合流
百腕巨人が暴れているのを、アレクサンドルは注意深く観察していた。あの怪物の足踏み一つで地面が砕け、洞窟全体が揺れて壊れる。しかしそれで怪物の進む道が阻まれることはない。洞窟そのものが生き物同様に蠢いて、怪物の進む道を作っていくからだ。そうして開けた場所で、次なる獲物を喰らいつくしていく。
(――魔法だ。ならばあれは、ホークスなのか)
ハリーやホークスの研究からして、彼らが魔法の神髄を完全に理解していたかはわからないが、少なくとも上辺をなぞることはできていたのは間違いない。だからこそ悪精霊を呼び起こしてベルゼア王国に混乱を呼び、今もなお百腕巨人を製造している。
しかし本来、百腕巨人は複数の頭や腕を持つ怪物というだけのものであって、複雑な魔法を扱うような機能は持たない。ならばそれは何に由来するのか。決まっている。魔法の知識に触れたもの。このモリオンにおいては、今やホークスしかいない。あの男は、自らの肉体をも素材にした。
果たしてあれに理性は残っているのか。周囲の生物を取り込みながら、怪物はさらに奥へ奥へと進んでいく。複雑な洞窟の内部で別行動中の騎士たちは、はぐれた弟やスフェーンは、餌食になってはいないだろうか。
――あれを、止めねばならぬ。
隙らしい隙は、今のところ見出せない。今はまだ岩陰に隠れるアレクサンドルに気が付いていないようだが、迂闊に行動しようとすれば数多の目玉のどれかに見つかってしまうかもしれない。しかし臆していたところで、何一つ解決できることはない。
体が大きくとも根本的には一度撃退している怪物と同類である。それならば核があり、それを破壊すれば良い。問題はアレクサンドルが攻撃するのが早いか、それとも、あの怪物の腕が命をすりつぶすのが先か。ここでしくじっては、力をつけた怪物は、いずれこの洞穴を抜け出して、悪精霊のように国を脅かすものとなる。今のうちに、この山から出ないうちに、あれを停止させねばベルゼアに平穏は訪れない。
洞窟が崩されていくことで、強固な自然の魔法には綻びができている。アレクサンドルが割り込む余地があるとすればそれだ。魔眼を起動する。濃厚な力の渦、その中に、捉えられるものがある。僅かに視えた過去、ホークスの使った魔法の痕跡を辿る。奴が怪物の核に使うのと同じ石を握り込み、大地に触れ、その形を改変する姿を見る――それを真似て、大地の理に介入する。自らを大地の一部と見立てることで、同一たる大地を操る魔法。洞窟の岩を動かし、足場のように組み替える。これで怪物に道が開かれるように、アレクサンドルも道を見つけ出すことができるようになった。
「よし……」
模倣できているのはあくまで表面的な部分のみであって、この鉱山、洞窟の全てを掌握しているわけではない。故に狙った場所へ自分の体や他の物質を転移させられるわけではないが、自分の都合の良いように地形に手を加えられるようになったことは、一歩前進と言っていい。道なき道さえ作り上げ、百腕巨人の後を追うことができる。
(しかしこれを維持し続けるのは、魔眼を使う以上に……)
魔法とはすなわち現象の定義を押し付ける力。あらゆる現象は魔力の相互作用によって成り立っており、より強い魔力が他を押しのけて現象となって現れる。何かしらの現象が発生しているのなら相応の魔力があるということなのだ。自然というのはそうした現象の連続であり、プルート鉱山、並びにこの洞窟も自然の産物である以上、多くの現象が積み重なって魔力を帯びている。表層が壊れたからこそアレクサンドルの眼も機能するようになったが、深い部分には届かないほど過去が圧縮されている。それを思うままに動かそうというのは、アレクサンドル自身の力だけでは容易いことではない。魔法で大地と繋がるまでは良くても、足場を一つ増やすごとに、岩に触れる手から足から、全て奪われていくような気分がする。
