幕間 王都からはじまる反逆の狼煙
聖女プラティナが姿を消した。
そんなまことしやかな噂が王都中に広まっていた。
「聖女様といえば、どんな傷や病も癒やす薬を俺たちに恵んでくださっていた御方だろう?」
「あの方が祈っていてくださったからこそ、この王都はずっと平和だったんだ」
「それで最近薬が買えないのか」
「郊外の畑は酷い有様らしい」
「最近じゃ貴族街で病が流行ってるらしいぞ」
王都に住む国民たちは、敬愛するプラティナがいなくなったという事実と、この頃の王都で起きている異変をたやすく結びつけていた。
事実、プラティナがいた頃では考えられないほど王都の治安は悪化していた。
王都だけではない。国中あちこちがそんな有様で、物資はろくに手に入らないのに、病が広がり皆苦しい生活を強いられていた。
神殿には毎日のように人々が押しかけ、聖女様はどこだと神官たちを問い詰めていた。
そんな神殿の奥。
薬品倉庫の整理をしている二人の男たちがいた。
「いつまで続くんだこの状況は。原料はどんどん減っているのに、仕入れることもままならない」
「王都の外から物資が届かないですからね。あちこちで災害が起こって道がふさがっているのだとか」
「くそがっ!」
「お、落ち着いてくださいよ! 誰かに聞かれたらどうするんですか!」
「落ち着いていられるか!」
下級神官のトムがなだめるが、中級神官であるエドは額に青筋を立てて怒鳴り声を上げる。
「聖女代理様は城に行ったきり帰ってこない。神殿長も帰国して一度顔を出したきりだ。俺たちだけでどうしろって言うんだ」
「それはそうですけど」
途方に暮れたように俯くトムに、エドが舌打ちをする。
プラティナがいなくなったあと、聖女代理として神殿に通ってきていたメディは母親である女王レーガの帰国に合わせ城に戻ったっきり連絡ひとつ寄越さない。
そのメディの婚約者であり、神殿長の息子であるツィンもだ。
この神殿を取り仕切る立場にあるはずの神殿長も、ろくな指示を出さないまま城にずっと控えている。
「今は上級神官殿たちが必死で薬や護符を作ってくれます。それを配るしか」
「わかってる。それはわかってるが……」
これまでは上級中級下級の神官の間には深い溝があった。
立場と生まれの違いから、上の者は下を見下しまともに会話すらしないことも多かった。
だが聖女不在という危機に直面したことで、いがみ合っている場合ではないと神殿の神官は皆一丸となって日々の仕事をこなしていたのだった。
だが、上級神官や中級神官が心血を注いで作った薬や護符は、聖女が作ったものには足元にも及ばない。
効果がないわけではないが、これまでの奇跡のような効能を知っている信徒たちは納得せず、もっと効果が高いものを寄越せとわめくばかり。
信徒を追い出したくても、何故か王城から派遣されている兵士たちは相手をしろと神官たちに命じる。
少しでもサボろうとすれば槍を持って追い立てられるのだ。
「でも、俺たちの仕事って何なんでしょうね……」
「どうしたんだ急に」
それまでエドをなだめていたトムが、ぽつりと言葉をこぼす。
「だって変ですよ。聖女様の薬がすごかったのは認めますけど、みんなが作る薬だってちゃんと効果があるんです。なのに誰も納得しない。神殿に来る人たちは重い病の人もいますが、そうでもない人も多いんです。薬がないと不安だから欲しいと言っている。おかしいですよ」
これまで我慢していたのが一気に溢れたようにまくしたてるトムを見ていたエドは、ふう、と短く息を吐いた。
「人間というのは強欲だからな。一度、いいおもいをするとそれを手放せなくなる。聖女様の薬にたよりきっていた連中はそれがなくなるのがとにかく怖いのさ」
必死に聖女の居場所を聞いてくる信徒たちの表情は鬼気迫るものが合った。
平和な暮らしが脅かされている恐怖もあるのだろう。
「ここが正念場かもしれんな」
「何が、です?」
先ほどまで怒鳴っていたとは思えないほど達観した表情になったエドがほとんどからになった薬品棚を見つめる。
「お前だってわかっているだろう? 聖女様は王都にはいない。もしかしたら、もうここには帰ってこないかもしれない。あれだけ身体を酷使されていたんだ。無事かどうかわからないだろう」
「そ、そんなこと……!」
