44話 アンバー
「アイゼン、今誰が喋ったんですか」
「……聞き間違いでなければ、コイツだろうが」
プラティナとアイゼンは並んで目の前の黒い龍を見上げる。
その巨体や風貌は一見すれば恐ろしいのに、よくよくみれば琥珀色の瞳には隠しきれない愛嬌が滲んでいた。
身体を揺すりながら羽を広げ、しっぽをゆらす独特の動き。それは小さなアンバーがプラティナに甘えるためにしていた仕草そのもので。
「本当に、アンバーなの」
『そうだよ!』
「!」
再び聞こえた声にプラティナは息を呑みながら、伸ばした手で龍の鱗に触れた。つるりと滑らかな鱗は少し硬くてひんやりしている。だが触れた瞬間にわかった。これはアンバーだ。
「なにがどうして……」
「きゅ、急に」
「え?」
足元で聞こえた声に視線を落とせば、まだ地面に座り込んだままのエリンコがぶるぶると身体を震わせながらアンバーを指さしている。
「お嬢さんが祈りを捧げ始めたら、この子が急に光ってでかくなったんですよ!!」
「祈りに……」
やっぱり、とどこか納得した気持ちになりながらプラティナは大きくなったアンバーを見上げる。
最初に成長したときも、あれは偶然ではなく聖地での祈祷に反応したのだろう。でも何故。アンバーはただの魔物の筈なのに。聖地の力が魔物に影響するなどありえるのだろうか。
尽きぬ疑問で頭の中がいっぱいになる。
『僕が大きくなったの、困ってる?』
「え?」
『困った顔してる』
「あらら……」
不安そうなアンバーの声が聞こえて顔を上げれば、大きな龍の瞳がうるうると揺れていた。大きくなったのは身体だけのようで、中身はあの甘えんぼうのアンバーのままなのだ。そう思ったらプラティナの心に愛しさと保護欲がこみ上げてくる。
大きくなってしまったアンバーの顔を、プラティナは両手でぎゅうっと抱きしめた。
「ちがうの。あんまり大きくなったからびっくりして」
『嫌じゃない?』
「うん嫌じゃないわ」
たとえ見た目が変わってもアンバーはアンバーだ。
出会ったときからずっと傍にいてくれて、プラティナを助けてくれた可愛く愛しい存在。
だがそこではたと気がつく。
しがみついていた腕を解いて、プラティナはアンバーの瞳をのぞき込んだ。
「でも困ったわ。こんなに大きかったら、この先一緒に旅ができるかしら?」
最初のサイズなら問題なく連れ歩けた。さっきまでの大きさは、泊まる宿さえあればなんとかなった。だがこの巨体ともなれば、人前に姿を見せるのは難しいだろう。さっきのエリンコの態度が全てを物語っている。
「アイゼン。どうしましょう」
「気にするところはそこじゃないだろう!」
手で顔を覆っていたアイゼンが、盛大なため息をついた。
プラティナとアンバーを見る表情には呆れと疲れが滲んでいる。
「まずはそのチビが喋れることに疑問を持て。おいチビ、なんでお前は喋れるんだ」
『チビっていうな! 僕はアンバーだ! プラティナが付けてくれた大事な名前なんだぞ!!』
「クソガキはチビで十分だろうが」
『うう~~~!』
ぐるぐると威嚇するように喉を慣らすアンバーにエリンコがひいぃ!と悲鳴を上げるが、アイゼンは平然と腰に手を当ててフンと鼻を鳴らした。
「見た目はデカくなっても中身は変わらずか。質問に答えろチビ」
『アンバーだ! 名前で呼ばなきゃ教えてやらない』
「なんだと」
にらみ合う二人の間に剣呑な空気が流れる。
とうとうエリンコが奇妙な声を上げながら気絶してしまった。
「もう! アンバーもアイゼンもいいかげんにしなさい!」
我慢できずにプラティナが声を上げる。
にらみ合う間に入ると、仁王立ちしてそれぞれの顔をじっと見つめた。
「アイゼン。質問するにしても言い方があるでしょう。アンバーも、どうしてそんなことを言うの?」
「う……」
「ギュウ……」
同時に項垂れたアイゼンとアンバーを交互に見て、これ以上争う様子がないことを確かめてから深く息を吐く。
兄弟喧嘩とは無縁の人生だったが、もし兄と弟がいたらこんな風だったのかなと考えてしまう。
「……アンバー。私も知りたいわ。どうしてあなた喋れるの?」
とにかく先に解決するべきはこちらだとアンバーに身体を向け、しょんぼりと下がっている鼻先に触れた。
優しく撫でてやれば、琥珀色の瞳が伺うように見つめてくる。
『僕、ずっと喋ってたんだよ。プラティナ~って』
「ずっと? 会ったときから?」
『そう。プラティナが怪我をした僕を助けてくれた日からずっと』
「……聞こえなかったわ」
『僕の力が弱かったからだと思う。でもプラティナが歌ってくれるたびに僕の力が強くなった。ようやく言葉を伝えられるようになったんだよ!』
「歌?」
『さっき歌ってくれた、きれいな歌』
うっとりと目を細めるアンバーの仕草に、プラティナは歌とは聖句のことだと理解した。アンバーの耳にはあれが歌に聞こえたのだろう。祈りではなく、聖句がアンバーに何かしらの影響を与えたと考えるのが自然のように思えた。
不意に『聖句』とは何なのだろうとプラティナは疑問を抱く。
渡された紙に書かれていた祝詞は少し古い言葉が多かったが、神殿でも目にしたことがあるものだったように思う。
聖地の巡礼用だと何も考えずに唱えていたが、もしかしたらただの祈りの文言ではないのかもしれない。
(でも、それだけでこんな影響が出るものなの?)