ホークスはこれを、それこそこの洞窟で採掘した石で補った。元々ここにあったものを使ったからこそ、反発も少なかったのだろう。そして今は、他の生物を喰らって魔力に変換し、更なる獲物を求めて彷徨っている。大地と繋がって洞窟を改変してもなお、他の生物を吸収し成長するほどの暴食である。
されど、魔法の行使のために大地と繋がるという点においては、アレクサンドルも百腕巨人も同じこと。であれば、あの怪物が介入している部分の制御を奪い取れたなら、大地を通じて怪物本体さえ魔法による改変が届くかもしれない。上手くいく保証はないが、勝ち目を拾うなら、それくらいだろう。
進まねば。魔法への対抗には魔法が必要なものだ。こればかりは他に任せられる者がいない。失敗はできない。しくじるということは、これから幸福に過ごすべきベルトラン王や、既に悪精霊相手に十分な働きをした妹アルミナが、またも危機に晒されるということ。そんなことはさせない。許さない。アレクサンドルはそのためにここに来た。それを使命と自らに定めている。
そうしてアレクサンドルが次の一歩を踏み出そうとしたとき、背後で空気の動きがあった。
「――!?」
背後で何かが落ちた。べしゃりと何かが叩きつけられたような音がした。恐らく生物。それが後ろを通るときに、風が起こるほどの巨体。そんなものが、この洞窟の、どこにいた? あの百腕巨人以外にも、同様の怪物を製造できるだけの余力が、ホークスにあったのか?
姿さえわからぬ落ちた何かが、生きているのか死んだのか。緊張に体が強張る。だが、しばらくしてもその何者かが這いあがってくるような様子はなかった。それがもし、百腕巨人同様の怪物だったとして、魔法を駆使すればアレクサンドル一人でも立ち向かえるかもしれないが、そのために疲弊しては本命のホークスに対抗できなくなってしまう。迂闊には近づけない。騎士たちならば数の力で対抗できるか。彼らの剣には、百腕巨人を斬るためのまじないを与えてはいる。だが、落ちたものがそれとは違う怪物であった場合、期待するほどの効果が得られないことも考えられる。あるいは、今追いかけようとしているものと同じくらいに強大な力を得ているものだったとしたら。騎士たちも、あるいははぐれたスフェーンたちも、対処しきれるかどうか。
優秀な配下たちではある。失うのは惜しいものたちでもある。ただ怪物相手に、分断された今の状況で、何もかもうまくいくとは信じ切れない。そしてそれを補うだけの余裕はない。結局、アレクサンドルは先に行くことを優先した。どうにか百腕巨人に近づいて、その隙を狙い、この洞穴をあの怪物の墓場にする。その過程で何が起きようとも。改めて岩の足場を変化させ、次に進むべき道を編み上げると同時、頭上から知った声が降ってくる。
「アレクサンドルさま!」
アレクサンドルは視線を上にやった。聞きなれた声だったが、見えたのは巨大な光るイカらしきものだった。そのイカがゆるりゆるりと近づいてきたかと思うと、徐にイカが触腕を動かし、背に乗せていたものを掴んで近づけてきた。――スフェーンである。
「アレクサンドルさま、よくぞご無事で! その足場どうやってるンですか!?」
さらにイカの背から、こちらを覗き込んでくる顔がある。別行動をしていた調査団の騎士たちに混じって、スフェーン同様はぐれていた弟ラブラドルもいる――しかもこちらは発光している。
「兄上、我らモリオン調査団、只今参りましたッ!」
まずは自分たちの状況を説明しろ、と一瞬思ったが、アレクサンドルはそれを口に出すことはやめた。わざわざ聞くまでもなく、はぐれている間に奇妙なことになったのは明らかだった。そのうえで、命に別状がないのなら、何も失っていないのなら、先に対処すべきは百腕巨人のほうだった。




