5話 呪いからの解放
これまでのことを全てアイゼンに話したプラティナは、何故だか少し晴れ晴れとした気持ちだった。
七歳から神殿に閉じ込められ、関わるのは最低限の神官と時折来る城からの使者のみ。誰かに自分の気持ちを伝えたことなどほとんど無かったから。
「なるほどな」
アイゼンはどこか納得したように何度か頷いた。
「あの国はどこかおかしいとは思っていたが、ここまでとはおもわなかった。いくら女王の実子ではないとはいえ、王女が死ぬとわかっていて追放するか?」
完全に呆れているのがわかるその口調と表情に、プラティナは苦笑いを浮かべる。
「仕方ありません。女王陛下にとって私は邪魔でしかない存在でした。あの国であの方に逆らえる者などいません」
「女王レーガか……」
「幼い頃、城に帰りたいと神殿で泣いたことがありました。知らない人ばかりの場所でとても寂しかった。その時、私の世話をしてくれていた女官に言われたのです。『命を取られなかっただけでもよかったと思いなさい』と」
女官がどんな意図を持ってその言葉を口にしたのか、プラティナにはわからない。彼女がどんな顔をしていたかなど覚えていない。
泣き続ける子どもが煩わしくて脅したのか、本気で案じてくれていたのか。
だが、その言葉に幼いプラティナは泣き止んだ。生きていたければ、聖女として祈り続けるしかないと、子供心に理解したのだ。
「……女王陛下の統治になってこの国はずいぶん荒れたと聞いております。私は神殿で伝え聞くだけでしたが、父に仕えていた高官たちの半数以上は処刑や流刑にされたと。いつ私にその矛先が向くかわかりませんでしたし」
父が治めた美しく優しいシャンデはもうここにはない。毎日のように聖なる力を使って祈りを捧げていたプラティナはそのことに気がついていた。
だが、プラティナには何もできない。無力な自分が情けなくて、ずっと祈ることで逃避してきた。
「私が死ぬのは、王族としての役目から逃げていた罰なのかもしれませんね」
「馬鹿か君は」
強い言葉にプラティナが顔を上げれば、どこか怒ったような顔のアイゼンと目が合う。
「そんなことで人が死ぬわけないだろう。大体なんだ、君は。普通、死をそんなに簡単に受け入れる馬鹿があるか。暴れるなり何なりして、逃げればよかっただろうが」
「そんな、こと」
できるわけがない、と言いかけたプラティナだったが反論の言葉が上手く見つからない。
確かに、どうして自分は逆らわなかったのだろう。神殿に入れられた当時はまだ父に仕えていてくれた臣下たちがたくさんいたはずなのに。
成長してからも神殿の人たちはレーガの目を気にしながらもプラティナに優しくしてくれた人だっていた。聖女様と笑顔を向けてくれる信徒たちだっていたのに。
その人たちに逃がして欲しいと頼めばよかったのだろうか。
黙ってしまったプラティナに、アイゼンが少しだけ気まずそうな顔をする。そのまま言葉を選ぶように視線を動かすと、はぁ、と荒っぽく息を吐き出した。
「まぁ、君には考える余地もなかったんだろうな。すまない、君の立場もよく考えずに勝手を言った」
「いえ、そんな……」
「俺も、こんな呪いをかけられて気が立ってたんだ」
じゃらり、と両手首の鎖を忌々しく見つめるアイゼンの表情はどこかなげやりだ。
「そうですよね……あの、ちょっといいですか」
「ん?」
馬車の揺れを気にしながら膝立ちになったプラティナは、ゆっくりとアイゼンの方へと近寄る。突然距離を詰められたアイゼンはぎょっとした顔になった。
プラティナはそっと鎖に指先を押しつける。呪いで作られた鎖は実体がないのでアイゼン以外には触れられないはずなのに、プラティナの指は確かに鎖に触れている。
そのことに、アイゼンは黒い瞳を丸くして動きを止めた。
「本当に酷い呪いです。今、取りますから」
「お、おい!?」
狼狽えた声を上げるアイゼンを無視して、プラティナは指先に祈りを込める。
聖なる力が鎖へと流れ込み、あんなに頑丈にアイゼンの両手首を拘束していた鎖は、まるで砂のように崩れて消えてしまった。
「ふう、これで大丈夫ですよ」
「嘘だろ」
呆然という表現がぴたりとあてはまる顔をしたアイゼンは自由になった両手を握ったり開いたりして確かめている。
その様子を見ていたプラティナは安心したように頬をほころばせた。