青ざめるトムにエドはゆっくり首を振って見せた。
「本来、聖女という存在は奇跡なんだ。いて当たり前じゃない。俺たちはこれまで聖女様に依存しすぎていた」
「……!」
「聖女様がいなくても大丈夫なようにすることが、俺たちにできる精一杯なんだと思う。聖女様に報いるにはそれしかない」
そう言葉を紡ぐエドの目は涙に濡れていた。
聖女だからという理由で隔離されていたプラティナに関われなかったことをエドは深く後悔していた。
たとえ罰を受けようとも手を差し伸べるべきだったのだ。
こんな風に簡単に失ってしまうだなんて想像もしなかった。
「う、う、エドさん」
「泣くな馬鹿!」
トムもエドの言葉から最悪の事態を察したのだろう。
「お、俺頑張ります。みんなにも、頑張ろうっていいますぅぅ」
「離せ! 鼻水を俺につけるな!!」
叫ぶエドにトムがしがみつく。
神官服にべとりとついた鼻水にエドが悲鳴を上げていると、下級神官の少年が倉庫に駆け込んできた。
「エド様。お客様が」
「客? まさかまたどっかの貴族か? 祈祷は受け付けられないというのに」
エドは思いきり顔をしかめる。
聖女から直接祈祷や治癒を受けたがる貴族はとても多い。
プラティナが健在の時は、毎日のように貴族たちが神殿に出入りしていた。
だが彼女がいなくなってからはずっと祈祷は断り続けている。
これまでは上級神官が彼らの窓口になっていたが、この忙しさのせいでエドも対応する羽目になっていたのだ。
「ちがいます。それが……ギルドの人なんです」
「はぁ?」
トムとエドは思いきり顔を見合わせたのだった。
神殿の応接間。
何故かにんまりと笑い腕を組んだままのベックに、トムとエドは薄ら寒いものを感じていた。
王都のギルド長であるベックとは長い付き合いだ。
聖女の薬はギルドにも大量に卸していた。
(この前は薬がないことをどなっていたのに、どういうつもりだ)
警戒しながらエドが口を開く。
「今日はどのようなご用件で?」
「実は相談があるんだ」
「相談、ですか」
何か面倒な話ではないだろうな警戒していると、ベックが懐から何やら紙を取り出した。
それはこの国の地図で特段目新しいものではない。
ベックは指先でラナルトを指さした。海に面した港町だ。
「聖女様は今、ここにいる」
「!!」
エドとトムは息を呑んだ。
目を見開き固まった二人に、ベックがにやりと口の端を吊り上げる。
「俺の部下が聖女様を見つけた。聖女様は今、聖地を巡礼している最中だ」
「巡礼!? そんな馬鹿な……! あんな弱った身体で巡礼なんて無茶ですよ!」
「そうだ!! それに今は巡礼は禁止されているんだぞ。聖女様は無事なのか!」
かつては神官たるもの一度は聖地を巡礼すべしという掟があったが、今では廃れた戒律だ。
何故なら聖地までの道のりは険しく大の大人でも命を落とすほど危険な旅路だからだ。
そんな危険を冒してまで旅をする必要はないと、エドたちは命じられた。
(……ん?)
一瞬沸き起こった違和感にエドは首を傾げた。
何かがおかしい。そう思うのにその正体がわからない。
トムも同じらしく左右に首を捻り続けている。
「安心しろ。聖女様は無事だ。むしろここにいた時より健康になって楽しく旅をしているそうだ」
「な……」
「谷の聖地、島の聖地はすでに無事に巡られ、今は砂漠の聖地に向かっている最中。つまり巡礼はもうすぐ終わる」
「なっ……!」
「俺の部下が調べたところ、聖地までの行路は確かに単純ではないが命を賭けるほど危険ではないそうだ」
「そ、んな。いや、でも、そんなはずは」
頭が酷く痛む。
大切な何かを忘れているような気がするのに思い出せない。
「エド。お前は先代国王の御代から神殿にいるんだったよな。何か思い出さないか」
「何を、急に」
「どうして神官たちは急に巡礼をしなくなったんだ。いったい誰に命じられて巡礼をしなくなったんだ」
ベックが確信を持った口調で問いかけてきた。
その瞬間、世界がぐわんと揺れた。
『いいか。聖地は危険だ。巡礼に行ってはならない』
「う、ううう」
かつて誰かに言われた言葉が頭の中でこだまする。
エドは頭を押さえてその場にうずくまった。
「どうやらノースが言っていたのは本当だったみたいだな」
「何、を」
「お前たちは暗示をかけられている。正確には魔法だな。それも強力な」
