第1話
無法者たちの楽園─ヒルキャニオン。今、その街の暗部でとある薬が大流行していた。
その名もゴッドブレス。服用すれば天にも昇るような快楽と超人的な力を得られるという出処の知れない麻薬の類だ。
ゴッドブレスの関わった犯罪は日に日に増加し、警察や軍は能力者の鎮圧のため日夜を問わずヒルキャニオンを駆け回っていた。
だがそんな喧騒とは関わりのない人物が二人、いつものようにラジオから流れてくる賭けレースの結果を聞いては肩を落としていた。
「あ~くそ。また負けたぜ。ウキー」
そう言って男は持っていたレースの賭け券を盛大に床にばら撒いた。
この事務所で私立探偵をしているサル・スクラッチだ。
探偵といっても、一月に舞い込んでくる来る依頼の数はスズメの涙ほどだ。
しかもその全てがおばあさんの家事の手伝いやおじいさんの芝刈りを代わりにやるなどの少々やりがいにかけるものばかりだった。
また出来る事なら、彼ももっとも盛大な難事件の解決を望んでいた。
よって日々の退屈な小事ではサルの興味がそそられることもなく、サル・スクラッチが今一番楽しみにしている事といえば、この賭けレースだけであったのだ。
「ああ、オイラもです。今月でもう四回目です。」
「お前もか~。あのアルパカ三号とか言うのはダメだな!いっつも負けてる」
サル・スクラッチと一緒にいるのは、近くの交番に勤務しているアマガエル巡査だった。
彼はいっつも見回りの時間になると、この探偵事務所にやってきて暇をつぶしているのだ。
交番にはアマガエル巡査以外に誰もいないため、怒られる心配もない。
ちなみに見回りの時間じゃなくても 仕事中、彼はここで暇をつぶしている。
二人は四角いテーブルを挟んで向かい合わせに置かれた黒いソファの上でラジオを聞いていた。
「負けすぎてイライラしてきたのです。ほらクソザル。何か甘いものでも出すのです」
「うるさーい!そんな物ねえっつの。イラついてんのはオレもなんだよ!」
「そんなにですか?一体クソザルはいくら賭けたのですか?」
「あー…… ざっと50万キャニオンって所かな」
「50万C! いい加減に、その金使いが荒いクセは直した方がいいですよ」
「うっさい!万年冬眠やろうはさっさと仕事場に戻りやがれ」
「ちー。分かったのです。では、オイラは職務に戻るのです」
「おうよ」
「また来るのです。次は甘いものを用意しておくのです」
「早く行け!」
─ふう、全く。依頼人は来ないくせに、あんな税金泥棒は毎日来やがる─
だがその時、アマガエルと入れ替わりで事務所の中に誰かが入って来た。
扉に据え付けてある小さなベルが二回なったから分かった事だ。
─ああ、そうだ。そういえば借金取りも来るんだったな─
サル・スクラッチはベルの音を聞くと、咄嗟にソファの影に身を隠した。
─さっさと帰れよ……─
いつもなら真っすぐ帳簿の元までやってくるのだが、借金取りは事務所の中を無駄にうろついている。
賭けレースの続きをしたかったサルは、突然の来訪者が一刻もはやく立ち去ってくれるようにと念を送った。
「誰かいませんかー」
「いませんよー! 帰ってくださーい!」
全く逆効果なのだが、サル・スクラッチは実際にサル頭なので気づかない。
「あっ! サル・スクラッチさん? ちょっとお話があって……」
「いやー……次までには、あのアレなんで。あ、そうだ。今お腹痛い!お腹痛いから、また今度!」
「依頼です! あなたに依頼したい事があって!」
「お腹が……………… 依頼だって!?」
「うわっ!!!」
その少女はソファの裏からいきなり飛び出してきたサルに驚き声をあげた。
しかし少女に構わず、サルは準備していた前口上を述べる。
「ようこそ!スクラッチ探偵事務所へ!日常の些細な困りごとから世間を騒がす大事件まで、このサル・スクラッチが全てばっちり解決してみせます!さあ、お嬢さん?あなたの依頼をお聞かせ願いますか?」
「は、はあ……」
そうしてサルは少女をソファに座らせた。そして冷蔵庫を開き少女の為にミルクとチョコレートを取りだす。
せっかくの依頼人だ。ここで逃がす手はない。
(え?さっきカエルに甘い物は無いって言ってただろって? あんなの当然嘘だよーん)
「さ、こちらをどうぞ。お嬢さん」
「あ、ありがとうございます」
少女はサルの出したチョコレートを一つ口に放り込んだ。
すると少女の頬が少し緩んだ気がした。
「しかし、この街で人間って珍しいですね~」
「あっ はい……」
ヒルキャニオンの住人のほとんどは、アニマロイド─いわゆる獣人と呼ばれる種族が、多くの割合を占めていた。
外の街から来た人間も暮らしてはいたが、それは一部の富裕層だったり訳ありだったりするのだ。
しかし、目の前の少女はいたって普通の女の子だった。
「お嬢さん、名前は」
「はい。岡野赤美と言います」
─岡野……聞いたことが無い。何処かの財閥の娘という訳ではないだろうが─
有名人でもなく金持ちではない。訳ありの方という事だ。
人間の客という事で少し期待していたサルは、それでがっかりした。
「はいはい。それでどんな依頼をー? どぶ攫い?それとも肩たたきでも致しましょうか」
「あの……その前に約束して頂きたい事が……依頼の事は誰にも何も言わないで欲しいのです」
「ああ、それなら大丈夫だ。 ほら、あれをご覧に頂きたい」
そう言うとサルは事務所の壁に飾ってある三匹の猿が書かれた絵を指さした。
それぞれの猿の絵は手で目、耳、口の各部位を抑えていた。
「見ざる聞かざる言わざる。客の秘密は絶対守るってのがうちのモットーなんでっ」
「それは、頼もしいです……」
「へえ、分かっていただけたようで。それで依頼の内容とは」
「はい。無くした宝石をあなたに見つけて欲しいのです」
―宝石!? 前言撤回! コイツは上客だぁ!―
「そ、そ、そうなんですか。ウキィ!ウキっ ほ…宝石に何か特徴なんかありますか?」
「はい、その宝石はゴッドブレスと呼ばれています」
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