80話 アンバーの覚醒
「ここ、どこかしら?」
真っ白な場所だった。上も下も右も左も真っ白で、自分が立っているのか倒れているのかもわからないほどだ。
先ほどまでの場所から一変したのに心は驚くほど穏やかだった。『巫女よ』
とても優しい声がした。
だが姿は見えない。
「あなたが青龍様ですか?」
自然とその名前が出ていた。
姿の見えない声の主が優しく微笑んだ気配がする。
『よくここまで来てくださいました、龍の巫女よ』
「やっぱり私は龍の巫女なんですね」
母の話を聞いた時、そんな予感はしていた。
この身体に宿る無尽蔵の力は、聖なる力が強いというだけではない。龍に加護されていたからこそ、大地の助けを借りることができていたからだったのだと。
『先代の巫女があなたを身ごもった時に、あなたに次を託すと決めたのです。私はずっとあなたを見ていましたよ』
先代。それは母クリスタのことなのだろう。
なぜだか急に泣きたくなる。
『先代の巫女はずっとあなたを案じていました。どうか見守ってほしいとずっと願っていた。私もあなたが育つのをずっと楽しみにしていました』
そこで言葉が途切れ、声の主がつらそうに息を吐く。
『ですが、あの魔女があらわれた』
「レーガ、ですね」
『今はそう名乗っているようですね。あの魔女は外からやってきました。そして私の存在に気が付き、強引に私から力の核を奪っていった』
悔しさの滲む言葉にプラティナはじっと耳を傾ける。
『あなたが魔女によりとらわれ力を奪われ続けていたのは感じていましたが、助けることができなかった。私もまたあの魔女に力を奪われて身動きがとれなかった。長い間苦しめてしまい申し訳ないと思っています』
「あなたが謝ることではないわ」
そう、悪いのはすべてレーガだ。
父が守ってきた国を、母が守ろうとした龍を全部奪っていっていった。
これまで彼女に対し怒りや憎しみを抱いたことはなかった。
義理とはいえ母子として過ごした日々もあったし、家族だと思っていたのに。
だがそれらすべてがいつわりだとわかった今は違う。許すことはできない。
「私はどうしたらいいですか? レーガから力を奪われることはもうありませんが、どうしたらあなたの核を取り戻せるかわからなくて……」
『大丈夫。それはもうあなたの手にありますよ』
優しい声にプラティナは目を見張る。
思わず自分の両手を見るが当然ながら何も握られてはいない。
でも確かにこの手にそれを持っているような気もする。
「じゃあ、もう復活できるのですか」
『いいえ。私はもう役目を終えた身です。この大地で眠り土地を癒やしきった今の私は、このまま大地とひとつになります。その証拠に、この身体はすでに溶けて消えていますから』
だから語りかけることしかできないのだと優しく言われ、プラティナは戸惑う。
「それってどういうことですか? あなたは復活するんじゃないですか?」
草の民たちはそのためにずっと祈り聖地を守ってきたのに。
もし龍が復活しないと知ったらどんなに悲しむか。
プラティナだって最初は巡礼が目的だったが、レーガから龍を解放できるのだと信じていたのに。
『かなしまないで巫女よ。私という肉体の寿命なのです。でもそれは人も同じ』
「……同じ?」
『先代があなたに力を託したように、私も次代に力を託しました。あなたがここに来てくれたことで、ようやく最後の力をあの子に渡すことができます』
あの子と呼ぶ龍の声には愛情が満ちていた。
(まさか)
目を見開いたプラティナに、龍が優しく微笑みかけてくれた気がした。
そこにいないのにその姿形、瞳の色まではっきりと目に浮かぶ。
美しい青色の鱗と琥珀色の瞳がプラティナを見守ってくれている。
その瞬間、これまでの出来事が頭の中を駆け巡った。
偶然だと思っていた何もかもが運命だったのかもしれないと思えるほどの衝撃に、身体がわななく。
「もしかしてアンバーが……?」
『それがあの子の名前なのですね』
「じゃあ、本当に」
依り代に祈る度に、大きく賢くなっていったアンバー。
最初はただ聖なる力に呼応しての変化なのだろうと思っていたが、あれがただの成長ではないのだとしたら。本来の姿に近づいた証なのだとしたら。
人の言葉を介し、人の姿になれるトカゲやドラゴンなど聞いたことがないと誰もが言った。
だがその正体が『龍』なのだとしたらすべての辻褄が合う。
『魔女はまだ卵だったあの子を奪っていきました。そしてあの子を介して私から力を奪っていった……』
この大地を癒やすために眠りについた青龍は、自らの寿命を悟った。
かわりに次代の守り神となるべき、己の子を産み落とし大切に育んでいたのだという。
だが、その卵をレーガは卑怯にも奪っていき、それを媒介にプラティナからだけでなく龍からも力を奪い取っていたのだという。
『いつしかあの子と私の繋がりは断たれてしまった。あなたを介して力を奪う方が効率的だと思ったのかもしれません。そして、あの子が龍として目覚め自分の脅威にならないように封印した……ですがあの子は急に解放された。まるで檻の蓋が突然開いたように』
アンバーは自分がどこかに閉じ込められていたと言っていた。
それがレーガの元だったとしたら。
(もしかして、アンバーもアイゼンのように?)
