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虚構転成冥界紀行  作者: 味醂味林檎


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14/22

野生に身を委ねて

 地面が揺れたより少し時を遡って、ラブラドルとスフェーンが謎の貝殻を見つけたときのことである。

 イカスミの光に照らされて、彼らが発見したのは岩のような巻貝だった。欠けた表面が光を反射して七色に煌めくさまは大層美しい。

 山奥の洞窟に何故そのようなものが沢山あるのかはラブラドルにもスフェーンにもわからないが、街に現れた百腕巨人ヘカトンケイルの核になっていたものは、これに似ていたように思えた。

「アレクサンドル兄上ならば、これが何なのかおわかりになるだろうか……」

 ラブラドルが地面に落ちていた貝殻の一つを拾い上げる。殻の中にも石のようなものが詰まっていて、見た目以上にずしりと重い。イカスミをかけられてからラブラドル自身も薄らと発光しているが、連れてきたイカほどではないため、よく観察しようとイカの光に近づける。すると触腕がにゅるりと伸びてきて、吸盤が石の貝を奪い取った。そしてそのまま、食べた。小さなイカとはいえ、鋭いくちばしは虹色の貝殻をいとも簡単に噛み砕き、飲み込んでしまう。

 この洞窟の生き物はこういうものを食べるのか。そもそもこれほど強い力があったのならやはり危険だったのではないか、などと疑問が湧き上がり、その様子を観察していると、イカの体がふるりと震えた。

「えッ?」

 一瞬、強い光を放ったかと思うと、みるみるうちにイカの体が膨らみ、巨大化し、傍にいたラブラドルやスフェーンの足元にもその肉体が滑り込んでくる。当然まともに立っていられず柔らかな肉に膝をつく。

「なんだこれ!?」

 ――その巨体たるやまさに圧巻。コルディエーのドラゴンにも並ぶか、あるいはそれよりも大きいかもしれない。遠く感じていたはずの天井が、とても近い。

 船乗りが恐れるクラーケンというのはこういうものを言うのだろう。これほど巨大な怪物に襲われたら、船など簡単に沈められてしまいそうだ。

「イカがこんなにでっかくなっちまった……」

 スフェーンが目の前で起こった、それこそ魔法と思しき出来事に慄いている一方、ラブラドルは呆けた顔をして自分が乗っている怪物イカの背を無心で撫でさすっている。

「ラブラドル殿……?」

「……今かつてなくイカと気持ちが通じている気がするッ!」

「なんて?」

 驚くには驚いていたが、同じ驚いているのでも、スフェーンとラブラドルでは感じ取っているものが違った。イカスミをかけられたせいなのか、ラブラドルにも何かしらの影響が出ている。すっかり怪物に魅入られて「大海原へ……レッツゴーッ……!」などと呟いている。

「おっと山のど真ン中だというのに思考がイカに支配されている。やめなさいやめなさい、ラブラドル殿、お気を確かに! 人間であることを忘れちゃダメだ!」

 スフェーンが慌てて声をかけて体を揺さぶると、ラブラドルは相変わらず発光したままだが、まともな意識を取り戻した。

「はっ……ああ、す、すまないッ。ちょっと広い世界に憧れてな……こう、気持ちがフワッとしてだな……」

「……今のもう一回やってみていただけます?」

「広い世界に憧れて気持ちがフワッと……?」

「ラブラドル殿の動きとイカが連動している」

「エッ。そんなことがあるはずがそんなことが起きている!!」

 どうやらラブラドルがわやわやと指を動かすのと同じように、イカも沢山の足をばたつかせている。心が通じているというのも思い込みなどではなく、実際に共鳴している部分があるようだ。それもまた魔法なのかもしれないが、生憎と状況を的確に判断して解説してくれそうな真の魔法使いアレクサンドルはこの場にはいない。

「このイカ……乗りこなせるかもしれない」

「それが本当なら心強いですが、さっきまで人の心失いかけてたのに大丈夫なンで?」

「たとえダメでも正気を失う前に引っぱたいてもらえれば何とかなるであろうッ!」

「な、なんという覚悟……!」

 体の構造が全く違う生物と心を通わせて――いるとラブラドルは認識している――思うままに操るというのは、意識的に行うのは容易いことではない。しかし周囲に転がる石の貝を拾ったり投げたりといった動きを色々試している間に慣れてきて、ある程度イカにやらせたいことをやらせるのが上手くなってきた。