尽きぬ疑問に戸惑っていれば、アンバーが甘えるように短く鳴いた。
『やっと、ちゃんとありがとうって言える。プラティナ、僕を助けてくれてありがとう』
「アンバー……」
『僕、ずっと一人だったんだ。人間は僕を見ると捕まえようとしたり攻撃するからずっと逃げてた。でもプラティナは優しくしてくれた。僕、プラティナ大好き』
大きな鼻先で頬ずりされ、くすぐったい。
好き、好き、大好き、とまるで小さな子どもが母親に甘えるように繰り返され、だんだん恥ずかしくなってきた。
それほどまでに慕ってくれていたなんて。
「私もアンバーが大好きよ」
大きな顔を包み込むように抱きしめれば、アンバーはくるくると嬉しそうに喉を鳴らす。
可愛くて愛しいアンバー。守ってあげたいと思っていたのに、今は守るどころじゃないけれど。
「でも、本当に大きくなったわねぇ」
『うん! 僕かっこいい? 強そう? アイゼンより頼りになる?』
「えっと……」
なんと答えるべきか一瞬迷う。ちらりとアイゼンに視線を向ければ、腕組みをして明らかに不機嫌な顔をしているのが見えた。
「すっごく強そうよ」
『わーい!』
「でも、こんなに大きかったらもう一緒に旅は出来ないかも……」
『えええ!』
先ほども感じた不安を口にすれば、アンバーが悲鳴を上げた。いやいやとその場で足踏みされると、地面が揺れて転びそうになる。
「アンバー! おちついて!」
『やだ! 僕ずっとプラティナといるんだい!』
まさに癇癪を起こした子どもだ。どうなだめればいいのかとプラティナは頭をかかえる。
プラティナとてアンバーと離れたくはない。だがこの大きさではどうすることもできないのが事実で。
「アンバーが、小さく変身でもできればいいんだけれど」
不可能とはわかっていても、つい口から希望が出てしまっていた。
その瞬間、暴れていたアンバーがぴたりと動きを止める。
『……僕、やる』
「え?」
『変身する!』
「ええっ!?」
居住まいを直したアンバーは、羽根を小さく折りたたみ頭を下げて身体を丸めた。
そんなことで変身が出来るのかとプラティナが見守っていると、アンバーの身体が淡く光り出して、巨体が見る間に小さくなっていく。
シュルシュルと音を立てて縮み続けた巨大な龍は、いつしかプラティナよりも小柄な身体になっていた。
「……うそ」
ありえない光景に、思わず呟きがこぼれる。
アイゼンが背後で息を呑んだ音が聞こえた。
「やった! 僕、小さくなったよ!」
「そう、だね」
「僕どう? 格好いい?」
くりくりとした琥珀色の瞳はそのままに、ふっくらとしたバラ色の頬をした愛らしい顔立ち。さらさらと風に揺れる鉛色の髪。身にまとうのはプラティナが着ているものとよく似た深い藍色の服。
どこからどう見ても人間の子供がそこにいた。
「かっこいいっていうか……可愛い、かな」
「えー!」
頬を思い切り膨らませ、一人前に腕を組む仕草はどこかアイゼンに似ている気がするのは気のせいだろうか。
思い切ってアイゼンを振り返れば、まったく同じポーズをしていた。
ただし表情は異なる。目をまん丸に見開いて、口の形を「あ」で固めている。
ああ、アイゼンも驚けばあんな顔をするのだなと思いながら、プラティナは目の前で続けざまに起きた奇跡について神に祈りを捧げたくなった。