プラティナが神殿から連れ出されたことで、一気に弱まったというレーガの魔法。
とらわれの身だったアンバーが同じタイミングで抜け出したのだとしたら。
アイゼンと共にアンバーと出会った日を思い出す。
悪質な冒険者によって傷つけられ、血を流していた小さなアンバー。傷を癒やしたプラティナを慕い、アイゼンと一緒に旅をすることになったあの日。
自分たちは出会うべくして出会った、大切な家族だったかもしれない。
『あなたと、あなたを大切に想う彼が、あの子に愛を注いでくれた。人という生きものを愛し守る心を教えてくれた。本当に優しく強い子になってくれたのがわかる』
「私は、何も」
アンバーは最初からずっといい子だった。
プラティナがしたことは、ただ傍に寄り添っていただけだ。
『どうかこれからもあの子をたのみます。まだ幼く、学ぶことの多い子です』
感傷に浸っていると、優しい声がどんどん小さくなっていく。
もう二度と話せない、そんな気がしてプラティナは必死に手を伸ばすが何もつかめない。
「まってください! まだ聞きたいことがあります! 私一人じゃ……!」
教えてほしいことがたくさんあるのに、龍の気配はどんどん弱まっていく。
代わりに外でプラティナを待つアンバーの力が一気に膨れ上がっていくのがここにいても伝わってきた。
世代が変わる。それが今、目の前で起ころうとしている。
『大丈夫。あなたにはもう共に生きてくれる存在がいるではありませんか。どうかあの子をこれからも……』
かき消えていく声をつなぎ止めたくて待ってと叫ぶも、間に合わなかった。
真っ白だった空間に強い光が溢れ、空中に投げ出されたような感覚に襲われる。
自分以外何者もいない寄る辺ない場所に一人になってしまうような恐怖に身体がわななく。
だが不安で叫びそうになったプラティナの身体を誰かが抱きしめてくれた。
頼もしいその人のぬくもりを感じた瞬間、世界ががらりと変わるのがわかった。
「プラティナ!」
「……アイゼン」
これまでも何度もみた心配そうな顔がプラティナを見下ろしていた。周りは元に戻っている。
依り代は変わらずそこにあり、美しく輝いていたが、プラティナにはその中には何もないことがわかった。
「アンバーは?」
アイゼンの瞳が戸惑うように揺れた。
だが、そこに負の感情はない。どう伝えるべきか迷っているだけなのが伝わってくる。
「大丈夫。知ってます。あの子、成長したんですね」
「何故それを」
「青龍が全部教えてくれました。あの子、青龍の子だったんです」
「な……!」
驚いたアイゼンが入り口の方に顔を向けた。
よくよく周りを見てみれば、聖堂の中に草の民がいない。
「外に?」
「ああ。君が祈りだしたら急に暴れて外に飛び出していった。ゴルドたちがついてくれている」
プラティナが意識を失っていたのはほんの数秒らしい。
あんなにも話してたのに不思議なものだ。
「立てるか?」
「はい」
アイゼンの手を借り立ち上がる。
大地に足をつけば、この土地に満ちた聖なる力を感じることができた。
プラティナとレーガを繋いでいた鎖は完全にちぎれた。もう誰もプラティナから力は奪えない。
(でも、まだ消えてない)
恐るべき力だと思う。
核であった何かはすでに形を失っているが、わずかながらものこったレーガの魔力がプラティナの中に根を張っていた。
これを取り除かない限り本当の自由はない。
「プラティナ、大丈夫か」
心配そうに声をかけてくるアイゼンに笑顔を向ける。
「大丈夫です。はやくアンバーのところに行かないと、きっと怖がってるわ」
「そう、だな」
何か聞きたそうなアイゼンを強引に促し、プラティナたちは外へと出た。