 そのうちごうと低く響く音がした。大地の揺れだった。上からぱらぱらと石の欠片が降ってくる。

「いてっ、今度はなんだ」

「あッ、天井に穴がッ」

「なるほど、こいつは揺れのせいですか……もたもたしていると他のところも崩れてくるかもしれない。岩に圧し潰されちゃあいよいよオシマイですよ」

「ここにいるよりは上を目指したほうがマシかもだ。イカ、何とか上昇してくれッ!」

 この先何をするにしても、まずは生き残らなければ話にならない。イカの体表はやはりどこかぬるりとしているが、全身でしがみつくようにすれば何とか落とされずに済みそうだった。二人はその状態でイカに上を目指すことを頼み込み、そして、それに応えてイカは動き出した。崩れた天井、その穴から抜け出していく。大きくなっても変わらず、イカは宙を飛んでいる。

「うおおおおあああああグエーッすごい速さァァァああ~~~~~ッ勢いが良すぎるウウゥアアアア~~~~~~~ッ!!!!」

 宙を泳ぐことは変わらずとも、巨体となった分、力強さも速さも何もかもが変わっている。右へ左へいまひとつ制御が効かない巨体をよじらせながら、周囲の岩場にぶつかり、壁を天井を破壊して上昇していく。崩れた岩の欠片が体の上に落ちてくるのを、イカは全く気にしなかった。これが果たして本当に乗りこなせていると言えるのかどうか、ラブラドルにもスフェーンにも判別できない。

「ラブラドル殿、前、前、前見て前!!!!」

「前は見てるが振り回されているのだッ! そも前ってどっちのことを言って――なんだあの化け物は!?!?」

 穴の向こう側、天井の更に上まで辿り着いたとき、二人の眼には悍ましき肉塊の化け物が映った。それに襲われる仲間たちの姿も。助けなければと思った時点で進むべき方向は正しく定まった。

 ――そして彼らの救助へと至る。




◆◆◆




 何故ラブラドルが発光し、巨大イカを操っているかについては、どう説明したものか彼自身も少し迷った。配下の騎士たちは特にラブラドルが物理的に光っていることについて驚愕しているようで、あまり複雑なことを言っても理解する余裕はない様子だった。

「……ちょっと光るイカスミを舐めたらこうなったのだッ!」

「そ、そんな得体の知れんものを生で!? 御身に何かあったらどうするんです!?」

「そのときは一緒の泥船で沈む約束だろうがッ! 使えるものは使うッ! 難しいことは後から考えればよいッ!」

 洞窟そのものから脱出したわけではないので安心はできないが、少しは命を永らえた。ひとまずはそれでよしとする。しかしここには、アレクサンドルの姿がない。

「アレクサンドルさまはどちらに?」

 スフェーンが問いかけると、騎士の一人が答える。

「我々とは崖を挟んで下の道におられた。我々が合流できそうな他の道を探す間、洞窟の魔法を調べるといってお一人で奥に」

「下……!?」

 先程肉塊の化け物が落ちていった真下を見る。自分たちがイカで這い上がってきたのとはまた別の穴が開いている。

 どうやって探せばいい。この洞窟は奇妙な生き物に溢れているだけでなく、複雑な構造をしている。調査団の騎士たちが通ってきた道とは別の道を進んでいったというが、それはどこに繋がっている? 事情がわからぬ揺れもあった。これまで通ってきた場所も崩れて埋まってしまったかもしれない。そうでなくとも、肉塊の化け物がいたのだから、危険な他の怪物もいるかもしれない。

 主は無事だろうか。スフェーンが不安を感じたその時、洞窟が動き出した。破壊的な揺れとは違う。崩れた岩場の合間に、切り出されたような立方体がちらほらと飛び出してくる。皆が転移させられたときに見かけた、異質なるもの。いくつかの岩が寄り集まって、道のようなものを作り出す。

 その道に、一人、人間の影がある。

「――アレクサンドルさま!」

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