃が青年と呼ばれるものへと差し掛かる頃。王子の居室に臣下たちが呼び出された。その中には男も含まれている。神妙な顔をして、王子は、彼らに告げた。

「信頼できるものにしか話せぬことだが、兄たちを、殺すことにした」

 リーベック王子に頼られるだけの価値を示せた者だけが、この秘密の話を聞けた。

「先に生まれただけで与えられる立場に甘んじているだけの生温い連中など、何の価値がある? 自分が享受する利益を当たり前だと思い込んでいるだけの有象無象を、どうして敬わねばならぬ? そんなことは間違いだ。私はおまえたちを愛している。おまえたちのような優れた者たちを取りこぼす国など、いずれ破綻するのみ。それを変える、この私が! 愛するおまえたちが生きやすい世界にする! 私こそが、次なる王に相応しいッ!」

 皆、その演説を、目を輝かせて聞いていた。誰もが生まれによる環境の過酷さ、若き日の苦しみを覚えている。それを打ち壊すというのは、とても甘美な夢だった。

「リーベック様の、仰せのままに」

 そうして男は、主のために駆けずり回った。

 王子のもとでは研究者として活動できるようになっていたので、自然哲学の探求の一環として野外に出る時間も作ることができた。そこで男は旧い文献にあった毒薬を再現した。外で何か野草を摘んでいても、何か調べものをしているとしか思われないし、部屋に籠って毒の精製を試みていようと、それも怪しまれることはなかった。その成果物を仲間に託し、実行役が仕事をしている間にも、男は最新の論文について話すという口実で、敵対する派閥に属する人間を呼びつけ、標的の周りから人を減らすことに尽力した。

 そのようにしてリーベック王子の兄たちのうち、二人を殺すことに成功した。それから、他の派閥に力をつけさせない工作が始まった。一人の妹の婚約が破談になるよう、婚約者に他の女を近づけさせ、借金を背負わせ、堕落させた。それらの罪を、王子の弟たち三人の咎であると見せかけて、下から這い上がろうとするものを潰した。

 計画は順調に進んだ。全て必要なことだった。リーベック王子が生き残るために。彼が望む世界を作るために。皆が望む未来のために。

 しかし、さらに上の兄たちを殺そうという段階になって、第二王子ベルトランを擁するルチル派閥に全てを暴かれた。下手人が失敗したせいだった。過去の工作も全て、明るみに出た。

「国家の宝たる王族にありながら、同じく宝たるご兄弟を貶めるなど、いかに陛下の御子であろうとも許されざる大罪にございます!」

 ルチル派閥の貴族の訴えを、国王は難しい顔をして聞いていた。民の罪は領主が裁く。王侯貴族の罪は国王が裁く。今回、加害者であるのはリーベック王子で、国王にとっては息子である。そして死んだ者たちもまた、国王の子供たちだ。今回の裁判における判決は、リーベック王子の価値を、どれほどに見積もっているかと同義となる。

 今回の標的であったベルトラン王子は、国王に意見を求められて、悲しげに目を伏せた。

「私に刃を向けようと、私の弟には違いない。されど、私がそれを理由に全てを許しては、傷つき苦しんだ弟や妹たちが、あまりにも報われない」

 常々優しげな顔をして兄弟を愛していると言いながら、それと同じ口から飛び出した言葉は、残酷にも、生存競争に勝ち残ろうとしたリーベック王子を見捨てるものだった。

 またベルトラン王子と派閥の対立があったアレクサンドル王子でさえ、リーベック王子を囲い込もうともせず、冷徹に切り捨てた。

「王族として教育を受けているにも関わらず、国家の安寧を脅かすような行動をする者を、王族として扱い続けるのはいささか不適切でありましょう。適切な判断をなさいませよ、父上」

 他の王子や王女もそうした長兄たちの意見に同調した。自分の立場を守ろうとして、変革を呼ぼうとするリーベック王子を排除しようとする、向上心のない連中。この中には、停滞した者しかいない。

「皆の言い分はわかった。国のためだ。厳正に処さねばならぬ」

「愚かな、愚かなことをっ、父上、私のほうが、ずっと、優秀な王となれるのに――」

「いずれ我が国を任せるのなら、おまえである必要はないのだ」

 果たして。

 兄弟を殺め陰謀を巡らせたことが国家に対する悪質な反逆であったと判断され、リーベック王子は、王族でありながらさしたる減刑を受けられず、死刑となった。聞くところによれば、服毒を強いられたらしい。リーベック王子に付き従った臣下たちもまた、王子同様に処分されることと相成ったが、こちらは別の日に絞首台に送られると決まった。反逆者の一味に容赦などなかった。男の実家も、庇ってはくれなかった。

 どうしてこのようなことになったのだろう。

 リーベック王子は、確かに光を示したはずだった。けれどそれは、容易く失われてしまった。あれと同じ光を、もう二度と得ることはできない。

 牢獄の中で、処刑の日を待つ。共謀せぬようにと、同志たちとは離されて、独房に入れられた。

 窓がないので、果たして投獄されてからどれほどの時間が経ったのか、男にはもうわからなくなっていた。それほど日付も過ぎていないのか、あるいは、思うよりずっと長い時が流れたのか。

 そんなとき、救いの声が、あった。

「可哀想に、本来きみはこのようなところにいるべきではなかったろうに」

 わざわざ罪人を訪ねてきたのは、リーベック王子とは母親の違う兄弟、ハリー王子であった。彼もまた殺す予定のはずだったが、手が届く前に、計画は潰された。

 そうした事情は彼も聞いているはずだが、意外にもその声色に嫌悪はない。むしろ心底残念そうに、男のことを哀れんだ。

「リーベックは良い線いってたとは思うけれどもね。いやあ、惜しかった。僕を手伝ってくれるつもりがあったなら、少しは庇ってあげられたかもしれないんだけどもねえ、そんな気がなかったんだからしょうがない。ちょっとあいつには視野が足りなかったかな」

 目を弧にして、ハリー王子が男を見ていた。リーベック王子と同じ種類の熱が、そこにあった。

「なあ、僕の手を取りなよ、クロシドライト。僕ならば、才あるきみを正しく運用してみせよう。きみのような価値ある存在を埋もれさせるようなこの国を、根本から揺るがしてみせようとも。あらゆる手段を用いて、兄弟のみならず、他の何を犠牲にしようとも!」

 歌うように軽やかでありながら、リーベック王子以上の苛烈さの籠った言葉は、男にとっては新たなる光だった。それが身を焼く焔であろうと構わない。この王子についていけば、今度こそ、理想へ辿り着ける。直感的に、そう信じられる。そうして男は、新たな王子の手を取った。

 ――あり触れた男の話である。

 少なくとも、本人は、そのように認識している。

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