73話 アイゼンの過去
「俺はこの大陸の生まれではない。海の向こうにある今はない小さな国の出身だ」
隣に座るプラティナが小さく息を呑んだ音が聞こえた。
出会ってずいぶん経つのに自分の身の上話をしていなかったというのは不思議な気分だった。
育ちのよい彼女は、相手が話したくないことを無理矢理に聞き出すという考えがまったくないらしい。
(話すつもりはなかったんだがな)
アイゼンの過去はあまり褒められたものではない。
海の向こうにある大陸はこのシャンデとは違い、大小の国家が常にいがみ合いあちこちで戦が起きているような治安の悪い場所だ。
アイゼンの祖国はすでにない。隣国に攻め落とされ、国として機能しなくなった。だがその隣国もそのまた隣国に攻め落とされ、今はもうないと聞いている。
家族の記憶はおぼろげだ。父親と母親、それに兄弟もいたような気がするが、攻め入ってきた兵士から逃げるのに必死ではぐれたっきり再会できなかった。
同じような身の上の子どもは多かった。
彼らと身を寄せ合い、生きるためにあらゆることをやった。人のものを盗んだこともあったし、命を守るために刃を振るったこともある。
生き延びて成長できたのは半分にも満たなかった。
ギルドに登録できる年齢になり、仕事を受けられるようになってからはようやくまともに生きることができるようになった。
仲間で金を貯めて、治安のいい田舎町に小さな家を買い、家族のように暮らしていた頃が一番幸せだった。
パーティとなり仕事を請け負うようになってからはずいぶんと生活も安定した。
アイゼンは一番体格がよく剣術が得意だったこともあり、ソロでの依頼も増えていった。
それでも稼ぎは仲間みんなで平等に分けた。
アイゼンが生きて来られたのは仲間たちがいたからだし、仲間たちも同じようにしていたからそれが当然だと思っていた。
もっと上を目指せると余所のパーティから声をかけられたこともあったが、ずっと断っていた。
ずっと仲間たちと一緒に生きていく。そう信じていた。だが。
「俺がソロの依頼で家を離れている間に、たちの悪い病が流行ったんだ」
町を離れていたアイゼンが仕事を終えて帰ってきた時には、仲間たちの半分は息絶えていた。
生き残っていた数名も、かろうじて命を繋いでいる。そんな状況だった。
助けを求めようにも町中がそんな有様で、よそ者であり寄せ集めの若い冒険者であるアイゼンたちに手を貸してくれる大人はいなかった。
金を積んでもそもそも薬がなく、薬草を摘んできて飲ませるのが精一杯。
寝返りすら自力でできなくなった仲間たちを一人で必死に看病した。だが。
「一人になるのはあっという間だった」
家にいた仲間全員が息を引き取りアイゼンはひとりきりになった。
抜け殻のようになりながら彼らを埋葬し墓を建てた。
大切なものは全部なくなってしまった。
「町の連中は俺を腫れ物のようにあつかった。病にかかることもなく、仲間たちを世話し続けた俺が不気味だったんだろう。病を持ち込んだのは俺たちだとまで言われ、家は燃やされてしまった」
「そんな……!」
瞳いっぱいに涙をためたプラティナが悔しそうに唇を噛んでいる。
「酷い、酷いです。アイゼンたちが何をしたって言うんですか」
「……町の連中も怒りのやり場がなかったんだろう。事実、住人の半分近くが死んでいたからな。別に恨んじゃいない」
彼らもそうしなければ気が済まなかったのだろう。
幸いなことに仲間たちの墓に手を出されることはなかった。
今振り返ってみれば町の人々はアイゼンを追い出したかったのかもしれない。
そんなことをしなくても、あの場所に残るつもりなどなかった。
誰もいない場所でどうやって生きていけばいいのかわからなかった。
「それからは仲間を作ることが怖くなった。また失ったらと思うと、大事なものを持てなくなったんだ。ゼットと知り合ったのはその頃だ。ガキのくせに生意気な目をしてやがるって俺に絡んできたんだ」
きっとゼットはアイゼンの抱えているものを理解した上で声をかけてくれたのだろう。
ソロで生きていくのに必要なことをたくさん教えてくれた。メンバーにならないかと何度も声をかけてくれたし、断ったとしても嫌な顔ひとつせず、大きな仕事の時には必ず声をかけてくれた。
「何の面白みもない話だろう? もう大昔のことさ」
自分の無力さを何度呪ったかわからない。