「私、一応は元聖女ですので解呪は得意なんです」
「おいおい、マジかよ」
アイゼンは両手を大きく回したのち、勢いよく立ち上がると腰の剣を抜き軽々と振り回す。揺れる荷台の上とは思えない身軽さで身体を揺らすことなく剣を操る姿は見惚れるほどに美しかった。
(剣技大会で優勝したほどの実力者だものね)
「完全に呪いが解けてる」
「よかったです。これでアイゼン様は自由ですよ」
メディの我が儘で迷惑をかけてしまった償いくらいにはなっただろうか。
「あなたには本当にご迷惑をおかけしました。もう、無理に私を見張っている必要はありません。どうか、このまま逃げてください」
元々、プラティナは一人で巡礼の旅をする覚悟をしていた。
従者がいなければ外に出してもらえないと思ったからあの場では受け入れただけで、旅の途中で別れるつもりだったのだ。
いずれ死ぬ人間の世話など誰もしたくないだろうから。
あの場でアイゼンでは嫌だとごねていたら、きっと彼は何らかの罰を受けるような予感があった。鎖が呪いであることには途中で気がついたが、事実を知った今となってはやはり断らなくて正解だったと思っている。
「あなたはきっと強いでしょうから、捕まることは無いと思います」
「君はどうするんだ」
「役目どおり、聖地を巡礼しようと思います」
「本気か? 君、死ぬんだろう?」
「だからかもしれません」
肩をすくめながら笑うプラティナを、未知の生き物を見つけたような表情でアイゼンが凝視してくる。
「私、ずっと自由が無かったんです。どうせ死ぬなら、外の世界を見てみたいと思って。巡礼はそのついでのようなものです。特に行きたいところもないですから」
心からの本心だった。
これまでも国の平和を祈ってきた。ならば巡礼で命を落とすのは一番自分らしいのではないかと。
「自分でも驚いているんですが、やりたいこととか後悔らしいものがほとんど浮かばなくて」
死を間近に感じた瞬間、湧き上がったのは自由への欲求だった。
誰にも邪魔されず外の世界を歩き回って、知らないものを見てみたい。
「これは、私の最後の我が儘なんです」
恐怖がないと言ったら嘘になる。だが、きっと閉じ込められて一生を終えるよりはずっといい。このままどこかで野垂れ死んだとしても、自分の足で歩いてここではないどこかに行けるのならば、きっと後悔せずに逝ける気がするから。
「あなたを巻き込んでしまったこと、本当に申し訳なく思います。もし追っ手が私の元に来ても適当に誤魔化しますから、どうぞお好きなところに行かれてください」
振り返ってみれば、聖女としての役目以外で聖なる力を使ったのはこれが初めてかも知れないとプラティナは気がつく。
言われるがままに祈りを捧げ、神殿を訪れる人々へ祝福を授けたり呪いを解いたりと、役目としてこなしてきたことばかりだ。
「最後に、あなたの呪いを解けてよかった」
自分も解放されたような気持ちでプラティナが微笑めば、アイゼンは「くそっ」と悪態をついて自分の頭をかきむしった。
剣を鞘に収め、どかりと荷台に腰を落としたアイゼンはじっとりとした視線をプラティナに向けてくる。
「本気で巡礼を続けるつもりか」
「はい。ほかにやることもありませんし」
質問に素直に答えれば、アイゼンはがくりとうなだれる。
「……俺も行く」
「え?」
「俺も行くと言った」
信じられない言葉にプラティナは目を丸くする。
「でも、せっかく呪いが解けたのに……」
「だとしてもおそらくまだ見張りが付いているだろう。今ここで俺が急に姿を消せば騒ぎになる。君に同行して頃合いを見て姿を消した方が安全だ」
「ああ、なるほど。それは気がつきませんでした」
「それに、俺は助けてもらった恩を仇で返すような不義理な男じゃない。せめて君が旅に慣れるまでくらいは手伝わせてくれ」
さきほどまでの鋭い視線とは違い、どこかすがるような優しい色合いを帯びた瞳にプラティナは瞬く。
断るべきなのだろうが、やはり不安だったのも本当で、その申し出はとてもありがたいものに思えた。
出会って間もないのに不思議な話だが、アイゼンを怖いとは感じないのだ。むしろこれまで傍にいた人たちよりもずっと素直で優しい人に思える。
少しの間なら、頼っても許されるかもしれない。
「では、お言葉に甘えさせてください」
「ああ」
ほっとしたように頷くアイゼンの優しさにプラティナは微笑んだ。