「エドさん、頭が痛い……なんですか、これ」
「お前も……何なんだいったい」
苦しむエドとトムを見てベックは長く溜息を吐いた。
「恐ろしいもんだな。おい、よく聞け。聖地巡礼を禁じたのは女王レーガだ。あいつはこの国を乗っ取った悪い魔女だ。あいつは神殿が聖地を巡礼することを禁じた。そしてそれに違和感を持たないように暗示の魔法をかけたんだ」
「は? 何を……」
荒唐無稽にもほどがある話だ。
そんな馬鹿なことがあるはずもない。
だが、ありえないと叫びたいのに口が動かない。
「安心しろ。暗示をかけられているのはお前たちだけじゃない。城や神殿の人間は皆同じ暗示にかけられているらしい。日常生活には関係ない。ほんの少しの常識を書き換えるだけだから、その異変になかなか気付ない……怖い話だ」
「だから、何のことを……」
「巡礼は危険。聖地に祈っても何の意味もない。そんなはずないだろう。聖女様は現に巡礼を実現させ、力を増幅させているそうだ」
「どうして」
「聖地に行けば神聖なる力が強化される。暗示が解けかねない。他にも女王には聖地に行かれたら困る理由もある。だからこそ、レーガは神殿と聖地の繋がりを断ったんだ」
「うっ……」
「女王はな聖女様に祈らせその力を使って、この国を掌握していたんだ。自分に都合の悪い事実を書き換え、聖女様を逃がさないように閉じ込め続けていた。力を奪うだけじゃなく、国の象徴として国に民の意識を向けるためでもあると俺は考えている……つまり、お前たちはずっと騙され利用されてたんだよ!」
「あ、あああ!」
ベックの言葉にエドはとうとう大声で叫んだ。
先ほどから自分を苦しめていた頭痛が消え、世界が急に明るくなる。
「な、なんで。なんで……」
「その様子だと暗示が解けたみたいだな。そっちはまだみたいだけど」
「ああ?」
トムはまだ頭を押さえて唸っている。
「エドさん、なんですかこれぇ」
べそべそと泣いている表情から察するに、そこまで深刻な状態ではないようだとエドはすぐに視線をベックに戻した。
「こいつはほうっておけばいい」
「えっ、酷い!」
「お前は俺とは違い神殿に入って日が浅い。もともとの常識に対する認知が薄いから暗示とやらも弱いんだろう」
「話が早いな」
エドの口調にベックがにやりと口の端を吊り上げた。
「おかげで全部思い出したからな。ああそうだ、俺たちは女王陛下が即位したその日、この神殿の大聖堂で女王陛下から直接、聖地に行くことを禁じられた。そして何の疑問も持たずに受け入れた」
その日のことをベックははっきりと思い出していた。
幼いプラティナをつれて神殿を訪れたレーガは神殿中の人間を集め、プラティナを聖女だと紹介し、誰にも会わせず聖女として清貧に育てるように命じ、そして聖地巡礼を禁止することを宣言した。
あれから今日までずっとエドたちはそれを当たり前として受け入れていた。
心のどこかでは理不尽だと思っていたが逆らえないと信じ切っていた。
「魔法だなんて言われても信じられないが、それ以外に説明ができないのもわかる。なんでこんな簡単な嘘を信じてたんだ?」
「それが魔法なんだろうよ。でもよかったぜ、思いのほか簡単に解けて」
先ほどまでは余裕そうな笑みを浮かべていたベックだが、大きく息を吐いて安堵の表情を浮かべた。
どうやらエドたちの意識を取り戻させるために、わざと煽るような態度を取っていたらしい。
「でもなんでその話を俺たちに?」
「お前らが聖女様を慕ってるからだ。他の連中は知らないが、お前たちは聖女様への敬愛精神がずっとあった。それに俺に対して言い返してくる気の強さ……女王の力が弱まっている今ならなんとかできると思ったのさ」
にやりと笑うベックにエドは長く溜息を吐いた。
ギルド長の立場は伊達ではないらしい。
「エドさぁん」
「気持ちの悪い声を出すな馬鹿! さっさと正気に戻れ」
うなり続けているトムの頭をエドは思いきり殴りつけた。
ぎゃんと悲鳴を上げて目を回したトムはしばらくするとばちりと目を開けて「聖女様を追いかけないと! 聖地に行きましょう!」と叫びながら立ち上がる。
「何してるんですかエドさん! 僕たちも聖女様を見習って聖地に行きましょう! 巡礼です!」
「落ち着け馬鹿者!」
「ぎゃん!」