眩しい太陽の日差しに目を細めて立ち止まったプラティナたちの視界を、何か大きな影が横切った。
強い風が顔を撫でる。
「プラティナ~~~!!」
明るい声に顔を上げれば、空から大きな何かが舞い降りてきた。
日の光に照らされた美しい鈍色の鱗。心を見通すような美しい琥珀色の瞳。牙を覗かせた大きな口はプラティナを一口で食べてしまえそうなのに、愛らしい笑みを浮かべているようにしか見えない。
「アンバー!」
両手を広げれば、地面に降り立ったアンバーがプラティナの顔に鼻先をすり寄せてくる。
艶やかな身体は冷たそうなのに温かく、プラティナが大好きなお日様のにおいがした。
「僕がわかるの、プラティナ」
「わかるわ。当たり前じゃない」
姿だけ見れば、最初に巡り会った時とは別の生きものだ。
でもプラティナには、出会った時から何も変わらないアンバーの魂の輝きがそのまま見えていた。
「私のかわいいアンバー! 大きくなったね」
愛しさを伝えるように顔を撫でれば、アンバーは盛大に喉をならした。
「プラティナが僕をここまで連れてきてくれたおかげだよ! ありがとう!」
琥珀色の瞳がわずかに揺れた。視線が地面へと落ちる。
顔色や表情などわからないはずなのに、誰かとの別れを悲しんでいるのが伝わってきた。
「……もしかして、話せたの?」
おそるおそる問いかければ、アンバーはゆっくりと首を縦に振った。
「うん。少しだけ。僕のことずっと探してたって、会えてよかったって」
震える声にプラティナの涙腺が緩む。
もっと早く連れてくることができたなら、ずっと離ればなれだった青龍とアンバーにたくさん時間があったかもしれないのに。
そんな後悔が心を満たしかけるが、まるでそれを払うようにアンバーが大きく羽を羽ばたかせた。
石の床に積もっていた砂が一瞬で吹き飛び、空に舞い上がる。
「これからは僕がこの国を守りなさいって! 僕、頑張るよ!!」
はつらつとした声にアンバーの心にはすでに何の迷いも曇りもないことがわかった。
プラティナが心配しているよりもずっとアンバーの心は育っていたようだ。
もう一度アンバーの顔を抱きしめていると、ずっと後ろにいてくれたアイゼンがそっと肩に手を置いた。
振り返れば、優しい瞳がプラティナたちを見つめている。
(ああ)
巡礼の旅に出ると決まった時、アイゼンはこの世のすべてを恨んだような顔をしていた。
だが呪いを解き一緒に旅をはじめてからは、ずっとこの瞳でプラティナを見守ってくれていた。
死出の旅だと思っていたこの巡礼が無事に終わった。
それは、すべてアイゼンのおかげだ。
「ありがとう」
ほろりと涙が溢れていた。嬉しくてありがたくて、胸がいっぱいになる。
「アイゼン、ありがとう。あなたがいてくれたからここまで来れたわ」
黒い瞳が思いきり丸くなって、それから困ったように細まる。
薄い唇の端をきゅっと吊り上げてから小首を傾げるのは、アイゼンが照れている時の癖だ。
「どういたしまして聖女様」
優しい声に心臓がきゅっとなる。
この声と瞳に、プラティナはずっと支えられ守られてきたのだと実感する。
「で、そろそろ全部説明してくれるか? あっちの連中が死にそうだ」
アイゼンが指さしたのは、砂漠に膝を突いたゴルドたちだ。
両手を組みわせ、アンバーに祈りを捧げ続けている。
「大変! もしかしてずっとああしてたんですか?」
「ああ。君が祈りはじめてこいつが光って外に出てからずっとだ」
「!」
砂漠の強い日差しから己を守ることもせず祈り続ける草の民たちの存在に短い悲鳴を上げたプラティナは、いそいでアンバーと共に彼らの傍へと走ったのだった。