仲間たちの命が手のひらからこぼれ落ちていく恐怖と苦しみ。
プラティナに出会い、彼女が目の前で倒れた瞬間、目の前が真っ暗になりかけたのは過去の記憶が蘇ったからだ。
死なせない。死なせたくない。今度こそ守りたい。
蓋を開けてみれば、ずいぶんと自分勝手な思いでプラティナを守ってきたのだと気付かされる。
(あいつらにできなかったことを彼女にしてやりたかったんだろうな)
今のアイゼンには知識も経験も腕もある。
死にゆこうとする彼女を最後まで守ることができたなら、仲間たちに顔向けができるのではないかという打算が最初は確かにあった。
だが。
(今は違う。俺はプラティナの傍にいたいんだ)
王女である彼女の気高く崇高な願いを叶える手伝いをしてやりたい。
これから先、プラティナが何の憂いもなく生きていけるように、呪いを解き憂いを切り捨ててやりたい。
そして願いを叶えた彼女の手を笑顔で離すことができたなら、二度と会えなくても思い出だけで生きていける気がする。
「私が」
絞り出すようなプラティナの声に顔を向ければ、彼女は涙をこぼすまいと必死に上を向いていた。
その美しい横顔に息が止まる。
「私がその時、傍にいたら、助けてあげられたのに」
「プラティナ……」
「アイゼンの仲間も、町の皆さんも、アイゼンも全員助けてあげられたのに」
綺麗な水色の瞳から宝石のような涙がこぼれ落ちた。
心臓が痛いほどに締め付けられる。
「……どうして君が泣くんだ」
「だって、悔しくて」
こらえきれなかったようにはらはらと泣く姿にどうしようもなく胸がいっぱいになった。
その涙は憐れみでも怒りでもないのがわかる。
本気で、助けたかったと思ってくれているのだろう。
真っ直ぐで優しくて世界で一番綺麗なプラティナ。
(君が好きだ)
ようやく認めることができたこの想いは、一生告げるつもりはない。
歳も身分もあまりにもかけ離れている。
伝えたところで困らせるだけなのは火を見るよりあきらかだ。
でも、この気持ちはアイゼンにとって生涯の宝になるだろう。
「君が泣いてくれただけで十分だ。きっとあいつらもあの世で喜んでるさ」
いやいやと首を振るプラティナの肩を抱き、慰めるように抱き寄せる。
はじめて抱きかかえた時は折れそうなほどに細かったのに、今は年相応と言えるほどに柔らかさを増した身体は温かくて、このままどこかにさらっていきたくなるほどに愛おしい。
でもそれをしたらプラティナはきっと泣く。
死ぬかもしれないという身体であっても国のためだと巡礼を止めず、すべてがわかった今でさえ王族としての役目を果たそうとしている気高い彼女は、役目を果たせなくなることに酷く悲しむに違いない。
でもプラティナはきっとそうなったとしてもアイゼンを責めはしない。
悲しげに微笑んでアイゼンをたやすく許してしまうだろう。
アイゼンが道を踏み外さずに済んでいるのは、そんなプラティナを想像できるからだ。
「ありがとう、プラティナ」
「どうしてアイゼンがお礼を言うんですか! お礼を言うのは私です!」
涙声で訴えられてもかわいいばかりだ。
「辛い話をさせてごめんなさい。でも、話してくれてありがとう……」
「いいんだ。いつかは話そうと思っていたことだから」
「アイゼン。私、頑張ります」
袖で涙を拭ったプラティナが顔を上げた。
吸い込まれるほどに綺麗な瞳にアイゼンの顔だけが映っている。
「このシャンデをレーガから取り戻して平和な国にしてみせます。そして、みんなが笑って暮らせる国にします」
「そうだな。君がそう望むなら俺は全力で支えよう」
持てる力のすべてをプラティナために使いたい。
あの日、生き残ったのはプラティナに出会うためだったような気さえしてくるから現金なものだ。
「それができたら……」
「できたら? 何だ」
「……その時に、聞いてください」
何やら決意を秘めた表情浮かべるプラティナに、アイゼンは素直に頷いておく。
規格外の聖女様が何を考えているかまでは理解できないが、やりたいことや行きたい場所があるのならば叶えるまでだ。
「そろそろ中に戻ろう。その前に、泣き止んでくれよ。殺されかねない」
「なんでですか?」
「なんででもだ」
うっすらと赤くなったプラティナの目元を指先で撫でながら、アイゼンは生まれ変わったような気持ちでいた。
重たい男、アイゼン