正気に戻ったらしいトムをエドは再び小突いた。
痛い痛いと情けない声で訴えるトムを無視し、エドは再びベックに向き直る。
「……もう一度聞くが、なんで俺たちの暗示を解いた」
「疑うねぇ。だが、それがいい」
ベックは身を乗り出し、エドと顔をつきあわせる。
場の空気がずんと重くなる。
「俺たちギルドは女王には忠誠を誓わない。正当な王位後継者である聖女様をないがしろにした王家なんてくそ喰らえだ」
「……!!」
「他のギルド長やギルドマスターにも相談済みだ。俺たちは王家や貴族からの依頼は受けない。何を意味するかわかるか?」
「クーデターでも起こそうってのか」
「まだしないさ。だが、この宣言を聞けば王家は慌てるだろうしギルドに意識が向くだろう」
びりびりと痺れるような威圧を感じエドはごくりと喉を鳴らした。
トムなど口を閉じたまま顔を真っ青にしている。
「神殿にいる兵士の数も減るはずだ。そうすればお前たちはもっと気軽に動ける。違うか?」
城から派遣された兵士たちは常に神殿の中を歩き回っている。妙な動きをすればすぐに目をつけられるだろう。
この場所は貴族からの相談などを受ける貴賓室なので防音魔法が使われているとはいえ、今の話を聞いてしまえば安心はできない。
ベックの言うように、もし外で何かが起きれば兵士の数は減るに違いない。
「……今はただでさえ人手不足で神殿の中は大わらわだ。信徒たちの相手をする神官の見張りに必死で、俺らのような下っ端の動きまでには目が届かないだろうな」
何故こんなに兵士たちが見張っているのか今ならわかる。聖女不在の噂に怯える信徒たちと神官たちの距離が近くならないためだ。うっかり聖女が神殿でどんな扱いを受けていたのかを漏らされれば、女王への不満が噴出するのは必至。
またその騒動で神官たちが自分たちの行いに疑問を抱く可能性だってある。
聖女との交流を厳しく禁じられていたのも、暗示が解けるのを危惧していたからなのだろう。
「ちくしょう」
自分たちがずっと女王の手のひらの上だったという事実に悔しさがこみ上げてきて、エドは唇を噛みしめる。
トムも同じ気持ちなのだろう。「聖女様」と呟きながら情けなく涙をこぼしている。
「気持ちはわかる。俺だって同罪だ。レーガがつくりあげた聖女様という虚像をただ信じていた」
「虚像……」
「俺の部下からの報告では、女王は聖女様の力を奪い、お前たちにしていたような認識を書き換えるような魔法をこの国全体にもうっすらかけていたようだ」
苦々しく呟くベックにエドは共感しながらも首を振った。
「俺たちは聖女様を直接見ていたのに何もできなかった。この罪は重い……それで、俺たちは何をしたらいい」
身を乗り出したエドにベックは満足気に頷く。
「話が早くて助かるぜ。さっきもちらっと言ったが暗示がかかりにくい人間もこの世界には多い。魔力に耐性がある人間がその最たる例だ」
「魔力に、耐性……」
「そう。お前たち神官みたいにな」
「……!」
「俺はこの神殿には女王の正体を知った上であえて協力している人間がいると踏んでいる。おそらく筆頭は神殿長だ。あいつは女王に指名されて神殿長になった。他にも女王の恩恵にあずかっている奴が絶対にいる」
考えてもいなかったことだ。
神殿の中に、女王の仕打ちを知りながら聖女様を苦しめていた人間がいる。その事実に腸が煮えくり返りそうになる。
「お前たちにはそいつらを探し出してほしい。神殿長は城につめてて俺たちは手は出せないがここなら簡単だ」
「どうする気だ?」
「ちょっと話を聞くだけだ。まあ、お前たちは協力してくれるだけでいい。どうだ?」
質問しながらもその顔はエドたちが協力するのを確信しきっている。
悔しいが、もう覚悟は決まっているとエドは顔を上げた。
「わかったよ」
「よし。じゃあ作戦開始といこう。女王に目に物見せてやる」
「ああ」
力強く頷くエドの横で、トムが深く長く息を吐いた音が聞こえる。
怖じ気づいたのかと顔を向ければ、何故か半笑いで泣いていた。
「よかった」
「は?」
「聖女様がご無事でよかった。元気に過ごされているのがわかって、本当によかった」
ベックとエドは同時に息をとめる。
心からプラティナの無事を喜ぶトムの姿を見つめながら、静かに、だが力強く頷いたのだった。





